14話 幼馴染の清と濁
結局、あの後……魔法実技の授業の後、リオとは話していない。
というより……話せなかった。もう今となっては、誰か知らない女の人に背中を触られていたこととかは気にならない……いや嘘。めちゃくちゃ気になるけど。めっちゃくちゃ気になるけどっ!
でも今は……それよりも今は……リオが魔力を使えたことの方が、重大だ。……あの、どこの馬の骨とも知れない知らない女の人のことも重大なんだけど、とにかく今はリオの魔力だ。
「……シフレちん」
学園内の喫茶スペースにて。
あたしの前に座るネミコが、コップに入ったいちごオレをストローで吸いながら、困り眉であたしを見てくる。
あたしは紅茶を一口啜ると、パンケーキにナイフとフォークを突き刺しながら、独り言のように言葉を綴り始める。
「……本当に、嘘みたいだった」
「リオちんが魔力使えたこと?」
ネミコの問いに、あたしは黙って頷く。
「生まれた時から一緒だった。将来の夢を語り合った時も……魔力障害がわかった時も……」
「……つまり?」
「わかんないの……。リオのことなら何でも知ってるつもりだった。何でも受け止めるつもりだった。なのに……なんか、リオが魔力を使えたってことに……凄く、モヤモヤしてる自分がいて……それが一番、嫌だ」
ネミコは何も言わずにショートケーキのイチゴを口に運んだ。
あたしはティーカップを手に持ったまま、震え始めた声で続ける。
「だってさ。リオが魔力を使えたんだよ。普通なら……きっと、一緒になって、大はしゃぎして、喜ぶのが当たり前じゃん。それが、一番の……、……友達って、もんじゃん。だけどさ……素直に喜べない。そんなあたしが、一番嫌」
唇を濡らす程度にティーカップに口をつけ、続きを話した。
「あたし、リオにずっと魔法が使えないままでいてほしかったのかもしれないの……。……だって、……そのままなら、リオはさ。……多分、ずっと……あたしの近くにいてくれるでしょ……?」
あたしは遂に、心の奥の奥の底の底に、ヘドロみたいに澱んでいた心象を告白した。
自分で口にして、初めて自分でも心のモヤモヤの正体がわかった。
そう……ただ単に、あたしは、リオに遠くに行って欲しくないだけ。そのためなら、リオの夢なんて叶わなくたっていい、って……そう思ってる、邪な女だったんだ。
(……反吐が出る。一番の理解者って顔しておいて)
カップの中の紅茶に映るあたしの顔は、カップを持つ手が震えているせいか、醜悪に歪んで見えた。
その時……ネミコは、呆れたようにため息を吐いて、身を乗り出し、あたしの額を指でピンと弾いた。
「痛っ」
額を押さえて呻くあたしを見て、ネミコは苦笑した。
「おばか」
「だ……誰がおばかよ」
「シフレちんだよ」
ネミコは残りのショートケーキをフォークで突き刺し、一口で飲み込むと、やれやれと両手を上げて首を横に振った。
「シフレちんはさ……。ああ、もう、言いたいこと色々あるんだけどさ……。まず……シフレちんは、そんな子じゃないよ」
「でも……だったら、リオのこと喜んでる……」
そう反論するあたしを手で遮って、ネミコは呆れたように溜息を吐いた。
「はぁ……。だからさ、シフレちん。確かに、魔力障害があったリオちんが魔力を使えましたってことは、喜ばしいことだけど……だからって、手放しで喜べることでもないでしょ?」
そう言いながら、ネミコはあたしにフォークの切っ先を向けて、半眼で見つめてくる。
「魔力障害が、魔力を使えるようになった。それってつまり、今までのが誤診だったってこと? それとも、誰かがリオちんの身体に何かしたのかも? それか、リオちん本人が、何かヤバいことに手を出したのかも? ……そういうことを考えて、心配すれば……喜んじゃいられないよ」
「……けど、あたしは」
また、口を衝いて出たあたしの反論に被せるように、ネミコはあたしに聞いた。
「リオちんのこと、心配もしてるんでしょ?」
……あたしは、自分の気持ちがわからなかった。だから、肯定もせず否定もせず、俯いた。
「心配も、あるけどさ……けど、やっぱり、それだけじゃないんだよ」
「独占欲もあるってこと?」
あたしは黙りこくった。黙ったまま、ティーカップの中で揺らぐ紅茶の水面を、見つめ続けた。
ネミコにとっては、あたしのその沈黙が何よりの答えに受け取れたらしく、また呆れ笑いを繰り返して言った。
「あのさぁ……シフレちん。人ってのはさ。善性、悪性……どっちかしか無いわけじゃないんだぜ? 独占欲がホントのことで、シフレちんの悪性だとしても。リオちんを心配してるのも、ホントでしょ。ならそれは、シフレちんの優しさで、善性……。シフレちんは、シフレちんが思ってるほど、ジコチュー女じゃないよ」
清濁併せ呑むってやつだね――ネミコは最後に誇ったような顔でそう言って、いちごオレを飲み干した。
あたしは、ネミコの言葉が確実に心内に響き、悩んでいたことがポロポロと剥がれていくのを感じていた。
「後さ……シフレちん。リオちんのこと、好きすぎ」
「……そんなんじゃないし」
あたしはネミコの軽口にようやく、辛気臭い顔を振り払い、笑顔で返すことができたのだった。
紅茶を一息で飲み干し、ふと窓の外を見ると、例の謎の女の人に首根っこを引きずられるリオが見えた。そのリオの姿に、ネミコも気づいたようで、
「ほら、行ってきたら」
と、あたしを目線で促した。
あたしは席を立ち、ネミコに改めて礼を言う。
「……ありがと、ネミコ」
「親友でしょ、うちら。相思相愛」
そう言ってネミコは、親指と人差し指を交差させる……いわゆる指ハートを両手で作り、ウインクをした。
それが少しおかしくて、つい噴き出してしまう。
「ふふっ。ネミコ……愛してるよ」
「よせやい照れるぜシフレちん。……それ、リオちんに言ってあげな?」
「だからそんなんじゃないから!」
あたしは半ば怒鳴るようにそう返すと、二人分のお茶・ケーキ代を机の上に置いて、喫茶スペースを出たのだった。
△▼△▼△▼
「リオ!」
メグミさんに引きずられるまま、学園内を彷徨っていた僕の耳に、シフレの声が飛び込んできた。
僕が顔を上げると、そこには……やや頬を紅潮させているシフレが、ややキツめの目つきで僕達を睨みつけていた。
「……ちゃんと、説明して」
「うん……そのつもりで、探してた……」
「そっ、か……。後、ごめんね。避けちゃって」
「気にしてないよ」
僕はそう言って笑うが、自分でもその笑みがぎこちないものになっているのがわかる。
ええいままよ、と僕はシフレに切り出すことにした。
「シフレ!」
僕は彼女の名を叫び、その声に驚いたシフレを真っ直ぐ見つめて言った。
「全部、話すから……どこか、静かな所に行こう」
「なら医務室に行こう。医務室なら美味しいお茶もお菓子もある!」
と、メグミさんが突然割り込んできて口を挟んだ。
シフレに目線で『それでいい?』と伺うと、シフレはメグミさんの存在に狼狽しながらも頷いてくれた。
「決まりだね」
メグミさんは満足気に頷き、僕とシフレを引き連れて、我先にと医務室へと歩いていった。
「それじゃ、出発進行!」
「……ねぇ、リオ。この女の人、いつもこうなの?」
「いつもこうなの」
まだ出会って二日目だけど――僕がそう付け足すと、シフレはピクリと眉を動かし、そして僕とメグミさんの顔を二度見三度見し……意を決したように僕に質問を、若干震えた声で繰り出した。
「……今の内に聞いといていい?」
「何?」
「二人は……その、……こここっ、恋人とかじゃ……な、い、ん……だよね……?」
「そんな訳ないじゃん」
苦笑混じりに僕がそう返すと、シフレはわかりやすく安心したように胸を撫で下ろしていた。
しかし、どうしてシフレが僕とメグミさんが恋人関係であるかどうかを気にするんだろう。幼馴染だからかな。
メグミさんの方を見ると、メグミさんはやけにニヤニヤとした顔を僕達に向けていて、ほんのちょっぴりイラッとした。
そんなことを考えていたら、メグミさんの「到着ー!」という威勢のいい声と共に、医務室に着いたのだった。
△▼△▼△▼
「微熱だな。特に心当たりねーってことなら、ちょっと疲れてるとかだろうし……。この栄養剤飲んで、医務室で寝てな」
医務室にて――メグミ達が到着する数分前。アーリンは、体調不良を訴える学生を診察し、液体タイプの薬を支給した。濃い茶色の瓶の中で揺れる液体を、学生は黙って受け取り、一息で飲み込む。独特の匂いと甘さが舌の上に絡みつき、学生はアーリンに水を求めた。
「ほい、水」
アーリンの持ってきたコップを受け取り、これもまた一息で飲み込んだ学生は、そのままベッドの上に寝転がり、目を閉じた。
「ゆっくり休めよ――『ランファ・ミドゥーファ』」
アーリンは、その学生の名を呼んだ。
学生は――ランファは、ぶっきらぼうに返す。
「わかってる……」
「先生には敬語を使え」
「だったら見た目もっとどうにかしろよ……ガキにしか見えねーんだよ」
ランファはそう言いながら布団を頭から被った。その際に、乱暴に扱ったために埃が舞い、アーリンは顔を顰めて咳をした。アーリンは表情を顰め面に強ばらせたまま、ベッドに備え付けられている青色のカーテンをやや乱暴に閉めた。
すると、医務室の扉をガラガラと開け放つ音がした。それと同時に飛び込んでくるのは、ランファにとっては腹立たしい女の声――
「到着ー!」
――メグミの声だ。
ランファはそれに気づき、無意識的に息を潜めた。鼻で呼吸をするよう努め、耳を澄ます。カーテンによってベッドから見える視界は全て覆われているため、耳を澄ませるしか、医務室の中の様子を伺う手段は無かった。
と、早速、アーリンがメグミに憤る声が聞こえてきた。
「テメェ、クソガキ……私の高級クッキー勝手に開けて食いやがったな……!?」
「……な、何のこと?」
メグミの声がビクついた。
「しかも紅茶も雑に入れて雑に飲みっぱ……カップに付いた茶渋、こびりついて取れないんだが……?」
「……な、な、ななな何のことやら」
メグミの声が震え始める。
「しかも食べかすボロボロボロボロ散らかしやがって――テメェ待てゴラァ!」
どうやら説教の途中で、メグミは逃げ出したらしい。再び扉をビシャンと開け放つ大きな音と共に、二人分の走り去っていく足音がランファの耳に届いた。一つは逃げ去るメグミ(とは言ってもランファはメグミの名前を知らないが)、もう一つはそれを怒りの形相で追いかけるアーリンのものだろう、とランファは推測した。
(……ったく、やっと静かになった)
ランファは静まり返った医務室で、ため息を吐こうとした――その時。
「本当に騒がしい人だね、あの人」
「あはは……まぁ、傍から見てて楽しいよ」
二人分の声が耳に届いた。
それを聞いた瞬間、ランファは吐きかけたため息を寸前で抑え込み、無理やり飲み込んだ。
「……メグミさんは逃げちゃったけど……とりあえず、話すね。僕がどうして魔力を使えるようになったのか」
ランファは目を見開いた。
そして、草陰に潜み草食獣を狙う肉食獣のように息を潜めて、身動きを最小限に抑える。
(この声……アイツらだ)
ランファにはすぐにわかった。この声の持ち主が誰なのか――リオとシフレだ。
シフレは少しだけ緊張したような、掠れた声音を喉奥から絞り出した。
「……うん。お願い」
「……声、掠れてるよ。何か飲む?」
「いらない。早く話して」
「うん」
ランファは確信した。
これはチャンスだ。奴の魔力の秘密について窺い知ることのできる、絶好のチャンス。このまま息を潜め続け、秘密を一言一句漏らさず聞き取り、記憶に定着させる。
ランファの目に、野心の炎が一瞬揺らめく。
そしてリオは話し始めた。カーテンの向こう、ベッドの上で、ランファが聞き耳を立てていることも知らずに……。