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第三編『あの頃、あの校舎の端で、あの娘は』/第六章(最終章)「夜が明けたら、東雲」

いつの間にか寝ており、時計を見るとすっかり深夜で、窓が黒から色を変えるのも時間の問題という頃だった。

あの時、俺はこの思い出を胸にしっかりと生きていこうと思った。まだ先の見えない未来には様々な色があり、綺麗なカラフルだった。しかし結局どの色にも飛び込まず、少し足を入れては引っ込めてを繰り返した挙句、俺はその色たちの前であぐらをかきだし、じきにカラフルは飛び散るように消え去った。そうして俺は今もずっとこの六畳間の中で死んだように寝転び続けている。あれからもう八年が経った。どうにかするべきだとはずっとわかっている。ただ、どうすればいいのかがもはやわからないのだ。もう挑む夢はないし、就職して変わるかといえばそういう問題でもないように思える。もうどうしようもないところにまで来てしまった。

あの時ああしていれば。そういう後悔こそが、青春の象徴なのかもしれない。

そうして俺はゴキブリみたいに夜を這う。


ひたすらに天井の木目を見やりながら思う。あの娘は卒業した後、進学したんだったか、就職したんだったか。それももう忘れてしまった。その話自体していなかったのかもしれない。思い出はだんだんとぼやけていく。それはいつか、我が部屋の曇りガラスの窓のように、形を判断することすらままならなくなっていくのかもしれない。そんなことを思いながら静かな夜の中に沈む。しばらく沈んだまま、またあの娘を思い出していた。そうしてなんだか誰かに会いたくなった。その誰かは無論間違いなくあの娘で、でももう会えないし合わせる顔もなかった。虚空に白い溜め息が浮かんで、どうしようもない孤独が襲ってきて、どうしようもなくなって、重い身体を起こし、よろめきながら狭い部屋を歩く。そうして玄関ドアを開け、鍵もかけずに部屋を出た。暗く静かな夜の中で寒さはすぐに俺を包む。重い足でだらだらと不安定に歩きながら、俺は考える。

俺は何処へゆくのだろう。それだけのことを馬鹿な頭でずっと考えて、やっぱりわからなくて、死ねばいいと思ったけど、一人で死ぬのは怖くて、また考えて、わからなくて、そして重い足に凹んだ空き缶がぶつかり、軽い音を鳴らして少し飛んだ。なにかしなければなんて思いながら歩いていたものだから、俺はなんとなくその空き缶を拾って近くにあったゴミ箱に捨てた。そんなことをしても無論世界は変わらず、世界どころか俺の人生すらなにも変わらない。ただ僅かな希望に身を委ね、この今の俺の善行を可愛いおなごが見ていて俺に惚れたりしてくれていないかと辺りを見てみたが夜の中には人っ子一人おらず、何処かで猫が鳴いているばかりだった。舌打ちの音がひたすらに夜に響いていた。

冬の寒空と、吐き出る白い息と、そして胸に入る冷たい空気は、あの日々を幻のように思わせた。はて、あの日々は本当にあったのだろうか。夢だったのではないか。ひたすらにそんなことを思った。でも携帯につけてある、あの冬にあの娘から貰った小さな熊のぬいぐるみのキーホルダーがあの日々の存在を証明しており、そしたらまた寂しくなってしまった。そんな間抜けなループを繰り返しながら歩いていると近所の川に出た。そうしてその川を前に俺は立ち止まり、地面を睨んで考え続け、じきに簡単な答えに辿り着いた。


あの娘の顔を思い浮かべながら、ゆく先を見る。そのゆく先には様々な色があった。しかしそれはカラフルなんて綺麗なものではなく、様々な色が混じり合った汚いドブのような混色だった。その先になにがあるのか、それはどれほど考えてもわからないけれど、ならばなにかがあるかもしれないということでもあるのだ。だから俺はそんなあまりに曖昧で馬鹿で根拠の無い希望に縋りながら、それでもその先の見えない混色に飛び込もうと思った。夢もなにもなくてこの地獄からの脱出方法はわからないけれど、心を閉ざして過去へと歩き続けてばかりではなにも変わらないのだと、本当はずっとわかっていた。だから俺はその先の見えない混色に飛び込もうと思った。


あの頃、あの青の中で俺はあの娘と二人だった。ゆく先になにがあるかなんてのは考えもしなかった。考えるという考えがなかった。ただ、それで良かったんだ。あの頃と違って隣にあの娘はいないけれど、その先の見えない混色に向かって飛び込まなくてはいけないと、そう思った。



あの頃、あの校舎の端で、あの娘は、笑っていた。

それがあの頃の俺にとっても、今の俺にとっても、全てなのだと思った。



「夜が明けるよ」

そう告げるあの娘の声が耳もとで聞こえた気がした。

だから俺は根拠なんて微塵もないけれど、きっともうすぐ夜が明けると、そう思った。でもそれで少し寂しくなって、やっぱりまだ全てが怖くて、また桜のようなあの娘との、あの思い出の中へと歩いて行きたくなった。するとゆく先に広がっていた混色があの青色に変わる。懐かしいその色の中から懐かしい音が聞こえ、懐かしい風が俺を包んだ。

川面に浮かぶ無数の花弁は上流に咲く桜の存在を物語り、僕は少し早歩きになった。

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