2話 覚醒の鼓動
「よォ、魔法使えないくん」
いつも僕を苛むその声の主……ランファくんは、僕を睨みつけながら口角を吊り上げていた。
「……どうして、また……ランファくん……?」
僕は驚いていた。いつもなら、お昼休みが始まった最初の数十分程度で僕をいじめたら、もうそれから先は何も仕掛けてこないのに。
どうして、今日は。
「な、なんだリオくん。あの、目つきの悪い男の子達は」
僕の後ろで、僕のお弁当のサンドイッチをもごもごと頬張りながら喋るメグミさんの声が、やけに遠く聞こえた。
何故だろう。今は目の前のランファくんとその取り巻き数人が、いつもよりも恐ろしく感じた。多分、いつもはランファくん達の悪意に耐えるために、心に固く冷たい貝殻みたいなものを作っていたから。
だけど今は、メグミさんにあれこれ話して、自分の弱い所を少しさらけ出した後だから……心の貝殻が開いてしまってる。今いじめられたらきっと……僕は耐えられない。
そう、わかってるんだ。今は耐えられないってこと。なのに、足が動かない。恐怖により足がすくんでるわけじゃない。いつもの癖で、足が動くことを止めてしまっている。それでもいつもは心の貝殻があるけれど、今はそれが開いてしまっている。
……要するに、今の僕は彼らにとっての格好の獲物だ。
「よォ。魔法使えないくん」
「どうしたの、ランファくん……?」
ランファくんは僕の眼前に立って、真っ直ぐに僕を見据えた。
そんなランファくんを前にして、僕は。大変情けない話なんだけど、声が震え出さないか、それだけに全精神力を費やしていた。喉の奥がきゅっと縮まるような感覚に襲われる。今自分が息をできているかさえ、正直な所わからない。
ランファくんは僕を見下したまま、嘲るような口調でここへ再来した理由を話した。
「俺達が行った後さァ。この辺から、でかい音が聞こえてな。もしかしたら、お前が魔法が使えない分際で、身の程をわきまえずに当たり散らしてるんじゃないか……って、考えてなァ?」
「……大きな、音?」
「すッとぼけんじゃねェ!」
突然怒鳴り声を出すランファくん。
僕はきゅっと反射的に目をつむり、蛇に睨まれた蛙のように小さくなってしまう。
それと同時に、そのランファくんが聞いたという大きな音の正体に気が付いた。多分、メグミさんが転送されてきたあの魔法陣だろう。あの魔法陣は大きかったし、かなり大きな音を立てていたから。
とりあえず僕は己の無罪を主張する。
「……僕じゃないよ」
だけどランファくんは次の瞬間、僕のお腹を拳で殴りつけてきた。
「うっ……!?」
「嘘つくなよ」
お腹を押さえて前のめりになる僕の耳元で、ランファくんはそう囁いた。
その時、背後からメグミさんの声が響いた。
「ちょっとキミ達!? 何してんのさっきから黙って見てれば!」
……メグミさんは黙って見ていたつもりらしいが、全然そんなことはなかった。上述のやり取りの最中にも、メグミさんは僕の後ろから『おいリオくん、大丈夫か』『キミ、ランファくんって言うのか。背が高いな!』とか、うるさかった。
ずっと無視していたランファくんも、流石に大声を出されては無視できないみたいで。僕をドンと押し退けて、メグミさんの頭を鷲掴みにした。
「う、うわっ!?」
「さっきからうるせェんだよ。誰だお前は。この学園の奴じゃねェだろ。どこから入ってきやがった」
ガンを飛ばして凄むランファくんのその問いかけに、メグミさんは頭を鷲掴みにされながらも、気丈に言い返した。
「ふん! キミのような性根の芯から腐ってそうな男に、答える義理はないね!」
「あるわ。俺はこの学園の学生で、テメェは学園に侵入した不審者だろうが」
「……こっ、答える義理はぁ、無いねッ!」
「図星の反応じゃねェか」
その通りだった。メグミさんは図星を突かれたように、視線を右往左往させながら冷や汗を浮かべていて、誰が見ても焦っていた。
ランファくんは、メグミさんの頭を引き寄せ、更に眼光を鋭く、睨みつけた。
「ぐうの音も出ねェか?」
「なっ、何をぉ!? グーでもパーでもチョキでも出せるわぁ!」
「そういう意味じゃねェ!」
しかしメグミさんは、ランファくんの睨みにも臆さず、左右の手をグーチョキパーの形に変えてランファくんに見せつけていた。
「ほらっ、見ろ! 右手はグーで左手はチョキでカタツムリだぞ! 見ろほらっ!」
頭を鷲掴みにされながら、両の手でカタツムリの形を作るメグミさん。それにキレてるランファくん。なんともシュールな絵面だった。周りにいるランファくんの取り巻き達も、微妙な表情をしている。僕も多分似たような表情を浮かべていることだろう。
やがて、我慢の限界に到達したランファくんは、メグミさんから手を離し、両手で自分の黒髪を掻き乱した。
そして、舌打ちを一つしてから、言った。唇を残虐に、三日月形に歪めて、笑いながら……ゾッとするくらい冷ややかな声で。
「俺が何者か、手軽にサクッと教えてやるか」
そう言うとランファくんは、右の手を下に、左の手を上にして合わせた両手をメグミさんに突き出した。そして、そのまま直線状に両手をゆっくりと、左右に水平方向に離す。
すると、手が動いた軌跡上に、輝く刀剣が浮かび上がった。
「なっ、何もない所から、刀が……!?」
メグミさんは目を真ん丸に見開いて驚いた。
そんなメグミさんに、取り巻きの一人が下卑た笑みを顔に張り付けて説明した。
「見るからに田舎者っぽいもんなぁアンタ。それじゃ、魔法すら見るの初めてかぁ? 特別に教えてやるよ。ランファくんの魔法のイメージシンボルは刀だ。炎の魔法を使えば燃える刀が、水の魔法を使えば水の刀が出てくるんだぜぇ!」
その取り巻きの言葉に、ランファくんは頷いた。
「その通り。今俺が使ってるのは初歩的なただの攻撃魔法……この刀に特別な属性は付与されてねェ。それでも、刀としての切れ味は抜群だ。テメェの首程度、簡単に落とせる」
そう言うとランファくんは、その刀の切っ先をメグミさんに向けた。
「謝るなら今のうちだ。謝らなかったら……ま、殺しはしねェ。だが、この刀の峰で、殺すつもりでブッ叩く」
僕は今にも叫びだしたくなる衝動を抑え込みながら、メグミさんの方を見た。メグミさんは女性だし、周りを男の人に囲まれて、刀を突き付けられて、怖くないはずがない。
――もしもの時は、僕がメグミさんの代わりに。
しかしメグミさんは、僕の予想に反して、とても堂々としていた。先程の図星を突かれたような反応とは打って変わって、冷や汗一つすら流さず、正面からランファくんを睨み返していた。
「……ふぅん。好きにしなよ。あたしはキミに謝るつもりはないし、ブッ叩かれる覚悟もできてるよ。できるもんならやってみな?」
「ッ、テッ、テメェ……!」
ランファくんは、苛立った目でメグミさんを睨みつけた。
僕はその時、勝手に身体が動いていた。
このままじゃ、ランファくんはメグミさんを殴りつける。刀の峰で、殴ってしまう。それは多分すごく痛い。頭が割れて、血が出てしまうかもしれない。
嫌だった。僕の目の前で、メグミさんが傷つくことが。
嫌だった。僕の目の前で、ランファくんが誰かを傷つけることが。
嫌だった。僕の目の前で、僕が何も出来ないことが。
そう思った時、勝手に身体が動いていた。
「やめてっ、ランファくん!」
僕は強引にランファくんとメグミさんの間に挟まり、ランファくんを前にして、メグミさんを背に庇うように両手を広げた。
しかしランファくんは、僕なんかが立ち塞がった所で刀の魔法を解いてはくれない。
ランファくんの鋭い目が、僕の必死の視線とかち合った、その時。
僕の中で――何かが弾けた。
僕は考えるより先に息を吸い込んで、喉が張り裂けるような大声を出していた。
「やめてって……言ってるだろ!」
それと同時に、変化が起きた。
まず、僕の心の奥底で、何か大きな感覚が起きた。心の貝殻の中にいた何かが目覚めるような感覚。
そして、それと同時に一瞬、僕の内から目映い閃光が膨れ上がった。その閃光は、風船に息を吹き込んだ時のように広がり、ランファくんもその取り巻き達も、一斉に吹っ飛ばした。
『ぐあああああああっ!?』
ランファくんも取り巻き達も、僕とメグミさん以外の皆――僕の前方にいた人達が一斉に吹き飛んだから、僕は何が起きたのかがわからなかった。
だから、取り巻きの一人が叫び出すまで、僕はただ茫然としていた。
「おっ、おいお前! 何だ今の……魔力の放出は!」
魔……力? 僕に? 魔力?
僕は今の言葉が信じられず、つい聞き返してしまう。
「僕に、魔力……?」
「すっとぼけんじゃねぇ!」
また、別の取り巻きが叫んだ。
「お前、魔法が使えない、魔力不全の落ちこぼれじゃなかったのかよ! それがこんな……何の魔法も使ってない、ただの魔力の放出だけで、俺達を吹っ飛ばすとかっ……有り得ねぇだろォがよぉ!?」
そして、また別の取り巻きが、立ち上がったかと思うと、情けない声を上げて逃げ出した。
「おっ、おっ、俺は、何もしてない! 何も見てない! 普通は魔力の放出だけじゃ、リンゴ一個動かすのが限界だ! それがこんなっ、化け物魔力……こんな奴に、恨まれるようなことッ、俺はしてない!」
その一人の逃亡をきっかけにして、次々と取り巻き達が足早に逃げ出し始めた。
「お、俺もだ! 恨まないでくれ、エリオード!」
「いままでごめんっ、俺、お前がこんな魔力使えるとか知らなかったから!」
「ランファさん、俺も降ります! 付き合ってられねぇ!」
「なっ、テメェら待てよ!?」
ランファくんの制止の声も聞かずに、取り巻き達は全員が逃げ去った。
この場に残ったのは、僕とメグミさん、そしてランファくんの三人だけだ。
ランファくんは僕を再び睨みつけて、ぼそぼそと呟いた。
「ただの魔力の放出で人間数人を吹き飛ばす……常人では魔力の放出だけだと、リンゴ一個動かすのが限界……ッ」
そしてランファくんは僕を、怨嗟に満ちた表情で睨みつけて、たった一言――
「……隠しやがって、覚えてろ」
それだけ言い残して、ランファくんは去っていった。
少しでも何か感じるものがありましたら、評価や感想などお待ちしております。