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38話 魔導のためのスイミング

「魔力を体内に流して身体を強化する魔導……それを意識的に行えるようにする訓練のために! この湖で、今から泳ぎます! 皆、水着に着替えてー!」


 学園長はそう言った側から、ええいめんどくさい、と髪をかきあげ、魔法を使った。空に浮かんだ魔法陣から大きな御柱が落ちてきたかと思うと、その御柱が割れた。そして、その中から、下半身が蜘蛛の形をした女神が現れた。

 あれは、バットマンションを倒した時にも召喚してた……


「【攻撃魔法――アラクネ】。アラクネ、皆に水着を編んでくれ。ついでに目にも見えない速度で着替えさせといてくれ」


 その女神は学園長の頼みに頷くと、高速で自分の手を胸の前で動かし、そして、胸の前に固まった白い糸の塊のようなものを、僕達全員に放った。


「うわぁっ!?」


 その糸に触れた瞬間、僕達は皆、制服姿から水着姿へと衣装が変わっていた。早着替えってレベルじゃないぞコレ。

 僕たちが皆、驚いている最中――更に学園長は魔法を使った。


「はいドンドン湖飛び込んじゃってー――【水魔法――ウンディーネ】! ウンディーネ、全員とりあえず押し流しちゃってくれ!」


 学園長の背後に落ちた御柱の中から、水色の髪をした女神が、卵の殻を破る雛鳥のように現れ、そして手で空を撫でた。すると、何も無いはずの場所から、清流がうねり出た。

 そのうねりは僕達を飲み込み、湖へと押し流していく。


「ガボ! ガゴボボボボッ!?」


 目に、鼻に、口に、耳に、流れる冷たい水が入り込んでくる。突然のことで、息を止めたりだとか、そういう準備もできておらず、僕達はただただ為す術なく押し流されるがままになった。


「ガガボガボガボボボ!?」


 無惨にも、口から溢れ零れ出るだけの水泡を頭上に仰ぎながら、僕はぶくぶくと沈んで行った。

 ……何を隠そう、僕は泳げないのである。泳げないのである……。

 こうして僕は、酸欠により薄れ行く意識の中……静かに目を閉じ、その一生を終えたのだった。



 △▼△▼△▼



「終えたのだった……じゃないよ、リオくん!?」

「!?」


 目を覚ますと、太陽の光が真っ先に目に入った。

 眩しくて目を逸らすと、少し湿った土が頬に貼り付いた。

 次に、自分の濡れた髪の生温い感覚が額に触れた。

 呼吸をする。さっきまでのように、水泡が頭上に昇って行かない。ちゃんと息を吸うと肺が膨らむ。吐けば萎む。

 僕はそれを確認すると、ようやく、その実感が湧いてきた。


「……生きてる?」

「生きてるよっ!」


 脳天に軽い手刀を食らった。

 僕は反射的に目をつむり、脳天を押さえながら上半身を起こす。

 すると、安心したように溜息を吐く、メグミさんの姿が目に入った。


「はーっ……ホント、勘弁してよ……泳げないとかシャレにならんよ。マジでリオくん、心臓も呼吸も止まってたからね?」


 それは……思ってた以上に、凄いことになってたんだな、僕。

 僕は濡れた前髪を軽く指で圧し潰すようにして絞りながら、質問をした。


「……メグミさんが、助けてくれたんですか?」

「んー……全部が全部、あたしじゃないけどね」


 メグミさんはそう言うと、傍にいたシフレを指し示した。

 シフレは青い目をしているけど、それを今は真っ赤にして、泣き腫らした目で僕を見つめていた。

 メグミさんはからからと快活に笑いながら言った。


「あたしは心臓マッサージだけだよ。そんでね、喜べリオくん、シフレちゃんが人工呼――むぐぅっ!?」


 しかし、説明の途中で、シフレは顔を真っ赤にしながら、メグミさんの口元を両手で覆った。

 そしてそのまま、僕に涙で濡れた瞳を向けて、震えた声で告げる。


「……余計なことは考えなくていいから。とにかく、リオは命が助かった。それでいいじゃん、ね?」

「え、あ、ああ、うん」


 僕は突然焦り出したシフレに動揺を隠せず、曖昧な返答しかできなかった。

 そして、そうしている内にも、シフレに口元を押さえられているメグミさんの顔色が、赤から紫へと変色していく。……大丈夫かな。

 しかし、シフレは恐らく今まで、泣いていたみたいだ。多分、死にかけていた僕を心配してくれたんだろう。幼馴染っていいなぁと、心の底からその存在に感謝した。


「……っ、ぶっはぁ! 死ぬわっ! あたし死ぬわ! まぁた心肺停止者増やす気かシフレちゃあん!?」


 と、メグミさんが大きく息を吐きながら、紫色の顔でシフレに怒りをぶつけていた。やっぱり、大丈夫じゃなかったみたいだ。

 しかしシフレは、顔を赤くしたまま、メグミさんに顔を近づけて、ヒソヒソと話し始めた。


「内緒! 内緒ですから! あたしがリオに……じ、ん、こう、こきゅ……したことっ、内緒ですから!」

「別に救助行為なんだからいいじゃん……恩着せていこうぜ?」

「ダメ!」

「……ところでシフレちゃん。初めてのちゅーだったりした?」

「……昔、五歳とか、それくらいの時に……してますよ」

「リオくんと?」

「……昔もこういうこと、あったんです。リオが川で溺れて……」


 ……何でだろう。ヒソヒソ話がよく聞こえる。シフレ達の声が大きい訳じゃない。ただ、凄くよく聞こえる。そのおかげで、シフレが僕に人工呼吸してくれたことを知った。

 ……少しだけ自分の頬に熱が集まるような感じがした。多分、心臓が今まで止まっていた分、よく動いているからだ。多分、きっと、そうだ。

 ……そう言えば、小さい頃も似たようなことがあったっけ。川遊びしてたら僕が足を滑らせて深みに落ちてしまって……溺れてしまった。その時も、僕は呼吸が止まってしまっていたみたいで……まだ小さかったシフレが、僕に学校で習いたての人工呼吸をしてくれて……それで僕は命が助かった。改めて、僕の人生はシフレに助けられてばかりだ。

 しかし……これ、なんだろう。やけにヒソヒソ話が大きく聞こえる。

 いや、シフレのヒソヒソ話だけじゃない。遠くの方で鳴く鳥の声や、湖の中央で魚が跳ねた水音……色々な音が、僕の耳に届く。

 聴力そのものが、跳ね上がっているような感じだ。


「……もしかして。これが……魔導?」


 僕は学園長の言っていたことを思い出した。


 ――『魔導』。魔力を体内に流し、身体機能を強化する技術の総称だ。魔力を腕に使えば、強靭なパンチが打てる。足に流せば、速く走り高く跳べるようになる。身体全体に流せば、ヤワな攻撃じゃビクともしない頑丈な身体になるし、心肺機能に流せば、水の中でも長時間活動ができるようになる――


 ……今、僕は無意識的に、耳に魔力を流してるんだ。だから、こんなによく音が聞こえる。

 それに気づくと、ほんの少し、いつもより耳が熱いことに気がついた。多分、魔力がいつもよりも流れ込んでいるせいだろう。

 ……今、無意識的に行われてるそれを、意識的に……例えば、そう、腕に流し込んでみる……。耳に流れ込んでいた魔力を、排出する。排出して、腕に流す……イメージしろ、イメージ……魔法はイメージ次第なんだから……。

 集中するにつれて、まず、耳に集まっていた熱が、徐々に冷めていくのがわかった。それと同時に、今まで聞こえてきてたシフレ達のヒソヒソ話が、鳥の声や魚の跳ねる水音が、薄れて、聞こえなくなっていく……。

 そして、腕……右腕の上腕部が、やけに熱くなるのを感じた。よし……いいぞ……多分、できてる……!

 僕は手頃なサイズの石を拾い上げ、湖に向けて思いっきり投げてみた。いつもなら、数メートル飛んで落ちるけど……魔導が出来ていれば、腕の力が強化されてるはずだから。いつもよりも抜群に飛んでいくはずだ。

 果たして、その結果は。


「んー……しょっ!」


 振りかぶって、腕を大きく前へ回す。一番速度が乗る最頂点で石から手を離す。

 すると、石は僕の手を離れ、真っ直ぐに腕を振る速さのままに、空を裂いて湖の上を飛んでいく。こうして、石ころは飛んで飛んで、飛んで、飛んで……そして、見えなくなった。


「……あれぇ?」


 僕は間抜けな声を出して首を捻った。

 湖の上に落ちたような水音もしない。水面はいつまでも凪の状態で、何かが落ちたような様子はない。水平線はいつまでも直線の形を保ち続けていた。


「……これって、石が見えなくなるくらい、遠くまで飛んだ……ってこと?」


 いくら、魔導によって強化されてたからって……有り得るのか、そんなこと。

 すると、いつの間に横に立っていたのか、学園長が僕を閉じた瞳で覗き込んでいた。


「リオくん。ごめんね、まさかその歳で泳げないとは。無茶な特訓を強いてしまった」


 学園長はそう言って頭を下げた。

 しかし、その言動はどこか機械的で……何て言うか、謝らなきゃいけないだろうから一応謝っておいた、って感じがした。

 僕は学園長を見上げながら聞いた。


「ていうか、僕だけなんですか? 泳げなかったの」

「いや、他にも少人数だけど、いたよ。ファイアくんも、泳げなかった内の一人だ」


 あ、ホントだ。口から噴水のようにピューッと水を吹き出しながら、白目を剥いているファイアくんがいた。


「キミを助けてくれた人達に、後でお礼を言うといい」


 学園長は笑みを絶やさず、そう言った。

 ……この人、自分のしたこと、悪いと思ってるんだろうか。……思ってないだろうな。これくらいで死ぬような奴は魔法使いになれない、とか思うタイプの人だろうから。

 だから僕は、特に恨み言を吐くことなく、学園長に話を合わせた。


「はい。シフレに、メグミさんですよね?」


 しかし、学園長はそこで首を横に振った。

 そして、少しだけまぶたを開けて、薄く僕を見つめた。


「後、ランファくんもだ」

「ランファくん?」


 突然、学園長から飛び出した、意外な名前に、僕はつい聞き返してしまう。

 学園長は何でもないように、僕に教えてくれた。


「確かに、心肺停止状態だったキミを救ってくれたのは、メグミくんとシフレくんだ。けど、その前に……湖に沈むキミを、引き上げる人がいるはずだろう?」

「……それが、ランファくん……なんですか?」

「ああ。いい友達を持ったね」


 友達……僕と、ランファくんが。何だか似合わなくて、つい、むず痒くなる。

 居心地の悪さを感じ、僕は話題を変えた。


「そ、そういえば……何となく、魔導を意識的にすること、掴めてきました」


 すると、学園長は目を弓なりにして喜んだ。


「流石だ、飲み込みが早い。優秀、優秀――()()()


 次の瞬間、学園長は弓なりに細めていた目を、キッと鋭くさせた。

 そして、射抜くような視線で、僕を見た。


「見てたよ、キミが石を投げる所。まだ甘い。腕に魔力を流しすぎだ。現に、感じないかい? キミ、今……魔力が使えないだろう」


 ……言われてみて、初めて気がついた。

 僕の中に今、魔力は残っていない。メグミさんにマッサージしてもらったのは、今朝のことで、それから魔力はほんの微量しか使っていないから……こんな急に全部なくなる訳が無い。

 多分、投げる時に、腕に全部の魔力を使ってしまったんだ……そうか、そうだ。だから、あんなに石も飛んだんだ。全魔力を石を投げることに全投入したから、投げる力が莫大なものになった。

 学園長は僕を見て、更に言った。


「キミの体質のことは知ってる。キミは、他の人と違って、魔力を自分で自然回復させることや、魔力を回復させるポーションなどを使うことができない。現時点では、メグミくんの整体がなければ、魔力が使えない――だからこそ。キミには常人よりも、()()()()()()()()()()()()()()


 そう。魔導は、微量の魔力を常に消費して、身体能力を底上げする技術。魔力の回復方法がメグミさんのマッサージしかない僕にとっては、その微量の消費すら、状況によっては厳しいこともある。


「だから、キミはより深く、高いレベルで魔導を身につけなければならない。だから、魔導を身につけるために泳ぐんだよ。泳げなくても大丈夫……その理由はもう、わかるね?」

「はい。魔導を使って、心肺機能を強化して、水中に長く潜れるように。手足を強化して、少しの水掻きでも浮き上がれるように……。水泳は、効率的に全身への魔力循環を促せる。だから、泳がせたんですよね?」


 僕の答えに、学園長は、今日一番の笑顔で頷いた。


「やっぱりキミは優秀だ」

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