10話 恋する乙女の幼気な劣情
夢を見た。小さい頃の、幼い記憶。多分……三歳……もう少し多めに見積っても、五歳くらいかな。
その夢の中で、彼――リオ・エリオードはこんなことを言っていた。
「ぼくは、絶対【開闢者】になる!」
……まだ、幼かったから。身の程知らずな夢を叫んでいた。【開闢者】なんて、非現実的な夢。
その時、リオの隣にいた、リオとは幼馴染に当たるあたしは「きっとリオならなれるよ!」と、天使が主人公の絵本を抱きしめながら微笑んでいた……何も知らずに、ただ無邪気に。
ああ、そうだ……幼い頃は、あたしがちょっと泣き虫で……リオは、そんなあたしをよく慰めてくれたり、守ってくれたりしてたんだ。
けど……リオの魔力器官に障害があるとわかってから。リオは変わってしまった。何かある度に塞ぎ込むようになった。
だから……そんなリオが見ていられなくて……あたしも、変わらざるを得なかった。守られる側から、守る側に。
だから、リオと同じ学園に行って。リオを守るために、あたしがクラスの委員長になって。
だけど、結局、根本的な所は何にも変わらなかった……変えることは、できなかった。
「……夢か」
朝。あたし――『シフレ・レグナソルテ』は、そんな夢を見ていた。
その目覚めは……良くはなかった。
寝起きのせいか、瞳の縁に浮かんでいた涙を指先でそっと拭い、起き抜け一番、深めの溜息を吐いた。
△▼△▼△▼
「リオ……何かあったのかな」
あたしは女子更衣室で着替えながら、さっきのことを思い出していた。
いつも、魔法実技の前は、リオは憂鬱な気持ちで塞ぎ込むし、周りはそんな彼をいじめるから……だから、あたしがいつもみたいに、降りかかる火の粉を払うみたいに守ろうと思ってたら……。
『シフレ……見てて。僕、今日から凄いから』
そんなことを言われたのだ。真っ直ぐ、目も見つめられて。……少しだけ、あの時のリオの顔を思い出して、頬が熱くなる。
あんな自信満々な顔……久しぶりに見た。それこそ、今朝夢に見た、あの頃以来かもしれない。
あたしが何か、いつもとは違うリオの様子にただならぬものを感じていると……。
「またリオちんのこと考えてんのっ?」
と、背後から突然誰かに抱きつかれた。それと同時にふわっと香る、イチゴのような爽やかで甘酸っぱい匂い……あたしは心当たりのある人物の名を口にした。
「違うし……『ネミコ』」
「嘘つけー」
振り返ると、そこにはやはり想像通り――イチゴのヘアピンをつけたボブヘアーの黒髪に、エメラルドのような緑眼に白い肌を持つ、同い年の女の子『ネミコ・エニロチコ』が、下卑た笑いを浮かべながら、あたしに背中から抱きついていた。
「全く、恋する乙女はフクザツですなぁ。飴ちゃん食うか、シフレちん」
「そんなんじゃないから! ……飴は食べる」
「それくらいリオちんにも素直になればいいのに」
「うっさいな、もう!」
あたしはネミコの手の中から飴をひったくるように取り、口の中に放り込んだ。甘酸っぱいイチゴ味が口の中に広がって、頬の内側がキュッと縮まるような感覚が走る。その感覚にあたしはつい、口をすぼめた。
「おいしい?」
「おいしい。ありがとう」
抱きついてきたまま、あたしにそう尋ねてきたネミコ。あたしは飴を舌の上で転がしながら礼を言った。
彼女はあたしの、この学園での一番仲のいい友達だ。誰とでも分け隔てなく接する彼女は、上級生や先生にも気に入られており、中々顔が広い。いじめられているために腫れ物扱いされることが多いリオにも、ネミコは飴をあげたりして仲良くしてくれている。
……後、小耳に挟んだが、距離感の近さから、いわゆる恋愛的な勘違いをしてしまう男子も少なくないらしく……告白された人数はかなりのものらしい。……リオはそんな、勘違いとかしないとは思うけど……頭は良いしね、リオ……いや頭以外にもいっぱい良い所はあるけど。
「ねぇ、ネミコ」
あたしはネミコに聞いてみた。さっきリオに言われた、『今日から凄いから』って言葉の真意……この言葉について、どう思うかどうか……。
さっきあったことを噛み砕いて伝えると、ネミコは左手の親指と人差し指を顎に当て、まるで探偵か何かのような役になりきるようにして、推理ごっこを始めた。
「ははん。ははーん。ははははーん」
「何かわかった?」
「いや。ははははーんって言いたいだけ。なぁんもわからん」
「ネミコに聞いたのが間違いだった……」
「あーん待ってシフレちん失望しないで見捨てないで〜!」
「あーもうわかったからそろそろ抱きつくのやめて着替えらんないから!」
ぐいっと額の辺りを右手で押すと、ようやくあたしの身体からネミコは離れた。その内に素早く着替え、更衣室から廊下に出た。ネミコも急いで着替えて出てきたので、そのまま一緒に、魔法実技の授業が行われる第二グラウンドに向かった。
歩きながら、さっきの話の続きをネミコから始めた。
「今まではリオちん、魔法が使えなかった訳でしょ」
「うん」
「ならさー……魔法、使えるようになったんじゃね?」
「……まさか。あたし、自慢じゃないけど、幼馴染だから。リオとは生まれた時からずっと一緒にいるんだよ」
「ホントに自慢じゃないね。恋する乙女の心理としては、自慢したいのはわかるけど」
「そういうことじゃない! 話戻すよ! ……魔力不全のことだって、ずっと知ってるし、一緒に調べてみたりもした。こんなこと、あたしの口から言うようなことじゃないけど……絶望的だったの」
「じゃあさー」
ネミコはあたしの数歩先を歩き、振り向いた。
「ようやくシフレちんの魅力に気づいて……いい所見せようとしてるとか」
――その言葉は、あたしをフリーズさせるには充分だった。ピタリと歩みが止まり、頬に熱が集まっていくのを感じた。
先程のリオの言葉が脳内で反芻される。それはどこか、さっきまでと違い、謎のエコーがかかり、脳内にこだまして、じんわりと染みていく。
「……いや、それは無いでしょ」
やっとのことで、ネミコにそう返すと……彼女は下衆っぽくニヤニヤしながら、口に手を当てて目を細めていた。
「その割には、口元がニヨニヨしてますけどーぉ? ……本当、よくそれで隠してるつもりでいるよねシフレちん」
「……何の話だか、あたしにはさっぱり……」
「はいはい、そーいうことでいーですよー」
ネミコはそう言いながら、あたしから逃げ去るように第二グラウンドへと走っていく。あたしもつい、そのノリに乗ってネミコを追いかける……その時。
「……え?」
見てしまった。その道中にある、ベンチで……リオが寝っ転がってて、知らない女の人……長い黒髪をポニテに纏めた美人な女の人に……え、何あれ……背中を触らせて……え……?
気がつくとあたしは、足先をネミコからベンチの方へと向け、ゼンマイ仕掛けの歩く人形のような不格好な歩き方で、リオがうつ伏せで寝ているベンチへと近づいていく。
すると、二人の仲良さげな会話が聞こえてきた。
「いやー、リオくん、意外と見た目よりがっしりしてるよね。筋肉ついてる」
「まぁ、魔力使えなかった分、身体の方鍛えてましたから。体質なのか、筋肉つきにくいんですけど」
「いやいや、充分だよこんだけあれば。いやぁ、男の子なんだねぇリオくんも」
「僕のこと何だと思ってたんですか……」
「いやいや褒めてるんだよー。ホント、お姉さんドキドキしちゃうよ」
「それはどうも」
何……何してんの……!?
あたしは物陰に隠れて、リオと女の人の様子を伺い続ける。
えっと……リオの背中に、女の人がまたがって……背中をさすってる……? え、何あれ何あれ……何してんの……?
「凝ってる所ございませんか、お客様ー」
「昨日も今朝もやってもらったんで、ほぐれてますよー」
お……お客様……? 昨日も今朝も……やってもらった……? 昨日も今朝も……あの女の人に、何をやって……何をヤッてもらったのよリオ……!? ていうか、お客様って……いかがわしいお店の出張サービス的なヤツだったりするの……!?
クラスの男子の下品な話題を思い出し、あたしの唇はわなわなと震え出した。
そして、あたしは気づいてしまった。あの女の人……かなり胸が大きい。
あたしは自分の胸を見下ろして、あの女の人と見比べた。……あたしは、下を向くと今自分が履いている靴のデザインがハッキリとわかるくらいには、その……成長途中の発展途上だけど……あの女の人は、下を向いたら自分の胸元で靴が見えなさそうだ。
えっ、やっぱりリオも大きい方がいいの……? 男の子って皆そうなの……!?
ああもう、我慢できない……!
あたしは意を決して、今にも震え出しそうな膝を精神で抑えつけながら、二人の前に姿を見せた。
「あ、シフレ――」
そのままあたしは、あたしに気づいたリオを無視して、二人をそれぞれ指さして、大声で叫んでしまった。
「このっ……泥棒猫ッ……浮気者ーッ!」
「「えっ待って何の話!?」」
二人の驚愕の声がハモり……そのハモりさえも、二人の仲の良さ、仲の深さの証明に感じ……あたしは余りのショックに、背中から倒れて気を失った……。