9話 シフレ・レグナソルテ
第2章!ようやくメインヒロイン登場です。
夢を見た。小さい頃の、幼い記憶。多分……三歳……もう少し多めに見積っても、五歳くらいだろうか。
その夢の中で、僕はこんなことを言っていた。
「ぼくは、絶対【開闢者】になる!」
……まだ、幼かったから。身の程知らずな夢を叫んだ。【開闢者】になる、だなんて、非現実的な夢。
その時、僕の隣にいた、僕の幼馴染の女の子は「きっとリオならなれるよ!」と、天使が主人公の絵本を抱きしめながら満面の笑みをくれた。
この時はまだ、僕が魔法を使えないのは、まだ本格的に勉強していないからで……いつかは使えるようになると思ってた。魔法を覚え始めるのも、早くても七、八歳からの人が多いから。
けど、現実は思ってる以上に手厳しかった。
『あー……こりゃダメだ。魔力器官が反応してない。障害があるね』
いつまで経っても、魔力の一端すら見えない僕を心配して、母が病院に連れて行ってくれた。九歳くらいの時だ。
そこで、お医者さんにそう言われた。魔法はきっと、生涯使えることはないだろう……とも。
その日、家に帰ってからの母さんの泣き顔は、今でもよく覚えてる。父さんの、絶望と苦渋に塗り潰された、残酷なほど優しい顰め面も。
『ごめんね』『真っ当に産んであげられなくてごめんね』『こんなお母さんでごめんね』
『俺がタバコを吸ってたからかもしれない』『俺が悪い……』『ごめん、すまない』
毎日毎日、両親は僕に謝ってきた。涙を流しながら、僕の金髪を優しく撫でながら……。
僕が何を言っても、聞いちゃくれなくて……謝ることをやめてくれなくて……それがまた辛くて。
母さんも父さんも悪くない。僕が悪いんだ。僕がちゃんと生まれていれば、こんなことにはなってない。僕なんて……生まれなければよかったんだ。
そんな言葉が、胸中に渦巻き続け、心を鎖のように雁字搦めにして閉じ込めた。
決して、これらの言葉は口には出さなかった。この言葉を口にしたら、もっと両親は悲しむだろうから……。だから、その代わりに、精一杯強がって、精一杯笑って、『大丈夫だよ』と言った。何度も何度も謝り続ける両親に、何度も何度も言い聞かせるように。
そして僕は、魔法が使えない代わりに、勉強を頑張ることに決めた。熱が出ても、眠たくても、勉強をした。その甲斐あって、僕がリスドラルーク国立魔法学園に入学できた時……二人は凄く喜んでくれた。学園の寮に引っ越すために実家を出た時、二人は涙を流しながら、心から嬉しそうな顔で、僕を見送ってくれた。あの日、病院で僕の魔力器官の障害が見つかって以来……久々に見る、晴れやかな笑顔だった。
だから……言い出せなかった。僕が学園でいじめられてること。やっぱり、魔法が使えないと、どうしようもならないこと……。
「母、さん……」
そう無意識に呟いた、自分の寝言で目が覚めた。
……寝起きのせいかな。少し視界が滲んでいた。
△▼△▼△▼
「おっ。おはよ、リオくん」
「……メグミさん」
起きた時、僕は医務室のベッドで寝ていた。
……そうだ、そうだった。僕とメグミさんは、とりあえずアーリン先生の医務室で眠ることになったんだ。僕には寮の部屋があるけど、メグミさんの部屋はまだ決まってなかったから……アーリン先生がこの医務室を解放してくれたんだ。
「リオくんはコーヒー飲める人?」
メグミさんがマグカップを差し出してきた。そこに入っているのは、湯気の立つ真っ黒な液体……昨日、メグミさんが学園滞在許可証に零したものと全く同じ、ブラックコーヒーだ。コーヒーの芳しい香りが、起き抜けの僕の鼻腔をくすぐった。
「……昨日、あんな盛大に零しておいて……懲りてないんですか?」
「あっはっは。どれだけコーヒーでやらかしたとしても、朝のコーヒーは止めらんないよー。……で、コーヒー飲む?」
と、メグミさんがずい、とマグカップを鼻先近くまで押し寄せてきた。というか、鼻の頭にマグカップがぶつかった。その時、熱々のコーヒーが入ったカップを当てられたものだから、つい僕は「熱っ!?」と叫んで体勢を崩し、ベッドから落ちてしまった。
鼻の頭を押さえながら、僕は若干涙目でメグミさんを睨みつけた。
「……砂糖とミルク、入れてください」
そして僕がそう言うと、メグミさんはニタッと笑った。
僕は何だか、ブラックが飲めないということを見透かされ、バカにされたような気がしたので、またぶすっと仏頂面になってしまう。
メグミさんはコーヒーをマグカップに注ぎながら、僕にまた聞いてきた。
「砂糖は、角砂糖何個分?」
「……三個で」
「太るよ?」
メグミさんは先程までのニタリ笑いを止め、若干引いたような顔になる。
僕は仏頂面のまま、メグミさんに反論した。
「朝の糖分は脳の活性化にいいんですよ」
「糖分の摂りすぎは脳の働きを鈍らせるよ」
「……いいじゃないですか、好きなんですから甘いのが!」
それに、苦いの飲めないし!
僕がそう付け足すと、メグミさんはまたニターッ、と笑いながら、コーヒーの入ったマグカップを差し出した。
「素直に見栄を張らずにそう言いたまえよ、リオくん。はい、ミルクと砂糖たっぷり入れといたコーヒー」
「……ありがとうございます。でも、別にそんな見栄を張ったつもりは……」
「ホントに無かった?」
「……ありました、けど。ありましたけどッ、何か悪いんですか……!?」
あまりの羞恥心に、僕がつい俯きながら赤面すると、メグミさんはにまにまを最高潮にしながら、バシバシと僕の背中を叩いてきた。
「あっはっはっ、可愛いなぁリオくん、可愛い可愛い」
「嬉しくないです! 痛いし! コーヒーもこぼれちゃう!」
わしゃわしゃと髪を掻き乱すように撫でられ、僕はつい大声を張り上げてしまう。
しかし、メグミさんは意にも介さず、ケラケラ笑いながら僕にちょっかいを出し続ける。
「その辺にしとけ、クソガキ」
と、横から幼いながらも不機嫌そうな冷たい声がメグミさんを突き刺した。アーリン先生だ。
アーリン先生はコーヒーに口をつけながら、トーストを齧り、メグミさんを睨みつけていた。
「お前は本当に騒がしいな朝から。私、お前と会って間もないのに、もうお前と距離を置きたいぞ」
「そんなこと言わないでよ先生〜」
「あーうっぜマジうっぜ」
ぺろっと舌を出しながら、ちょっかい相手をアーリン先生に切り替えたメグミさん。そのままちょこちょこと先生の後を付いて回り、ウザがられていた。
しかし、ウザがりながらも、先生は昨日のようにメグミさんにメスを投げたりはしていない。それを見るに、先生も割と満更ではないのだろう。
「……何ニヤニヤしてやがんだエリオード」
と、僕を睨みつけて、先生は低い声を出して唸った。
僕がそんな先生の様子につい、笑みをこぼしていると……ふと、思い出したように先生が、
「そういやエリオード。今日、魔法実技の授業はあんのか?」
と、聞いてきた。
魔法実技。それは文字通り、魔法のことを実践的に学ぶ授業。今までは僕は魔力が使えなかったから、何もできなかったけど……今日からは、メグミさんがいるから……!
メグミさんの方を向くと、彼女は口をあんぐりと開けて、リンゴジャムを塗ったパンを頬張っていた。
僕は半ば力が抜けるような感覚に陥りながらも、先生の質問に答えた。
「今日は、三限目と四限目に」
「そうか。……ま、とにかく。今日、この日からお前の挽回が始まる訳だ。ちゃんとこのクソガキにマッサージしてもらえよ」
アーリン先生は僕にそう、優しく声をかけたのだった。
△▼△▼△▼
魔法実技の授業は大抵、屋外で行われる。汚れてもいい、動きやすい服装に着替えて、各々、先生に見てもらいながら、自分の魔法の研鑽を積むのだ。
「各自着替えて、第二グラウンドに集合するように」
実技担当の先生――『ノーマン・ロイゼンベルト』先生の、やや威圧的な老声が、教室で教科書などをいそいそと片付ける僕達学生に向けられる。
僕もまた、周りと同じようにいそいそと片付け、着替えながら、いつもは何もできないために憂鬱な実技の授業に、少しだけ期待を膨らませていた。
と、その時。後ろから、何かがコツンと後頭部に当たった。これは……紙くず。
後ろを振り向くと、そこには案の定、ニヤニヤと悪辣な笑みを貼り付けたクラスメイトの男子が数人、僕を嘲笑っていた。
「エリオード、お前実技また出んのかよ」
「魔法使えねぇのになぁ、何の意味があんだよ!」
「テメェみたいな落ちこぼれ、とっとと辞めてもらった方が俺達も嬉しいんだよ!」
「お前なんかと同じレベルだと思われたくねーもんな!」
ギャハハハハハ……僕の鼓膜を揺らす、その笑い声。いつもなら、それに萎縮し、落ち込むことしかできない僕だけど。
今日は違った。真っ直ぐ前を向いて、彼らの嘲笑顔を一つ一つ、見つめて、笑い返す余裕さえある。
この心の余裕は……いつもなら真っ先に僕をなじるランファくん達が、今日はやけに大人しかった……それが関係しているのは事実だけど。彼らにとっては、昨日の僕の魔力の放出が、随分と衝撃的だったみたいで……何だか少し、背筋がむず痒い。
嘲笑を続けるクラスメイト達に、僕が口を開きかけた――その時。
「ちょっとアンタ達!」
横から割り込む、女子の声。
「またリオに何かしてんじゃないでしょうね……!?」
凄みを利かせたその声に、男子の一人が慌て始める。
「うわっ、やべぇっ、委員長だ!」
その声と共に、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した男子達。
そして、男子達と入れ替わるように現れたのは――絹のように綺麗な長い白髪を二つに結んだ、青い目を持つ女の子……。
「リオ、大丈夫?」
「うん。ありがと――『シフレ』」
僕が彼女の名――『シフレ・レグナソルテ』の名を呼ぶと、シフレは照れたようにそっぽを向いて、白い髪をくるくると指に巻き付けながら言った。
「別に……ただ単に、アイツらがリオに嫌なことしてると思ったから、委員長としての役目を果たしただけ。別にリオのためじゃない。これがあたしの仕事だから」
素っ気なくそう言い切ったシフレだが、彼女が指に髪を巻きつけている時は大抵、本心と逆のことを言っている時なのだ。つまるところ、シフレは僕を心配してくれていたわけだ。
僕はそれが微笑ましく、クスリと笑うと、じろりと青い目を細めて睨まれた。シフレは怒るとかなり怖いのだ。これ以上彼女を怒らせないよう、僕は笑い顔をすごすごと引っ込めた。
そして、何故僕がそんなに彼女に関して詳しいのかと言うと。それは――
「何笑ってんのよ――リオとあたしは、たっ、ただの幼馴染で、腐れ縁なだけだから!」
――という訳だ。
今朝見た夢にも出てきた、幼馴染の少女……それが彼女、シフレ・レグナソルテだ。
僕がこの学園で折れずにやっていけたのは、シフレの存在もかなり大きい。彼女が庇ってくれたり、支えてくれたことが、助けになっていた。
……本当に感謝しかない、シフレには。
だからこそ、僕はシフレの目を真っ直ぐ見つめて、宣言する。今日からの僕は、一味違うことを伝えるために。
「シフレ……見てて。僕、今日から凄いから」
「え……あ、うん……?」
煮え切らない返事をするシフレ。僕はそのまま彼女の青い瞳を真っ直ぐ見つめ続けていると、シフレは顔を真っ赤にして、俯いて黙りこくってしまった。普段は堂々としているのに、僕の見ている前では昔から照れ屋なのが不思議だと、僕は常々思っている。
とにかく、こうして僕は、実技への心意気を固め――新生活の第一歩を踏み出した。
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