プロローグ
良ければこれからよろしくお願いいたします。
持って生まれたものだけで、人生は粗方決まってしまうものだ。それは、才能とか、顔の良さとか、体格とか……他にも、色々。
誰か偉い人が言っていた――『人生、何を持って生まれたかじゃない。何を得て生きたかなのだ』――と。
要するに、持って生まれた才能よりも、何かを得るための努力とか経験とかが大事、みたいなことをこの人は言いたかったんだろうけど。でも、その人のプロフィールを拝読すると、地元有数の名家の生まれで幼い頃から高等な教育を受けてきたような身分だった。
「よぉ、魔法使えない。今日はどんな魔法覚えたんだ?」
……この『魔法使えない』って変な呼び名は、僕のことだ。僕は魔法使いになるために、この『リスドラルーク国立魔法学園』に、半年前に入学した。
……だけど、未だに魔法が使えない。普通なら入学して三日で……というか入学する前から使えてもおかしくないような簡単な魔法すら……僕は未だに使えない。
「魔法使えないくゥん、無視すんなよ!」
魔法を使うのが『魔法使い』なら、魔法を使えない僕が『魔法使えない』と呼ばれるのは、まぁ当たり前のことなのかもしれない。事実をありのまま言われているだけなのだし……。語呂の悪さが少し気になるな……。
「おい聞いてんのか、魔法使えないくん!」
呆然と歩いていたら、突然後ろから、背中を蹴飛ばされた。歩いている所を突然蹴られたものだから、僕は顔面から前のめりに転んでしまった。
「いたた……ご、ごめんね『ランファ』くん、考え事してて、気づかなかったんだ」
僕は早速上体を起こし、僕を蹴飛ばした声の主――学年一の成績を誇る、同じクラスの『ランファ・ミドゥーファ』くんに謝罪した。
一方的になじられて、一方的に蹴飛ばされて、それで僕が謝るなんておかしな話だ。だけど、この学園は魔法学園の名を冠す通り、魔法が全て。魔法が上手なランファくんがこんなに威張り散らしていることも、魔法が使えない僕がここで皆に蔑まれることも、この学園内においてはそれが当たり前。絶対不動のルールなのだ。
「ッたくよォ、未練がましくいつまでも学園に居座んじゃねーよ。魔法が使えねェくせに、この学園にいる意味ねェだろ? 早く退学しちまえよ――落・ち・こ・ぼ・れ!」
ランファくんは、未だに地面にへたり込んだままの僕の背中にその暴言を突き刺して、取り巻き数人と共に僕を嘲笑いながら去っていった。周りには他生徒の野次馬が集まっていた。野次馬の僕を見る目の多くにも、嘲笑の色がついていた。
「『リオ』! 大丈夫!?」
野次馬の中から、銀髪の女子が人混みを掻き分けて、僕に優しい声をかけてくれる。彼女は僕の幼馴染で、この学園での数少ない僕の味方だ。
……僕の耳に、野次馬の冷たい小言が聞こえてきた。
「あーあ、なっさけねぇ。女子に心配されてるぜアイツ。俺ならみっともなくて逃げ出すわ」
「魔力不全の障害持ちで魔法使えねぇのに、なんで魔法学園に来たんだよっつー話だよな」
「無駄に足掻いてないで、とっとと辞めちまえよなぁ。見ててイライラするわ」
……全部、僕が一番わかってる。
僕が情けなくてみっともないことも。
僕が魔力不全者で、生まれついて魔法が使えない場違いだってことも。
僕が無駄な足掻きをしていることも……全部。
「……リオ。気にしないでいいからね。リオはリオで、頑張ってる……凄いよ」
幼馴染の優しい慰めが、僕には傷口に塩を塗りたくるかのように沁みる。涙が滲み出しそうになるのを必死で堪え、僕は黙って立ち上がり、幼馴染に背を向けて一人、逃げ出すようにその場を去った。
……これが、僕……『リオ・エリオード』のこの学園での日常。周りのほぼ全てに見下げられ、蔑まれ。せっかく気にかけてくれる優しさも辛くて痛くて、不意にする……そんな日々を過ごしていた。
だけどある日、僕のこの日常が一変する。それはいつもの昼下がり、唐突に訪れた。
△▼△▼△▼
「早く辞めろよ。どうせ魔法使えねーんだからよ」
「俺達はいいストレスの発散ができて助かってるけどな!」
その日も僕は、ランファくんとその取り巻きにいびられた。
今は昼休み。いつも昼休みが始まると大抵、僕への嫌がらせは始まるのだ。一通り済んだ後、大体僕は地に這っている。組み伏せられたり蹴飛ばされたりされるからだ。地面に倒れた体を起こして、服の汚れを軽く払って、そうしてからお弁当を一人で食べる。これが僕の毎日の昼食だった。
今日もいつものように嫌がらせが終わった後、近くにあったベンチに座り、お弁当箱を開けようとした――その時。
「えっ……」
突然目の前に、人一人余裕で通り抜けられそうなくらい大きな魔法陣が現れた。白色の光を放つ、大きな魔法陣が目の前で唸り、音を立てていた。
「これ……何の魔法だろ……」
通常、魔法というものは空中に魔力で魔法陣を描くことで発動する。炎の魔法ならこう、水の魔法ならこう、というように、使う魔法によって魔法陣の紋様も決まっている。そのため、魔法陣を見れば、どんな魔法を使っているのかは一目瞭然なのだ。
だが、これは……。
「見たことないな……この魔法陣……」
魔法が使えないなりに教科書を読み込んだ。教科書に載っている魔法陣のほとんどは記憶に残っている。
そんな僕でも見たことがない魔法陣が、目の前にあった。
「……よく見たらこれ……重ね描きしてある……?」
魔法陣の重ね描き。違う属性の魔法を同時に組みあわせて発動する、複合魔法を使用する際に使う高等技術だ。重ね描きされた魔法陣は、パッと見ただけではどんな魔法を使うのかが相手にバレにくく、また、威力も組み合わせによっては上がる。炎の魔法と風の魔法、その二つを重ね描きした複合魔法陣が代表例だ。
重ね描きされた魔法陣を読み解くのは……凄く難しい。イメージとしては、白い紙の同じ箇所に『りんご』『キリン』『バナナ』『もも』『パンダ』と書き重ねたものから、何がいくつ書いてあるのかを解き明かすようなもの。大体はぐちゃぐちゃになってて、よくわからない。
僕はその魔法陣を注視して、何の魔法が重ね描きされているのかを懸命に読み解こうとした。
「……ダメだ……見たことない魔法陣ばっかりで、全然わかんないな……」
自分の知識量には結構自信があったんだけど。それでも、見たことのない魔法陣ばかりで、全く読み解けなかった。
僕が顎に手を当てて目を細めていると、突然その魔法陣が作動した。
「えっ……」
魔法陣が回転したり、光ったり音を出したりしている。やがてその魔法陣の中心から、何か黒いものが何重にも絡みついた丸いものが突き出てきた。
これは……黒いものは、髪の毛? ってことはつまりこれは……人の頭!?
「えっ、えっ、えっ!?」
僕は目の前で突然起きた珍奇な出来事に、あたふたと狼狽えることしかできなかった。
そして、僕が狼狽えている間にも、その人はどんどん魔法陣の中心からぬるりと現れてきていた。髪の毛は長い黒髪を、後頭部の辺りで一つに束ねている。いわゆるポニーテールってやつだ。恐らく女性だろう。服は真っ白で清潔なものを着ていた。お医者さんとかが着る白衣に似ている……が、どこかボディラインを強調しているようにも見えるのは気のせいだろうか。
後、もう一つ。この女の人は、転送されている間、力無くぐったりとしていた。多分、寝ているか気を失っているのだろう。
「なんか、事件性を感じる……!」
やがて、その女性の全身が転送され終えた時。魔法陣は役目を果たしたために霧散して、気を失った女性だけがその場に残った。
「……え?」
僕は目の前で起きた出来事に未だに困惑しながらも、とりあえず女性を揺り起こすことにした。
今の季節は秋。秋の気温の中で外で寝かせておくと、身体が冷えてしまう。
「あ、あの~、すみません起きてくださーい……」
うつ伏せになった身体を、とりあえず転がして仰向けにした。仰向けにしたことで初めて顔を確認できた。顔立ちから見るに、やはり女性だろう。まつ毛長めだし。すらりと通った鼻筋は高く、白に少し朱の差した肌は見るからに滑らかで……要するに、かなり美人だった。多分僕よりも歳は上だと思う。大人びた顔立ちだ。
そして、全身に清潔な白い服を着ている。医療従事者が着る白衣に、所々は違うけど、とても良く似ていると感じた。……ボディラインが浮き出ており、かなりくっきりと、身体の凹凸がわかる。僕の知っている女の人の中でも、一、二を争うナイスバディと言えるだろう。
……視線のやり場に困る。
そんな不埒なことを考えながらも、僕は何度も彼女の身体を揺らしながら声をかけ続けた。やがて、その女性はぼんやりと目を開け始めた。
「う……ん、ここ……どこ……きみ、誰……?」
第一声、寝起きだからなのか元々こういう声なのか、低めだがしっかり女声だとわかる声音で、彼女は僕にそう聞いてきた。
僕は彼女の目を見て、正直に答えた。
「こ、ここはリスドラルーク国立魔法学園の敷地内で……僕は『リオ・エリオード』という者です」
「……はぁ? 魔法? いやいや少年……私、真面目に聞いてるんだけど」
彼女は笑って手を振りながら、身体を起こした。
僕は何となく彼女にバカにされた感じがして、少しむっとしながら言い返した。
「ふざけてません。真面目です」
「いやいや。シラフでこの現代社会の日中に魔法とか言って許されるのは、子どもか声優かコスプレイヤーか、それか漫画とかの実写映画に出演する俳優とかくらいのもんだよ」
「は、はい? 何言ってるんです?」
「……ってか、キミ、凄いね。眩しいね。何か人にはない特別な力を持っていたりするんじゃない?」
「だから何言ってるんです!?」
以下は彼女と僕の、不毛ともいえるやり取りである。
「少年。歳いくつ?」
「一六です」
「一六歳の青少年が、月曜日の日中からそんなコスプレして……それ、カツラ? それとも染めてんの?」
「自毛です!」
「え、うっそ。ハーフ?」
「生まれも育ちもこの国『リスドラルーク』です!」
「は? り、りす? え、ここ日本じゃないの?」
「ニ、ニホン? どこですかそれ」
「いや、ほら、極東の島国の……って何か異世界に召喚された人みたいなこと言ってるなあたし」
「極東? この国より東に島国はありませんけど」
「……待って? さっきから何か噛み合ってないなあたし達。一回整理しよ――」
その時。空を『ドラゴンバード』の群れがバタバタと羽ばたきながら通り過ぎて行った。
ドラゴンバードって言うのは、群れを成す小型の渡り鳥だ。群れを組んで飛ぶのだが、その群れて飛んでいる時の姿がまるで一匹の巨大な竜に見えることから、ドラゴンバードと名前が付いた。天敵の肉食の大型鳥から身を守るために、そういう習性を持つようになったのだろうと生物学者は推察している。
まぁ、ドラゴンバードなんて世界の常識。初めて見るような人間でない限りは、あの鳥の群れを竜と勘違いすることは無いだろう――
「――ええっ!? ドドド、ドラゴン!?」
――だが。目の前の彼女は、そのドラゴンバードの群れに目を見開いて驚いていた。かと思えば指で顎をさすりながら考え込むこと数秒、そして全てを理解したかのような表情で手をポンと叩いた。
「なるほど! あたし、異世界召喚されたのか!」
そして空を見上げ、しみじみと一言。
「異世界でも空は青いんだなぁ」
そしてそのまま、大きく息を吸い込み――
「ありえねぇでしょそんなのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
――秋の澄み切った青空に、彼女の大声が響き渡った。
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