4話 一難去ってまた一難去ってまた一難
「触診結果とお前ら二人の話を聞いた限りでの推察を話すぞ」
一〇分後。僕の診察を終えたアーリン先生はそう言うと、赤色の革製の回転椅子に腰かけて、くるくると回った。
「エリオード。お前は、魔力が無いってわけじゃなかった。その逆――魔力が膨大すぎたんだ」
「魔力が……膨大?」
僕は、回転を続けながら綴られたアーリン先生の言葉を、そのままオウム返しした。
先生はそんな僕に回転を止めて笑いかけ、詳しく説明を始める。
「要するに。魔力が膨大すぎて、お前の身体をキャパオーバーしちまってるんだ。ほら、口が狭い瓶詰のお菓子をイメージしろ。あれだって、中身が少なかったら瓶の口を下に向けるだけでゴロゴロ出てくるが、お菓子ギチギチに詰まってたら、全然出てこないだろ? あれと同じだ」
先生は机の上の瓶からナッツを一つ取り出し、口の中に放り込んだ。
「お前の魔力は、文字通りの意味で桁違い。人間の身体じゃ、それを上手く放出できないレベルで……な。それが、お前が今まで魔法を使えなかった原因だ」
そこまで言うと、先生は医務室をうろちょろと見て回るメグミさんに視線を向け、そのままメスを投げた。
投げられたメスはメグミさんの鼻先から数センチ辺りを通り、医務室の壁に深々と刺さった。
「どわぁ!?」
メグミさんは大層驚き、その場で尻もちをついてしまう。
そんなメグミさんに、先生は「さっきからうろちょろと鬱陶しいんだよ」と愚痴り、そしてせいせいしたと言いたげな朗らかな表情で笑い、話を続けた。
「お前が魔力を放出できた理由。それは端的に言えばな、あのガキがお前の身体をマッサージしたからだ」
「メグミさんが……?」
僕は身を乗り出して、口をぽかんと開けて、先生の話を聞き齧っていた。
先生はそんな僕の口に瓶の中から取り出したナッツを放り込み、「口開いてんぞ」と苦笑した。香ばしい風味が口の中に広がった。
「続き話すぞ。あのガキのマッサージによって、良い感じに身体がほぐれた。いいや、身体だけじゃない。お前の硬化した魔力器官の中に眠っていた、膨大な魔力もほぐれた。その結果、ミスマッチだった身体と魔力が一時的に調和して……っていうこと。これが、お前が魔力を放出できたからくりだ」
そこまで言うと、先生は僕に近づき、そして僕の頭を優しく撫でた。小さいけれど、温かかった。
「今まで、頑張ったな。エリオード。この魔力至上主義のこの学園で、魔力が使えないお前は……本当に、色々苦労しただろうけど。お前に魔力はあったんだよ」
「でも……今はまた、使えなくなってしまいましたよ」
「ああ。マッサージでほぐせた魔力を使い切ったんだろうな。お前の魔力は莫大で盛大に凝り固まってる。だから、ちょっとマッサージしただけじゃ、すぐ限界が来る。まぁ、定期的にマッサージしないと、お前は魔力が使えないままだろうな」
そこまで言うと、先生は椅子の上に立ち上がり、そしてメグミさんを見下げて言った。
「お前にも色々聞きたいことが山盛りだ。マッサージのことから、異世界から来たっつー、信じ難い話も含めてな。まぁだが、今は置いとく。お前、行くアテあんのか?」
尻もちをついたまま座っていたメグミさんは、先生を見上げて頭を振った。
「ないね……最悪野宿とか?」
そう言って笑うメグミさん。
それを聞いた先生は、溜息一つ、メグミさんに人差し指を突き付けて、ふんぞり返りながら言った。……回転椅子の上でふんぞり返って立つのは危ないので、こっそり転倒しないように押さえておく。
「よし。お前の学園滞在許可、私が出してやる。とりあえずお前には来客用の部屋か……最悪この医務室で寝泊まりしてもらう感じになるな」
「……へ、いいんすか!?」
メグミさんはバッと立ち上がり、椅子の上に立つ先生を優に見下ろして、自分に突き付けられた人差し指を握り締めた。
……立ち上がっただけで椅子に立った自分の身長を越えられたアーリン先生は、凄く苦々しい顔をしていた。
「ありがとう! マジ感謝! でも、いいの?」
「……こっちだって、お前を置いておくメリットがあるからな。エリオードはお前がいなくちゃ魔力が使えないんだ。だからこれは、施しじゃなくて交換条件。私の生徒の助けになってやってくれないか」
そう言って、アーリン先生はメグミさんに頭を下げた。
え……つまり先生、僕のために……?
すると先生は、僕の方を見て、優しく笑った。
「今年入学した一年坊主の中で、最初に絡んだのがお前なんだ。魔力が無いのに魔法学園に入学してきた問題児……だが、話してみれば、とってもいい子だ。こんな奴、放っておけるわけないだろ」
「先生……」
僕は思った。この先生と出会えて良かった。
つい感涙で視界を滲ませていると、突然外から轟音が鳴り響いた。
そして鳴り響く警笛とアナウンス。
『学園保護包囲結界の破壊を確認! 学園に侵入した正体不明の存在あり! 対象区画の学生は速やかに区画管理担当教員の指示に従って避難をしてください! 対象区画は――』
突然のことに頭が追い付かなかった。
するとメグミさんが、少し焦ったような様子で僕達に質問してきた。
「この警報何!? 侵入したのって……もしかしてあたし!? あたし、どうなっちゃうの!?」
詰め寄ってくるメグミさんの鼻先をアーリン先生は指先で弾く。
そして、落ち着くよう促した。
「安心しろ。これは学園を守るために周囲に張ってある結界が破られたっつーアナウンスだ。お前は結界無視して異世界から直接内部に召喚されたわけだから、これとお前は別件だ。……多分」
「多分!?」
心許ない先生の返答に、焦りを隠せないメグミさん。
そんな彼女を無視して先生は、後頭部を掻きながら、溜息を吐いた。
「どうすっかな……今のアナウンスで呼ばれた対象区画って、ここじゃん……管理担当教員って私じゃねーか……」
「え……先生ってそんなに偉かったんですか?」
「おいエリオードテメェ殴るぞ」
先生は僕のうっかり失礼失言に静かにキレた後、医務室の電話を起動させた。
そうだった、見た目でつい軽く見ちゃうけど、この人世界的権威なんだった。
そして先生は、電話を区内放送モードにして、区内の学生に呼び掛けた。
「っていうわけだチビスケ共! すぐに他の区に逃げれそうな奴は、指示なんざ待たずに逃げろ! 逃げられなさそうな奴は周りに注意しながら、この医務室に来い! 来る途中で他の教員を見つけられたなら、私の指示よりその教員の指示に従え! 侵入した何かの近くにいる奴は、とにかく逃げろ! どんだけ怪我しても、死ななけりゃ私が完璧に治してやる! だから、死なねぇようにしろ!」
そう言うと先生は放送を切り、そして侵入した何かの痕跡を探った。
「【探知魔法――包帯結界】」
先生の右手の指先から、何重もの何枚もの包帯が湧き出て、地面に染み込み広がった。包帯は圧倒的速度で医務室を超えて外にまで広がっていく。染み込んだ包帯が区画一帯に広がるのに、そう時間はかからなかった。
「見つけた」
そして先生は、左手の指先から包帯を壁に射出。すると包帯が壁に染み込み、壁一面が巨大なスクリーンのようになった。
「見ろ。こいつが今回、結界を破って侵入してきた奴だ」
「え……何これ、牛!? でっか!」
壁に映し出されたそれに、メグミさんは目を丸くして驚いた。
それはメグミさんの言う通り、巨大な牛だった。推定三メートルはあるだろうか。赤い体色を太陽に照らされた雄々しき姿は、スクリーン越しでも畏怖を沸き立たす。
僕は心当たりのある、その牛の名を呟いた。
「『ミノタウロス・コクーン』……ですよね、あれ」
「ああ。そうだ」
あれは人型の牛の魔獣『ミノタウロス』の蛹だ。ミノタウロスは卵から生まれ、幼体、蛹を経て成体となる。昆虫のような、完全変態する魔獣だ。
だが、ミノタウロスが昆虫と違う所は、蛹の状態でも著しく凶暴だということ。幼体時には草ばかり食べているのだが、蛹になると成体になるために必要な動物性たんぱく質を求め、生物の肉を食べ始める……かなり危険な魔獣だ。
「お前らはここにいろ。私が片付けるから」
先生は僕達にそう言うと、医務室を駆け出して行った。
僕は心から、先生の無事を祈らずにはいられなかった。