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40話 朧月夜に期待の言葉

 合宿参加の学生達は、皆、ロンリュー湖の傍に大きなテントを二つ張り、一つを男子テント、一つを女子テントとして使用することになった。ご飯も風呂も、ロンリュー湖の魚や水と炎魔法で、自給自足のような形で済ませた。

 そして、皆が学園長の言い付け通りに寝静まった、午前零時……僕は眠ることができず、いてもたってもいられず、飛び起きて、ロンリュー湖まで走り寄った。

 秋の夜の冷たい空気に包まれ、僕は少しだけ身震いした。鼻から息を吸うと、冷たさがツンと鼻の奥に沁みた。

 ロンリュー湖の凪いだ水面は今や、夜空を映し出す鏡のようになっていた。空に浮かんでいる月が水面にも映り、ゆらゆらと輪郭を朧気に揺らす。空に散った星々までは水面の鏡も再現できないようで、水面に映る、真っ黒な中にポツンと浮かんだ輪郭のハッキリしない月は、どこか寂しげでもあった。


「……僕だけ、また、出遅れた」


 ご飯の時、あるいはお風呂の時。皆に聞いて回った。魔導ができるようになったか、を。やはり皆、世界最高峰の魔法学園、リスドラルークの学生なだけある。合宿に参加していた九割近い学生が、魔導を完全にモノにしていた。


「……どうして、いつもこうなんだろ」


 魔力が使えなくて、経験が足りなくて……ランファくんに引き分けた。

 泳げなくて、魔導の練習ができなくて……今もこうして、ただただ焦燥感に駆られている。

 僕は……どこまで行っても、落ちこぼれだ……。


「……よっ。リオくん」


 と、落ち込んで、座り込んでいたその時。背後から僕の名を呼ぶ声が。

 もう、振り返らなくても……僕にはその声の主が誰か、わかる。


「メグミさん」


 振り返らずに、声の主――メグミさんの名を呼び返すと、メグミさんは僕の所に足音を近づけながら「一人孤独に夜の湖を眺めて……そういうお年頃?」と訳のわからないことを言っていた。


「……眠れなくて」


 適当に理由を言い放つ。別に嘘偽りない事実でもあるので、僕の口から驚くほどすんなりと、そのセリフは出た。

 メグミさんは、座り込む僕の真横に腰を下ろし、僕の顔を覗き込んできた。

 そして、どこか誇らしげな様子で、強い鼻息と共に言った。


「悩みがあるなら、お姉さんが聞いてやるぜ」

「……僕、いっつもメグミさんに悩み事を愚痴ってますね」


 僕はメグミさんとの今までを思い出して、自嘲気味に笑う。

 メグミさんはケラケラ笑って、僕の背中をバシバシと叩いた。


「あっはっは。リオくんはナイーブだからね……年上からすりゃ、世話焼きたくなるってもんだよ」


 と、その時。


「その通り」


 ――その声は、空の方から聞こえてきた。僕とメグミさんが揃って顔を上げると、そこには、空に浮かんだ学園長の姿があった。


「僕もね。リオくんには期待してるんだ」


 学園長はゆっくりと降りてきた。

 そして、地面に音も砂埃もなく降り立つと、僕の額を指先でコツンと小突いた。


「……一応、引率の先生らしく、注意はしておこう。リオくん……良い子は寝る時間だよ?」


 メグミさんは僕の両肩をそれぞれ持って、自分の方へ僕の身体を引き寄せた。その際、背中にメグミさんの胸が押し当てられる感触が走り、否が応にも昼のことを思い出し、赤面してしまう。

 そんな僕の、年頃の内情も知らず、メグミさんはニッヒッヒと悪童のように笑った。


「リオくんは悪い子だから。まだまだ夜はこれからだぜパーリナイ! が口癖のパーリーピーポーだから」

「そうか、悪い子か。ならいいか」


 学園長は、いつも笑っているように閉じている瞳で僕を見つめた……しかし、その瞳は心無しか、下卑た感じを纏っているように思えた。……僕の内心の、メグミさんの胸の感触への気恥しさ、みたいなものを悟られているような気がする。


「……悪い子です」


 僕はそう答えるのが手一杯だった。顔に集まる熱を感じながら俯く。視線の先には、月明かりに照らされた湖の中に、水草がゆらゆらと揺蕩う。

 僕はそれを見つめながら、何とも言えない居心地の悪さを感じていた。


「……さて、それじゃ、始めようかリオくん」


 と、突然、学園長が僕にそう話しかけてきた。

 僕が「な、何を……?」と狼狽えながら聞くと、学園長はキョトンとした顔で首を傾げた。


「何って……魔導の訓練だよ。キミ、出遅れてただろ。自主練もいいけど、誰かの指導付きの方がいいと思うよ」


 だから僕が見てあげよう――学園長はそう言って、僕の金色の髪を優しく撫でた。温かい体温が、手の平を通して伝わってくる。その温かさは、今の言葉に嘘偽りが無いことを、僕に暗に伝えてくるようだった。

 だけど、一つだけわからないことがある。それを僕はつい口に出してしまっていた。


「どうして、学園長がわざわざ……僕に、時間を割いてくれるんですか?」


 その、僕の口端からほろりと零れた疑問に、学園長は真剣な表情で答えてくれた。


「期待をしているからだよ」

「……期待?」


 学園長は僕よりも背が高い。

 だから、僕は学園長を見上げるようにしながら、オウム返しのように問う。


「ああ。いつか、魔人を滅ぼし、魔獣を打ち倒す……そんな優秀な魔法使いに、キミがなってくれるんじゃないかって。僕は期待してるのさ」


 そんな僕の質問に、学園長は微笑みを絶やすことなく、サラリと答えた。

 けど……僕は、メグミさんがいないと魔力を使えない半端者だ。

 僕は、自分の肩に添えられたメグミさんの手を柔い力で握り、伏し目がちに俯いた。


「……僕よりももっと、期待できる人はいますよ」


 紛れもない本心だ。メグミさんがいないと魔力を使えない僕よりも……ランファくんやファイアくん、シフレにネミコさんのような人の方が……ずっと、期待できるはず。

 しかし学園長は、僕のその言葉にクスクスと笑いながら、手を横に振った。


「ははは。勘違いしないでくれ」

「……え?」


 勘違い……? でも、今確かに、期待してるって……?

 僕が首を傾げていると、学園長は僕に言い聞かすように、優しい声音で淡々と言った。


「キミにかけてる期待と、他の優等生にかけてる期待は別種だ。キミへの期待は、そうだな……ギャンブルで、ほとんどの確率でハズれるが当たるとデカい――そんな大穴に賭けてる時のような期待だ。真っ当なものじゃない」

「……なるほど」


 僕はつい、苦笑いを浮かべた。別に学園長の言葉が気に障ったとか、そういうのじゃない。ただ単に、得心がいって……自嘲した、ただそれだけの苦笑だ。

 しかし、僕の横にいたメグミさんは、ジィッと学園長を睨みつけていた。そして、


「エンチョーセンセ」


 と、不満気に言った。


「……僕のことかい?」


 学園長が自分を指さしながらそう聞くと、メグミさんはうんうんと頷いた。


「エンチョーセンセはさぁ。リオくんのこと、大穴だと思ってるんだ。それってさぁ……リオくんに失礼ってもんだよ。謝ってほしい」

「めっ、メグミさん……僕は別に気にしてませんから……」

「……あたしが個人的にムカついてんの。リオくんは黙ってて!」

「僕のことなのに……!?」


 目を白黒させる僕を無視して、メグミさんは学園長を射殺すような視線で睨めつけながら続けた。


「リオくんは恩人だからね。恩人のこと悪く言われたら、ムカつくでしょ。エンチョーセンセも、それくらいはわかるよね?」

「はは……まぁ、ね」


 学園長は、自嘲的な笑みを浮かべた。

 そして、空を見上げながら、ぽそぽそと呟いた。


「そうだね……うん。言葉をもう少し選ぶべきだったね」


 月は暗雲に覆われて、薄暗くなりかけていた。厚い雲の層の向こうから、ぼんやりと明るい月の輪郭だけが朧気に浮かんでいる。水面に映る月は、もはやそれだけでは月とはわからないくらいに落ち込んでいた。

 そして、そんな月を見上げる学園長の横顔は、どこか寂し気で。僕は黙って、その寂しそうな顔を見つめ続けていた。


「エンチョーセンセ」


 と、メグミさんが学園長を呼んだ。


「何かな。人がせっかくセンチメンタルな気分に浸っていたというのに」

「自分で言うな。……これだけは言っとこうかなって、思ってね。リオくんは、絶対エンチョーセンセの期待に応えるよ、って、ただそれだけ」


 ぴしり、と人差し指を学園長に突き付けながら、メグミさんは僕の肩を抱き寄せて笑った。僕もおずおずと学園長を見上げると、学園長は表情をほんの少しだけ緩めて、そして僕の頭に手を置いた。


「……うん。()()()()()()、リオくん」

「……はいっ!」


 僕は大きな声で返事をした。僕の喉奥から迸った声は、その周辺の空気をびりびりと震わせるかのようで……というか、深夜の湖なんて大抵静かだから、大声なんか出したらめちゃくちゃ響く訳で……僕は自分で自分の声に驚き、口を手で抑えて顔を赤らめた。


「それじゃ、リオくん。やろうか」


 と、突然、学園長が僕に笑顔でそう言った。


「やる? ……何を?」

「決まってるじゃないか。魔導の特訓。まだ、できてないでしょ」


 学園長は屈伸や震脚をしながら、にっと白い歯を見せた。


「リスドラルーク国立魔法学園の学園長であり、【開闢者ノヴァ・ウィザード】でもある、歴史上で最も最高で最強であろうこの僕が直々に見てあげるって言ってるんだ。こんなチャンスは中々ないと思うけど?」

「自画自賛がえぐいって」


 僕の横でメグミさんがそう呟いた。

 僕は、目を輝かせながら頷いた。


「お願いします!」


 気が付くと、また、暗雲は晴れ、月が夜空に中心に顔を出して、僕達を優しく照らしていた。

 その後、僕が水の冷たさに悲鳴を上げるまでに、そう時間はかからなかった。

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