41話 ちょっとしたヒント
「うっ……おえぇぇェェェェェッ……」
夜中のロンリュー湖で。僕は口からポンプのように水を吐き出しながら、青ざめていた。
「どうしたのリオくん。まだまだ魔導習得できてないよ、休憩してる場合?」
四つん這いになって水を吐く僕を見下げながら、学園長は微笑を絶やさずそう言った。
僕の介抱をしてくれているメグミさんが、冷ややかに「エンチョーセンセ、楽しんでない?」と聞くと、学園長は「まっさかぁ」と笑った。……気のせいだろうか、その声はやけに弾んでいた。
「……難しいですね、魔導」
僕は口元を拭いながら、ため息混じりにそう呟いた。
心肺機能に魔力を流して水の中に長時間潜れるように、手足に魔力を流して常人の倍以上のスピードで泳げるように、全身に魔力を流して冷たい水にも耐えられるように、目に魔力を流すことで暗い夜の水中でも視界が効くように。そうすることで、ロンリュー湖の底にある石を拾って戻ってくる……特訓内容としては、シンプルなものなんだけれど……これが凄く難しい。
「手足と肺に流すだけじゃ……身体全体が、水深が深くなるにつれて上がる水圧や下がる水温に耐え切れなくなる。それに耐えるために身体全体に魔力を流すと、手足や肺に流す分の魔力が足りなくなって、溺れてしまう……」
僕がそうブツブツと呟いていると、学園長が僕に視線を合わせるように屈み、長いまつ毛を夜風に揺らした。
「そう。一度に色々な部分に魔導を使えるからね、水泳は。魔導の訓練に丁度いいんだ。……特に、メグミくんに魔力を解してもらう必要があるキミは、常人とは違って、魔力の自然回復が出来ないから。常人よりも繊細で効率的な魔導を習得する必要がある」
学園長はそう言って、濡れて水の滴る僕の髪を撫でつけた。少しだけくすぐったさを感じ、僕は目をつむった。目をつむったために機能しなくなった視覚の代わりに、聴覚がよく冴え渡る。夜風の吹く音、さらさらと流れる湖の微々たる波の寄せる音……その音達を遮って、学園長の「逆に言えば」という声が耳に飛び込んだ。
「逆に言えば、これはチャンスだよリオくん。キミは学生の範疇を超えたレベルの魔導を身につける必要がある。これは確かにキツいかもしれない。しかし、そのレベルの魔導を学生の内から身につけられれば、同級生……学園全体から見ても、一番の魔法使いになれる可能性が高まる。若い内から繊細な魔力運用ができる魔法使いは、よく伸びるからね」
そして、最後に学園長はこう言った。
「【開闢者】にも近づくよ」
「……えっ。でも、僕、一人じゃ魔力の回復もできない半人前以下なんですけど……」
僕は思わずそう言い返していた。それは、あまりにも荒唐無稽で有り得ない、夢のまた夢の絵空事だと思っていたから。
だけど、学園長はいつものように、なんてことの無いように笑って、言った。
「『開闢する者』と書いて【開闢者】だよ。前例が無いことにチャレンジし、見事に新たな魔法の可能性を開闢できた者がなるべきだ。そこに障害の有る無しは関係無いさ」
その言葉は、僕の心をじんと打った。まるで、柔い布に落とした水滴のように、じんわりと染み入ってくる。……目頭が熱くなるのを感じた。全身がびしょ濡れで良かったと思った。涙が目立たないから、泣きかけたのがバレずに済む。
学園長は最後に「現役【開闢者】である僕からの有難いお言葉でした」と締めくくった。
「……よっし、いっちょやったろーぜリオくん! あたし達で、その……のば……のばなんちゃら、取ったろーぜ!」
バシン! 背中をメグミさんに強めに叩かれる。叩かれた部分が熱を持ち、僕の背中を押すかのように痛みを発する……。……いや痛いな。力入れて叩きすぎじゃないですか、メグミさん?
僕が抗議の視線でメグミさんを睨むと、メグミさんはイタズラ小僧のような顔で笑い、僕の頬を両手で掴み、にょいんにょいんと弄んだ。
「リオくんほっぺ、もっちもちー」
「やへへくへまへん?」
「アッハハ何言ってっかわっかんね」
と、学園長がパンと手を叩き、僕らに視線を向けた。
「イチャイチャするのもいいけど、今は魔導の訓練だ」
「イチャついてません!」
つい、大きな声で否定してしまう僕。
そんな僕にメグミさんは、ナヨナヨと泣き崩れるような、大袈裟な身振り素振りをして。
「ひ、酷い……あんなにあたしのことを弄んだあの夜は嘘だったというの……?」
……などと、ほざき始めた。
僕は大声で必死に反論した。
「どの夜のことですか!? 身に覚えが無いんですが!?」
「アレは忘れもしない一年前の蒸し暑い夏の日……」
「一年前って、まだ僕達出会ってませんけど!?」
「……じゃあ今年の夏」
「……も、まだ会ってませんね。秋ですよ、僕達が会ったの」
「イチャイチャも思い出話も控えてもらえるかい」
怒りが多量に含まれた語気で、学園長は冷たい声を出した。
僕もメグミさんも、一旦黙り込み、学園長の話に耳を傾ける。
「そろそろ、夜が明け始める。二日目はちょっとした実戦形式を考えてるから……少しでも休んだ方がいい。だから、残り一時間くらいで魔導をマスターしてもらって、その後で三時間くらい寝てくれ」
と、メグミさんが手を挙げて質問をした。
「ね、それ……できなかった場合は?」
学園長は何てことの無いようにさらりと答えた。
「睡眠ゼロで、魔導も使えない状態で、実戦形式」
「……わぁ、鬼畜ぅ」
メグミさんはそう言って、ドン引きしたような身振りで、身体を震わした。……僕も身体を震わした。
「リオくん」
と、メグミさんは、気合いを入れ直すために湖の水で顔を洗った僕に声をかけてきた。
「よくわかんないけど、魔導って、魔力を身体に流すんでしょ? なら、マッサージして、身体ほぐした方がいいんじゃない?」
メグミさんはそう言って、指の骨をコキコキ鳴らした。
僕は頷きながら立ち上がり、お願いをした。
「じゃあ……。お願いします」
「任せんしゃい」
僕は、メグミさんの施術を受けながら、さっきまでの特訓の反省点を振り返っていた。
意識的に魔力を流そうとすると……どうしてもダメだ。
全身に薄く魔力を流しつつ、特に強化したい部分に濃い魔力を流したいんだけど。一部分に濃い魔力を流そうとすると、全身に魔力が流せず、強化したい部分にだけ魔力が集中する、みたいな事態になってしまうのが現状で……。
それだと、問題がある。例えば足に魔力を集中させてバタ足をするとしよう。その時、強化された足で漕ぎ出すバタ足は、凄まじいスピードが出る。すると当然、身体に受ける水の勢いも凄まじいものになる。それは、高速の船の先端に身体を縛り付けられるようなもの……。身体の疲弊や負担は相当激しいものになる。
しかし、全身に薄い魔力を流すことに集中すると、特に強化したい部分に魔力が流し切れず、ただ単に全身がほんのり丈夫になる、程度の強化になってしまう。日常生活ならこれで充分だとしても、戦闘には活かせない。
その時だ。学園長が、僕に視線を合わせながら、閉じられた瞳を薄く開いた。キラキラと輝く宝石のような輝きが、学園長のまぶたの隙間から漏れ出てくる。
「リオくん。僕が魔導訓練に水泳を選んだのは、もう一つ理由がある」
「理由……?」
「ああ。ちょっとしたヒントさ。水の中に潜る時……あることができなくなるだろう?」
――学園長のその言葉は、僕が魔導のコツを覚えるのに、充分な効果を発揮した。
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翌日。僕は、シフレやネミコさん、ファイアくんの前で、魔導訓練の成果を見せていた。
具体的には、湖に潜って底の石を取ってくるだけ……つまり、学園長やメグミさんとやった訓練と同じ内容だ。
そして僕は――見事、石を取ってくることに成功した。
それを見たファイアくんが、その赤髪についた寝癖も直さず、白い歯を見せて笑った。
「リオ……スゲェじゃねェか! 昨日は全然ダメだったのに、一晩で魔導ができるようになってやがる!」
流石は俺の生涯のライバル……! ファイアくんはそう言って、腕を組んでしみじみと頷いていた。……生涯のライバル、なんて大層なものになった覚えはないんだけど。
シフレも、横目で呆れたようにファイアくんを見ていたが、すぐに視線を僕に向け、まるでつぼみが開くように穏やかに笑顔になる。そして、唇の動きだけで「やったね」と褒めてくれた。
「お取込み中失礼……ねぇねぇリオちん」
僕がシフレと視線を絡ませて喜びあっていると、突然ネミコさんが質問を投げかけてきた。
「昨日はからっきしだったのに、急にできるようになるなんて。何か、コツとか掴んだの?」
僕は頷いた。
「はい。魔力って、イメージが大事じゃないですか。ただ、全身に魔力を流す魔導だと、どうしてもイメージが掴みにくくて。けど……よく考えたら、僕達は皆、普段から似たようなことを無意識的にやってるって、気づいたんです」
「似たようなこと?」
「“呼吸”です」
吸って、吐いてを繰り返す生命活動――呼吸。
僕は説明を続ける。
「呼吸すると酸素が肺に溜まって、その溜まった酸素を血液が取り込んで……そして、その酸素で満ちた血液を、心臓が全身に運ぶ。このイメージを魔力に載せれば、魔力も似たような感じで流せるんじゃないか……って、考えたんです」
そして、実際にそのイメージで魔導をやってみたら……効果てきめんだった。
「全身に酸素を流す生命活動を、意識してやってる人なんていないでしょう。それと同じようなイメージを適用して、全身に薄い魔力を、限りなく無意識に近い状態で流すことに成功しました。そのおかげで、特に魔力を集中させたい部分に、濃い魔力を意識的に流すこともできるようになりました」
読んだ本に書いてあった。人間の脳は、基本的に別々のことを考えて動かすことには向いていないらしい。右手と左手で違うことをしようと思っても、中々できないように。
今までの僕は、全身への薄い魔力も、一部への濃い魔力も、どっちの魔導も意識して行っていた。だから、失敗していた。しかし、薄い魔力の方を無意識的に行えるようになったことで、濃い魔力だけに集中できるようになった。
こうして、魔導ができるようになったのだ。
『ああ。ちょっとしたヒントさ。水の中に潜る時……あることができなくなるだろう?』
学園長の授けてくれたヒント。それから僕は、呼吸のイメージを載せることに成功したのだ。
シフレは、指を唇に当てて、何かを考え込む仕草をしながら言った。
「……そっか。あたし達は生まれつき魔力が使えたから、魔導も簡単なものなら日常で無意識に使えてた。だから、習得も容易かった。けど、リオは最近使えるようになったばかりだから、無意識に魔力を使う感覚が身体に無かった……。だからあんなに苦戦したんだ」
「あー……なーるほど」
ネミコさんは得心したように頷き、腕を組んだ。
突然、僕の肩に、ファイアくんが腕を回してきた。そして、快活な笑顔で笑いかけてきた。
「これで今日からの合宿、遅れることはねーな!」
「うん、頑張る!」
「おう、頑張れ!」
ファイアくんは満面の笑みで親指を立てた。僕も、それに倣って親指を立てて笑った。
……と、視線を感じた。
「……あ、ランファくん……?」
視線の方を振り返ると、そこにはランファくんがいた。
ランファくんは僕と目が合うと、チッと舌打ちをして、どこかに去って行ってしまった。




