1話 身も心もほぐされて
白い服に黒髪をポニーテールに纏めたお姉さんは、ひとしきり叫んだ後、肩で息をしながら辺りを見渡した。
そして僕の肩を両手でガシッと掴み、顔を寄せて質問してきた。
「……えっと、キミ。もっかい聞いてもいい? キミは誰で、ここはどこ?」
僕も困惑する気持ちを隠せないまま、狼狽えながら答える。
「えっと……僕は『リオ・エリオード』。ここは『リスドラルーク国立魔法学園』です」
「えっとつまり……ここは、リスドラルークって国の学校なんだね。そんでキミは……一応確認なんだけど、リオが名前でエリオードが苗字、だよね?」
僕は彼女の一つ一つ確認するかのような問いかけに頷いた。
するとお姉さんは、腕を組んでうんうん唸った。かと思うと、突然思い出したかのように口を開いた。
「あっ。あたしの名前は『燐導 恵実』。燐導が苗字で、恵実が名前ね。まぁ、好きに呼んでよ」
彼女はそう言って自分を指し示す。どうやら自己紹介をしたらしい。
僕は彼女の名前を脳裏に刻み、脳内で反芻。着実に記憶した。
「えっと、じゃあ……メグミさん」
僕がそう呼ぶと、メグミさんはニヤニヤと笑った。
「いきなり名前呼びかー、さては結構女慣れしてるな?」
「何の話ですか……」
メグミさんはふと、頭を左右に振った。他にも、自分の肌を撫でたり、鼻から大きく息を吸い込んだりし始めた。
「……? 頭ボーッとしてないし、肌ツヤツヤだし、なんか体調良いな。何でだ? 異世界セラピーってことか? 久々だなこんな体調良いの」
そしてメグミさんは何やらぶつくさと呟き始めた。
僕も僕でメグミさんについて気になることがあったので、質問をした。
「メグミさんは……この世界とは別の、違う世界から来たってことなんですか?」
さっきメグミさんはこう言っていた。『異世界召喚されたのか』と。
それに、さっきメグミさんが出てきた魔法陣。あれは結局、何の魔法が重ね描きされていたのかわからないままだ。だけど、もしかしたらあれは、色々な魔法を重ねることで時空や次元を捻じ曲げて、こことは別世界のものを転送する仕組みだったのかもしれない。
僕のその問いかけにメグミさんは、何やらグイグイと身体を伸ばす体操をしながら頷いた。
「そうみたいなんだよね……。少なくともうちの世界じゃ、魔法学園なんてない……というか、魔法そのものが無いんだ」
「えっ、魔法が無いんですか!? 私生活不便じゃないですか!?」
「案外人間、魔法使えなくても発展できるもんよ?」
「それはそれで……何というか、僕達が必死に魔法を覚えている現状とか日頃の努力とかが無駄って言われてるみたいで……」
「めんどくさいタイプの女子か」
「……? よくわかんないです」
「わかんないなら忘れて」
メグミさんはそう言って、からからと笑った。
僕は思う。彼女は快活で、よく笑う。後、多分、いい人だ。
と、その時。メグミさんのお腹が、ぐぅと大きな音を立てた。
「……あ、あ~。久々に食欲出ちゃった……」
メグミさんはお腹を押さえて、頬を薄く朱に染めながら、視線を逸らした。やっぱ、メグミさんみたいなタイプの人でも、お腹が鳴っちゃうと恥ずかしいらしい。
僕は手に持っていたお弁当箱を、丸ごと彼女に差し出した。
「よければどうぞ……これ。中にサンドイッチ入ってます」
僕の差し出したお弁当箱に、メグミさんの視線が真っ直ぐ注がれる。その瞳は、キラキラと輝いて見えた。彼女の口端からは薄くよだれが垂れそうになっている。どうやら、余程お腹が空いているらしい。
「いいの……? 少年、あたし、キミと知り合ってまだ一〇分も経ってないよ? やっぱ悪いよ……」
メグミさんはそう言って遠慮の姿勢を見せてきた。
だが、その言動とは裏腹に、彼女の両手はしっかりと僕のお弁当箱を鷲掴みにしていた。凄い力で掴んでいるようで、軽い揺さぶりでは僕のお弁当箱は揺らぎそうになかった。
僕は若干呆れながら、半笑いみたいな表情を浮かべていた。
「……遠慮するのか食べるのか、はっきりしてください」
「いや、その……口では嫌がってるんだけど、身体が言うことを聞いてくれないんだ……! 例えるなら『悔しい……でも感じちゃう……!』って感じで……」
「言っている意味がわからないです」
「純情だね。これからもそのままのキミでいて」
結局、メグミさんはサンドイッチを食べるのだろうか。食べないのだろうか。
僕は少しだけ語気を荒げてしまう。
「食べないなら、僕が食べちゃいますよ」
僕のその急かすような言葉に、メグミさんは明らかに慌て始めた。おろおろと視線をあちこちに彷徨わせながら、そこそこの長さのポニーテールを左右に振り乱す。
「えっ、あ、いや、でも……タダで施しを受けるのは悪いなぁ。……そうだ! あたし、えっと……整体師。整体師、やってんの! サンドイッチのお礼に、タダで整体したげるよ」
「整体?」
整体ってのは……要するに、マッサージ的なアレだよね? 行ったことはないけど。
メグミさんは腕をまくって、自信満々な顔をしていた。
「あたし、上手いよ? テクニックっていうの? 手先器用なんだ。いい感じに色々ほぐせるって評判の、未来のゴッドハンドだよ」
「自分で言います? それ」
「自分で言います。ほれ、そこのベンチでいいから、座って。あ、凝ってる所とか痛い所とか、ある?」
僕は促されるままにベンチに座り、準備運動のように指をパキパキ鳴らすメグミさんの質問に、されたままに答える。
「……肩とか、首の後ろの辺りとか?」
「ふーん。勉強疲れって所かな?」
「あ、まぁ……」
魔法が使えない分、魔力が使えない分、知識だけは……そう思って、夜な夜な頑張ってるんだ。そんなことまではメグミさんに言わなかったけど。
メグミさんはまず、僕の肩に手を触れた。そして、優しく指を動かした。そして、うわっ、と引いたような声を出す。
「うわっ。お地蔵さんの肩揉んでるみてーだ」
「よくわかんないんですけど……」
「石みたいにガチガチに凝ってるって意味。余程、頑張り屋なんだね」
……あれ? 今、僕、褒められた?
この学園に来てから、初めて褒められた気がする――いや、気のせいじゃない。この学園に来てからは、先生からは心配され、同級生からは嘲られ、いじめっ子からは罵られ、友達からは同情され。そんな毎日だった。
瞳の縁が熱くなるのを感じるが、必死で我慢した。泣いている所は、誰にも見られたくないから。
「……こんなガチガチになるまで、凄いねぇ。毎日勉強頑張ってないと、こんな風には凝らないよ。あたしなんて、一日に一度も鉛筆持たない日もあったのに、リオくんはいい子だね」
だが、そんな僕にはお構い無しに、メグミさんは僕のことを褒め殺しにしてくる。
後、この人めちゃくちゃマッサージが上手い。こんな気持ちいいのは生まれて初めてだ。
なんていうか……身体の芯の奥からほぐれていくような……。
だから僕は、つい気が緩んでしまって。気がつくと、口から言葉が溢れ出ていた。
「僕……魔法が使えないんです」
一瞬、僕の肩をほぐす指が止まった。
そして、その指が再び動き始めたと同時に、メグミさんの優しい声の響きが頭の上から聞こえてくる。
「ふぅん」
その響きが、本当に温かくて。僕はもう、言葉を止められなかった。
「普通じゃないんです……魔法が使えないのは。皆が当たり前にできることが、僕にはできないんです。どれだけ勉強しても、どれだけ練習しても。全く、使えるようになりません」
「そうなんだ」
「たまにいるらしいんです。魔力器官の障害とかで、身体に魔力が流れない体質の人が。生まれつき目が見えないとか、耳が聞こえないとか、ありますよね。それと同じで、僕は生まれついて魔法が使えないんです」
「うん」
「どうしてですかね。どうして、こんな風に生まれてきちゃったんでしょう。たまに思うんです。いっそ死んでやろうかって」
「へぇ」
「でも、僕が死んだら悲しむ人がいるんです。だから死ぬわけにはいかない。だから、こうしてずっと、生きて、生きて……苦しみ続けなきゃいけないんです」
「そっか」
メグミさんはずっと、僕の話を聞いてくれた。肯定もせず否定もせず、ただただ話を聞いてくれた。
たったそれだけだったけど、僕はとても救われたような気持ちになっていた。
「少年。終わったよ」
やがて、僕への整体を終えたメグミさんは、座っている僕の頭を横から掴んで、無理やり上を向かせた。
そして、メグミさんは満面の笑顔で笑った。
「どう? 軽くなったっしょ」
……肩も首も、信じられないくらいに軽くなっていた。けど、それ以上に……心が、スッキリと軽くなっていた。
「……はい。軽くなりました。色々」
どうやらメグミさんが、いい感じに色々ほぐせる未来のゴッドハンド……というのは、あながち嘘ではないらしい。
僕はメグミさんにお礼を言った。
「メグミさん。ありがとうございました」
僕はこのありがとうに、色々な意味を詰め込んだつもりだけど。彼女に少しでも届いてくれているだろうか……?
「うおっし! そんじゃあ、ランチタイムだぁ!」
……届いてくれているだろうか。
メグミさんは意気揚々と僕のお弁当箱を開けて、しめしめと舌なめずりをしていた。
僕はつい、苦笑いをこぼしてしまう――と、その時。
「よォ、魔法使えないくん」
声が、聞こえた。
ずっと僕を苛み続けた、あの声が。さっきまでも、僕をいびっていたあの声が。
「……どうして、また……ランファくん……?」
さっき去っていったはずのランファくん達が、再びこちらに戻ってきていた。
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