第二編『間違い探し』/第六章(最終章)「パラレルワールド」
四月。
居酒屋に着くと既に二人は飲んでおり、軽く挨拶をして席につく。ビールを注文して、既に机の真ん中にあったフライドポテトを食べる。
芝が口を開き、またなにか鬱陶しそうな自慢をしているみたいだがそれは無視し、俺と金沢は最近見たエロ動画やアニメなどの情報交換を始める。そうして芝も話を聞いていない俺たちに腹を立てながらも最終的にその話に混ざる。いつもの流れである。
そうして酒は進み、繰り広げられたエロ談議は最終的に「竹野ぉ、君はなにもわかっていないよぉ」なんて気持ち悪く言ってきた金沢に俺がブチギレて、その憤怒する俺の姿を見て腹を抱えて笑う芝にもブチギレた挙句、疲れて怒る気力がなくなりそのまま終わった。
そうして俺が項垂れているとまた芝が自慢を始める。なんということか近々またテレビドラマにちょい役で出るらしい。誰々に気に入られて〜だの、誰々が主演で〜だの、あまりに自慢が鬱陶しいのでまた怒りが湧いてきて「いい加減黙れ!殺すぞてめえ!」と言うと金沢も「奇遇だな、俺も今殺そうと考えていたんだ」と賛同してきたが、逆にそれで冷めてしまってまた項垂れた。そうしてその後もしょうもない下ネタで爆笑したり、また鬱陶しい金沢の言動にブチギレたりした。何故かいつもこうして飲んだ後はヘトヘトである。そうして金を出してくれる金沢に不本意ながらも頭を下げて居酒屋を出た。
居酒屋から出るとすっかり夜も深まりかけていた。「ちかれたぁ」なぞと気持ち悪く言って地べたに座り込む金沢のふてぶてしい様を見ているとまた先程の怒りが湧いてきて「てめえさっきのことまだ許してねえからな」と罵声を浴びせると、なんたることか豚野郎は「へっへ」なぞと嘲笑いやがったので「殺すぞタコブタ野郎!」とさらに罵声を重ねると芝がまた腹を抱えて笑い始めた。あまりに腹が立ったので二人に一発ずつ「死ね!!」と罵声を浴びせ、何故かなんの前触れもなく路地裏の壁に向かって金玉を見せるという奇行をしだした金沢と、なおも笑い転げる芝に背を向け俺は歩きだした。
そうして千鳥足で家までの数十分の道のりを歩いていたが、じきに力尽き路上で眠ってしまった。
目を開けると若干空が明るくなってきていた。硬い地べたで寝ていたせいか体が痛く「ゔゔあぁ」などという間抜けな声を漏らしながら身体を起こす。すると目の前に財布が落ちていた。なにか俺の財布に似ており、俺の財布にそっくりであり、もはや俺の財布であり、いや間違いなく俺の財布そのものであった。俺は「があっ!」などという声を出しながら急いでその財布に手をかける。財布の中には数百円しか入っておらず「やられた!」と焦ったが、思えばはなから金など入れていなかったのであった。そうして溜め息を吐きながらも痛む頭で思考し、家にある貯金を含めてももう長くはもたぬであろうことを察し、重い身体を起こしたのち、またバイトをしなければならない現実と溢れる寂しさに肩を落としながらも家に向けて歩きだした。
そうして夜明け前の街で、暗闇の空には目もくれず、金が落ちてないかなぞと地面を見回していると、金ではなくいくつかの白い粒が目に入る。地面から天空へと視点を上げるとそこには満開の桜の木があった。そこは桜の木が数本並んでいる公園で、吊るされた小さな桜柄の提灯に照らされた桜の木は俺の頭上を覆うように生えていた。俺は夜桜に見惚れながら溜め息を吐く。最近、下ばかり見て思い出さないようにしていた白戸さんの姿が浮かんで、彼女の笑った顔が浮かんで、ここ最近抑えていた分なのか、彼女との色々なことが、彼女の様々な表情が、一斉に思い出されていく。思わず「待って」と力なく発した俺の声は通じず、俺は過去の記憶の中に迷い込んだ。
黒いミディアムヘアが春風に揺られる。そこには彼女、白戸さんの姿があった。
陽の光に照らされた白戸さんがそこには居て、散りゆく桜の花びらがその前を横切る。背景には数本並んだ綺麗な桜並木が見える。桜に見惚れる彼女に俺は見惚れていた。そうして俺はとてもシンプルな四文字の言葉で彼女に想いを告げた。彼女は少し驚いた顔をしてこちらを見た後、可愛らしく控えめに微笑み「私もです」と言ってさらに笑った。そうして僕らは交際を始めた。神田川沿いの桜並木の中で、僕らは二人だった。
行きつけの古本屋に着く。彼女は店の前まで来て「レトロな感じで良いですね」なんて言って微笑んだ。
そうして店内に入り、とりあえず別々に本を見て回る。少し経って彼女が本棚の一番上の段にある本を取ろうと背伸びをしているのを見つけ、俺が取って渡した。すると彼女は「ありがとうございます」と言って、抱きしめたくなるような可愛らしい顔で笑った。
その後行きつけのリサイクルショップに移動し、CDの棚で好きなバンドのCDを見つけ手に取る。すると横から「そのバンド私も好きです」と彼女が言い、俺は「良いですよね」と返し、なぜだか二人で笑った。
夕方の人混みをゆく。「浴衣は少し恥ずかしかったので」なんて言って、白いワンピースを着た彼女が隣にいて、その姿はなにか儚く、まるで夢の中にいるように感じた。
そうして屋台で購入した焼きそばなどを食べたり、金魚すくいをしたり、そんなことをして笑っているとあっという間に空は色を変え、花火の開始時刻が迫り、手を繋いで花火がよく見える場所へと向かっていたのだが、あまりの人混みで中々前に進めず足踏みをしていた。するとじきにまた人が増えていき、人混みに挟まれた俺と彼女の繋いでいた手が離れる。そうして人波に攫われ、彼女の姿が見えなくなってしまった。
それからしばらく彼女を探したがここまで人が多いと中々見つからず、時間が過ぎていく。携帯で連絡を取り合い、近くにいることは確かなのだが中々彼女の姿が見えない。そうして人混みをかき分け、必死に辺りを見渡していると、俺の視界の隅を、白い肌をしたミディアムヘアの女性が通った。そうしてすれ違い、俺は振り返ってその姿を探す。そうしてそちらに歩を進めだすも人混みに揉まれて上手く進めない。それでもなんとか歩きながら途切れぬ人混みの中でその姿を探す。するとどこからか微かに俺の名前を呼ぶ彼女の声が聞こえる。その声のもとを必死に探す。しかしその声も辺りの喧騒に消されていき、じきに完全に消える。項垂れかけたその時、後ろから袖を引っ張られた。そうして振り向くとそこには彼女、白戸さんの姿があり、彼女は泣きそうな、嬉しそうな、ホッとしたような、そんな可愛らしい顔で微笑んで「探しました」と言った。そして直後、彼女の後ろで一発目の花火が大きく咲いた。辺りから歓声が沸き上がり、遅れて彼女も花火の方へと目をやる。普段物静かな彼女も思わず「わあぁ、綺麗」と可愛らしい声で言っていた。花火に照らされた彼女の横顔がまた、愛おしかった。
カメラのシャッターが下りる音を聞いて彼女はこちらを振り向き「今撮りましたね」なんて言って少し笑った。普段は物静かな彼女も、京都に旅行へ来ていることもありテンションが上がっている様子で、それがまた愛おしかった。
橋から川沿いの道へと移動する。鴨川沿いの道を少し飛び跳ねるように歩く彼女は、そのまま飛び跳ねて鴨川にドボンと落ちていってしまいそうな勢いで、いやはやさすがにそれは困るなあと思い、だから僕らは手を繋いだ。
旅館に着き、すぐに温泉に入る。混浴でないのが残念であったが、のぼせる寸前まで堪能した。
椅子に座って待っていると、女湯の暖簾をくぐって彼女が現れた。髪がまだ少し濡れている彼女はまた美しかった。
部屋に戻ると食事が用意されており、彼女は嬉しそうに「すごい」なんて呟いた。そして俺はまたカメラを構える。向かいの座椅子に座る彼女は机の上に広げられた豪華な料理を前に、こちらを見て可愛らしく笑っており、俺はシャッターを切ってその姿を焼き付けた。
「早く食べましょ」
そう彼女が言うのを聞いて俺もカメラを置いて手を合わせる。二人で声を揃えて「いただきます」と言うなり彼女はすぐに食べ始め、たちまち可愛らしい笑顔になった。
コンビニでお酒やお菓子を買って夜の誰もいない公園のベンチでお酒を飲んだ。珍しく綺麗に星が見え、夜の中には二人だけしかいないようだった。今まで一人で睨みつけてきた星々は、彼女が隣にいるだけで全く違うように見えた。星々の中にはこれまた綺麗に輝く月があり、俺がふざけて「月が綺麗ですね」なんて言うと、彼女は「死んでもいいわって言ってほしいんですか?」なんて言って、二人で顔を見合わせて笑った。
そうしてじきに俺は「もうこのままでいいや」と思い、小説を書かなくなった。
寒さで包まれた街は綺麗な電飾で輝いており、その中で手を繋いで歩く。そうして思わず繋ぐ手を前後に振ってしまう。電飾の輝きを背景に微笑む彼女はやはりとんでもなく可愛らしかった。その後、デートを終え、我がボロアパートへ向けて輝く街を二人で抜けていった。
二人だけしかいない聖夜の六畳間は飾り付けなどしているわけでもないのに暖かい光で包まれていた。小さな机の向かいでフライドチキンを頬張り小さく「おいし」と呟く彼女も、ケーキを頬張り笑顔になる彼女も、対戦型のテレビゲームで「うぇーい!」なんてうざったらしくおちょくる俺に「もう一回です」なんて言って何度も挑み、その度負ける彼女も、本当に愛おしかった。
朝、目が覚めるとそばには未だ眠る彼女がいた。彼女の寝顔はなにか少し子供っぽく、ひたすらに可愛かった。そうしてしばらくその顔を見つめ、幸せとはこのことであろうと、そう思った。
賽銭箱に小銭を放り、鈴を鳴らして手を合わせる。彼女とのことを願ったのち、目を開けて隣を見ると、マフラーに顎を埋めた彼女はまだなにかを願っていた。そうしてその様に見惚れているとじきに彼女も願い終えたようで、俺の顔を見上げ「寒いですね」なんて白い息を吐いた。
帰り道で「これ」と言ってプレゼントを渡すと彼女は驚いたのち、すごく嬉しそうな顔で笑った。
東京が珍しく銀世界になった。積もった雪に子供っぽくはしゃぐ彼女がまたすごく愛おしかった。二人で白い息を吐きながら小さな雪だるまを作り、彼女は「完成しましたね」なんて言って少し首を傾けるようにした。その仕草がまたとてつもなく可愛らしかった。
勃起している俺に彼女は「バレンタインです」と言って紙袋を渡してきた。バレぬよう、前屈みになりながらそれを受け取り、勃起しながら受け取ってしまったことに複雑な感情を抱きながらも、その手作りの小さなハート型のクッキーを口に運び、少し不安そうな顔をしていた彼女に「めっちゃおいしい」と正直に告げた。すると彼女はたちまち笑顔になって、この時間が永遠に続くことを願った。もうあまり長く続かないような気がしていたから。
知り合った頃はおとなしくて落ち着いた印象だったが、本当の彼女は、デパートに置かれたピアノの鍵盤を弾けもしないのに指で投げやりに少し押しては無邪気に微笑む、そんな人だった。
「最後の年だから」と言って、少しだけ明るくなった髪をゆるやかな春風に靡かせる君がいた。俺はその様に見惚れながらも、何故だか少しだけ嫌に思っていた。それはおそらく、最近になってなんとなくその時が来てしまうのではないかという不安を感じていたからだと思う。そうしてその不安は的中し、六畳間で彼女から「別れましょう」という寂しい言葉が発せられた。迷いはしたがどうすることもできず、サヨナラする時は笑ってサヨナラするのが素晴らしいものであろうとの考えのもと、ちゃんと笑ってサヨナラをした。彼女もその少し控えめだが可愛らしい顔で笑った。その顔がまた愛おしくて、胸の辺りが痛くなった。ちゃんと笑えていたのかはわからない。それでも僕らは、笑ってサヨナラをした。はずなのに。
満開の桜を前に、彼女の、俺にしか見せないようなあの可愛らしい笑顔が浮かんで、なんだか泣きそうにしている顔が浮かんで、少し怒っている顔が浮かんで、いろんな顔が、そしていろんな彼女とのことが浮かんで、俺は泣いた。
公園から出て、あてもなく歩きながら、真実だけに目を当てた。
俺が最初は好きだった歌井さんのことを、色々な面を知っていくうちに段々嫌いになっていったように、彼女も俺のことを少しずつ嫌いになっていったのかもしれない。そうであればもう彼女が俺のもとに帰ってくることはないのだと、俺が歌井さんに向けている感情が証明していた。それにそもそもそんなことはもう最初からなんとなくわかっていた。自分の駄目な部分も全て。待っていたって彼女は来ないし、俺から行っても追いつけない。そもそも彼女の道の先に俺は居なくて、俺の道の先に彼女は居ないのだ。
そうして放置している夢に対しても目を向ける。結論はすごく簡単なもので、これもずっと前からわかっていることだった。結局俺には夢を諦める勇気なんてなくて、だからどれだけ才能がなくても、どれだけ書けなくても、身の程を知ったうえで、それでも挑み続けるしかないのだ。納得のいく人生にするためにも。
笑ってサヨナラしてから、俺と彼女の道はパラレルワールドのように分岐し始め、彼女はしっかりと自分の道を進み始めた。俺もそうするつもりだった。そうするはずだった。でも俺はそれができなくて、というよりもそれが怖くて、目の前にある間違いに薄々気づきながらも見て見ぬ振りをしていた。間違い探しをしていたことこそが、間違いだったのだ。
家に帰ったら彼女に宛てた最後の手紙を書こうと思った。そうして小説のことを考えながら夜明けの街を歩き、ふいに路地を抜けるとそこは神田川だった。
そうして俺は、彼女、白戸さんに告白しようか迷いながら連れ立って歩いた春の神田川のことを思い出した。
固定観念に囚われた僕は暖かなその季節に物語の始まりを感じ、穏やかさをのばす川沿いの道で決意と不安を胸に隠しながら彼女の表情に行く末を探す。するとそんな我が様に街が呆れて溜め息を漏らしたのか、柔らかな風が目下に広がる幕を飛ばす。川面に浮かぶ無数の花弁は上流に咲く桜の数を物語り、僕らは少し早歩きになった。
お気に入りの薄手の青いコートは春風に触れられ、なにか懐かしさを寄越し、それは足に絡みつく。穏やかで魅力的な景色や空気は愛おしく、しかしそれは夢という現実と密接なものを追って東京へやってきた俺には毒でもあった。夢を諦めてしまいそうになるほど魅力的なそれに、今はもう縋るわけにはいかなかった。
道路に子供がチョークかなにかで描いたであろう絵があれば、それを踏まないようにわざわざ避けて歩く。彼女のそんなところが好きだった。
川面に浮かぶ無数の花弁は上流に咲く桜の数を物語り、僕は少し早歩きになった。




