33話 冷たい所も、優しい所も
蜘蛛の魔人スパイダーショッカーは、バットマンションによって召喚されたバットハットに咥えられ、空中を飛行していた。
『……っ、離せ!』
スパイダーショッカーはバットハットを己の蜘蛛の糸で絞め殺すと、そのまま地面に着地し、そしてバットマンションを助けるために学園の方へ戻ろうとした。着地の際に、高い所から落ちたために足がひしゃげ、内臓が潰れたが、彼は魔人であるため駆けていく内にすぐに治った。
『バットマン……バットマン!』
彼にとって、バットマンションは兄のような存在だった。
この世界に魔人として生を与えられたその日、彼の誕生を見届けたのがバットマンションだった。その日からバットマンションは、スパイダーショッカーの教育係となった。
彼の脳裏に、バットマンションとの思い出が浮かんでは消えていく。
『バットマンション。それが我が名前だ。長いのでな、バットマンと略すといい』
『バットマン……。僕の、名前は?』
『スパイダーショッカー。我らが王が付けてくれた名前だ。まぁ、長いからスパショと呼ぶが』
バットマンションは彼に名前を教えてくれた。
『我ら魔人は、魔人の王の飴玉から生まれた。与えられた生は王のために使え』
『うん、わかった。僕の命は、王様と……バットマンのために使うよ』
『……ならば我が命は、我が王と……スパショ。お前のために使おう』
バットマンションは彼に生き方を教えてくれた。
『自らの生まれたカタチへの理解を深めろ、スパショ。お前は蜘蛛の魔人だから、蜘蛛のことを知れ』
『蜘蛛のことを……? それで、僕の魔法は強くなるの?』
『ああ。人間共の書いた、蜘蛛についての本がある。こいつを読み聞かせてやろう』
バットマンションは彼に魔法を教えてくれた。
『スパショ。魔力を身体全体に流すんだ。それで肉体を強化できる。再生速度もうんと上がる』
『うーん……? 難しいよ……?』
『人間の魔法使いもできることだ、魔人であるお前に出来ないはずないさ。ゆっくり覚えればいい』
バットマンションは彼に魔力の使い方を教えてくれた。
バットマンションは彼に、何もかもを教えてくれた。優しく、丁寧に、ゆっくりと。
その記憶が脳裏を過ぎり、彼の醜悪な瞳から涙が一粒流れ出た。
――しかし。
『戻れ、スパイダーショッカー。バットマンションは死んだ。行っても、お前が無駄死にするだけだ』
厳格な声が、彼の脳に響いた。
その声は、彼にしか聞こえていなかった。彼の内に秘めた心に、直接語りかけてきているのだ。
この声の正体、それこそが――全魔人の生みの親であり、魔人の始祖。彼ら魔人が『王』と呼ぶ、原始にして最強の魔人である。
スパイダーショッカーは、その声に黙って従った。風のように走りながら、涙をぼろぼろ零しながら、バットマンションを殺したのであろう人間共を恨みながら、リスドラルーク国立魔法学園に背を向けて、走り去って行った……。
『覚えてろ人間共……絶対に許さないからな』
その言葉は、激しい恨みに満ちていた。
△▼△▼△▼
その日起きた襲撃は、怪我人こそあれど死者ゼロという結果で、丸く収まった。長い時間のようで、実際に鎮圧にかかった時間は二時間も無いというのだから驚きだ。魔人が二体攻めてきても、たったの二時間で鎮圧できる……本当にこの学園は凄い。
学園内に大量に召喚された魔獣達を屠ったのは、他教室で講義中だった二年生や三年生、そして教師達が主だったらしい。数にしておよそ数百体にも及ぶ数を、一人何十匹と倒して……先輩達も凄い人ばかりだ。
また、僕達が相手したあのコウモリの魔人……バットマンションと、もう一体の蜘蛛の魔人。彼らは、大量に魔獣を召還した直後で、かなり疲弊していたらしい。学園長に『もしも魔人が絶好調だったら、キミ達一年生四人じゃ、あそこまで追い詰めるのは不可能だっただろうね』と言われてしまった。
「……強く、なりたい」
夜。寮の自部屋で、ベッドに寝転がって天井を見上げながら、僕はぼそりと呟いた。
結局僕は、何もできなかった。ただ作戦を考えて、後は見ているだけしか――
『キミは――冷徹な目を持っている』
「ッ!」
僕はがばりと起き上がった。
思い出したからだ……昼間、学園長に言われた、あの言葉を。
そう、僕は、僕が今日考え出した作戦は、とても冷たいものだった。シフレを時間稼ぎに使って、その隙に作戦をランファくん達に伝えて。ランファくんには最後、もしかしたら共倒れになるかもしれない役目を背負わせた。
「僕は……僕は……」
昔から、思い当たる節はあった。
シフレは僕のことを『優しい』と思ってくれているらしいけど、それは違う。僕が家の中に入ってきた虫を殺さずに逃がすのは、ただ単純に、虫の体液で部屋を汚したくないからだ。シフレのことを褒めるのも、そうすれば彼女が喜ぶことを知っているからだ。
僕はいつも……どこか、人には無い冷たさがあったと思う。魔力不全のおかげで、周りから気に入られないと生きていけなかったから、人の顔色を窺うようになって。その結果、傍から見たら人が良い温和な男に見えるようになったってだけ。その胸中じゃいつも、どこか人を損得勘定している部分があった。
思えば、アーリン先生に近づいたのも、企みあってのことだった。回復魔法の権威である、先生の評判は聞いていたから。この人なら、僕の魔力障害を治せるんじゃないかって。結果は無駄だったけど。
「……メグミさん、どうしたかな」
……その時になってようやく、僕はメグミさんの存在を思い出していた。夜になって、ようやくだ。メグミさんは僕にとって……魔力を使えるようになる不思議な道具……その程度の存在でしかないんじゃないか? 僕の心に、そういう気持ちが少しでも無いと言い切れるか? ああ、ダメだ。一度自分の汚い醜い所に気が付くと、そこにばかり気が行って、ずぶずぶ深みにはまっていく。
そんな時だった。
「うぉーい、リオくん!」
ダバァン! ……と、大袈裟で大きな音を立てて、僕の部屋の扉が開かれた。
そこにいたのは――メグミさんだった。
「メグミさん……」
「せっかく事件が収束したのに、一人そそくさ部屋にこもるなんて……水臭いぞ」
メグミさんはいつものように、にへらにへらと笑いながら僕の部屋に入ってきた。僕の部屋を無遠慮に物色しながら、……具体的にはクッションの下や本棚の隙間、ベッドの下なんかをごそごそ覗きながら、会話を続ける。
「いやぁ、学生寮っていうの? いいねぇこういうの」
「そうですか?」
「うん。しっかしリオくん、あたしにくらいは部屋の場所教えといてくれても良くない? キミ専任の整体師だぜ?」
「……次から気を付けます」
と、メグミさんの雰囲気が変わった。何というか……少し緊張したような、張り詰めた感じに。
その雰囲気を纏ったまま、メグミさんは僕に質問をした。
「ねーぇ、リオくん。二つ聞いてもいい?」
「……何ですか?」
生唾を飲み込みながら、僕は重く頷いた。
そんな僕にメグミさんは真剣な目で――
「エロ本とか隠してないの?」
「隠してないですよ!?」
真剣な目で何聞いてんだこの人!
僕は愕然としながら、呆れから口をあんぐりと開けた。
メグミさんは快活にからから笑いながら、手を振って謝った。
「あっはっは、ごめんごめん。そっちも聞きたいけど、ホントに聞きたいのはこっち――今度は何を落ち込んでるの?」
――ッ。
僕は一瞬思考を止めた。
そして、少しの間俯いて、その後でおずおずとゆっくりとメグミさんに視線を合わせ、苦笑しながら答えた。
「……わかります?」
「わかるよー。今のキミ、初めて会った時と同じ顔してるもん。辛気臭い顔」
メグミさんは何でも見透かすような、曇りのない瞳で僕を真っ直ぐ射抜いた。僕はそれを前にして、たじたじになりながら、目を逸らすのが精一杯で。
どうしてこの人は、こんなにも、人の弱ってる所を突いてくるんだろう。初めて会った時も、今回も。
「お姉さんが話を聞いてやろう!」
そう言ってメグミさんはふふんと笑う。
……いいのかな。メグミさんなら、話しても。メグミさんは結局の所、別の世界から来た部外者、無関係な人だ。
……ってバカ! そういう風にメグミさんのことを考えるって、それ自体がもう僕が冷徹だってことになるんじゃないか……!? 今までメグミさんは僕に優しくしてくれて、魔法まで使わせてくれて……恩人なのに! どうして僕は――
「だー! ウジウジするくらいなら話しなさいメンドくさいなぁ!」
――そんなことを悶々と考え続けていた僕の頭部に、メグミさんの手刀が振り落とされた。脳天に受けた強い衝撃は一瞬、僕の悶々とした考えを吹き飛ばした。
だから、詰まっていたものが突然スポンと抜けるかのように、僕は心中を吐露し始めていた。
「冷徹だって言われたんです、学園長に!」
「あ、あの糸目最強先生?」
「え? あ、はい、多分……それ、です」
学園長が、メグミさんの中で変な評価を受けている。……まぁ、今はどうでもいいか。
僕はとりあえずそれは置いといて、話を進めた。
「僕、今日、魔人と対峙した時……シフレを捨て駒にするような作戦を実行させたんです。シフレは大事な幼馴染で、大事な人なのに……魔人を倒せるなら、って……」
「……ふむ」
「気づいたんです。今までもそういう所があったって。損得勘定だけで物事を考えて、切り捨てられるものは容赦なく切り捨てる……そういう面が僕にはある」
「ふむ」
「それがたまらなく嫌なんです……人を道具としてしか、見ちゃいない……そんな僕が、凄く嫌だ……」
「なるほどねー……」
すると、メグミさんは僕の肩に手を置いて、そのまま揉みほぐしてきた。
「てか、マッサージ……戦い終わってから、まだしてないっしょ。魔力使えないでしょ、今のままじゃ。やったげる」
僕はメグミさんにされるがままに、ベッドの上にうつ伏せに寝転がり、マッサージを受けた。しばらく、そのまま無言の時間が続き……窓の外から聞こえてくる夜風の吹く音が、やけに大きく聞こえた。そんな中、最初に話を切り出したのは、メグミさんだった。
「リオくんは……今、あたしのことを、自分が魔力を使うための道具だと思ってるかもしれない、って訳だ」
――その言葉に、僕は息が詰まった。視線が揺らぎ、喉奥で呼吸が訳のわからない塊になって、気管を塞ぐような感じがした。
僕は何も答えず、ただ俯くことしかできなかった。
そんな僕に、メグミさんは溜息を吐いて、そして、驚くほど優しい声で、言った。
「今は、あたし、そう思われてるのかもね。でもさ……あたしは覚えてるよ。リオくんに初めて会った時のこと。まだ、あたしがここが異世界だってことすら、信じてなかった時……あたしがリオくんの魔力をほぐせることも知らなかった時。リオくんがあたしにしてくれたこと」
「……何、しましたっけ」
僕は本当に、メグミさんが言おうとしていることがわからず、彼女を見上げながら率直にそう聞いた。
メグミさんは呆れ笑いを浮かべつつ、少しだけ強めに背中の真ん中辺りを親指でぐりりと押した。
「お腹鳴らしたあたしに、お昼ご飯のサンドイッチを全部くれたじゃん」
「……あ、あぁ。そういえば……」
そうだ……メグミさんが魔法陣から出てきたあの日。お腹が鳴ったメグミさんに、お弁当をあげたっけ。
メグミさんは僕の背中をぎゅぎゅっと押しながら、優しく声をかけ続けてくれる。
「あの時、あたしは、まだキミの役に立つかどうかもわからない……言っちゃえば、自称異世界出身の学園不法侵入女だよ。言い訳する余地もない不審者だよ。そんな、お腹を空かせた不審者に、キミはご飯をくれた……。あの時、リオくんにあたしを助けるメリットなんて無かったはずだよ。なのにキミは、あたしを助けてくれたんだよ?」
マッサージのおかげか、僕の血流が良くなったのか……僕の身体はポカポカと温かくなり始めた。
メグミさんの言葉が、更に続く。
「あたし、この世界に来て初めて会ったのがリオくんで、ホント良かったなって思ってるよ。優しいキミで良かったなって」
……温かくなり始めたのは、身体だけじゃない。胸の奥、心の底から……じんわりと、熱が灯っていくのがわかる。僕はつい、我慢できなくなり、ほんの少しだけ目頭を熱くさせた。
それを知ってか知らずか、メグミさんはなおも優しく話し続ける。
「自信持ってよ。確かに、あの糸目最強先生が言うみたいに、キミには冷たい所があるのかもしれない。けど、あたしは知ってる。リオくんの優しい所。それはさ……シフレちゃんも、同じなんじゃないかな」
「……はい」
それが今の僕にできる精一杯の答えだった。視界が滲み、鼻の奥がつんとする。そこに声まで震えたら……本当に、泣いてしまいそうだったから。
僕はただひたすら、それを我慢し続けた。
第三章も、これにて終了です。
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