09.番うということ
魔女と竜のための鞍は、三日足らずで出来上がった。
それも、あいだに魔女が仕事の都合で帝都に出かけていたから渡されたのが三日目というだけで、鍛冶屋の親子は初めての竜の鞍づくりをあっという間にやってのけていたのだ。
竜のほうも辛抱強かった。最初の採寸はもちろん、微調整などでも大人しくしてくれていたし、竜銜を取り付けるときなんかは、みずから頭を下げて作業しやすくしてくれた。
彼女は魔女が自分の背に乗ろうとしていると分かっているのだ。
きっと、どこかで竜騎兵のことを見ていたのだろう。
ところが、あとは鞍の取り付けの説明を受けるだけというだけなのに、魔女は浮かない顔をしていた。
帝都でこなした仕事のせいだった。
帝都中央区の瀟洒な豪邸の一室で、竜騎隊長やら、将軍やら、魔導顧問やら、政治家の誰それや、なんとか官とかやら……そして、この国の支配者である皇帝にまで囲まれて、数代前の将軍の「望み」を叶えたのだ。
彼は帝都のはずれの平凡な家庭の出身で、歩兵として前の大戦に参加し、試験を経て竜騎隊に転身、そのまま大隊長まで上り詰め、最終的には軍部のトップである将軍にまでなった男だった。
元将軍は誇り高く、自分のことはなんでも自分でやろうとする男だった。
重役になっても秘書官を一人しか置かなかったし、護衛も皇帝の関わる式典以外では一切つけなかった。
魔女が「望み」に関する約束をさせられるために屋敷を訪れたさいも、使用人には広い屋敷の掃除と庭の手入れしかさせず、食事も自分で用意していることを自慢されたくらいだ。
そんな彼が魔女に望んだことは、「死期を自分で決めること」だった。
文官ではなく素人歩兵からの成り上がりで天辺まで駆けあがったものの、自分はてっきり戦いの中で死ぬと思っていた。
ところが、矢も魔術も彼の脇を通り過ぎてゆき、軍人の平均寿命の倍を超えても軍部の椅子に座っていた。そして長く生きれば生きるほど、前線から遠ざかり、同時に死からも遠ざかってしまった。
そうして退役だ。
身体が動くうちはいい。戦いだけが人生ではないと、彼は知っていた。
本を書いたし、ヘタクソながら絵も描いたし楽器もやった。
無理を言って、同じように退役した飛竜たちの世話を手伝わせてもらったこともある。
そのうちに心配になってきた。
手足の一本を欠くこともなく、風邪もろくに引かず、いったいいつ死ねるのか。
じつは自分は人間ではなく、長寿の亜人種なのではないかと疑ったこともあるくらいだ。
永く生きれば、数多くの他人の死と出遭うことになる。
歩兵時代は生きのびた知り合いを数えるほうが早いくらいに死があった。
身体がばらばらになって正確な人数が分からない遺体があったし、もとは敵だったのか味方だったのかすら区別がつかないこともあった。
竜騎隊時代では死んだ同僚や部下の名前、竜の愛称まで記憶している。
前線から遠ざかると、人の死が数字として報告に上がってくるだけになる。
これには強い歯がゆさを覚えた。
椅子に座ってからは、近しい者の死が流星群のように流れていった。
何も無理をさせてこなかったはずの妻が病で先立ち、子や孫もみな軍人で、その多くが散った。
同じ年寄り高官や、金持ちの趣味仲間も先に逝った。
彼は早めに死ねるのは幸運だと思う。まだ生きている知り合いは惨めだった。
ボケて使用人をママと勘違いしたり、身体を悪くして動けなくなったのをいいことに財産を奪われたり、怒鳴られたことへの仕返しを受けたりしたと聞く。
そんな死や老後を見聞きしていた彼にも、待ちに待った病がやってきた。
詳しい病名は知らない。原因も特に覚えはない。
だが、骨を含んだ全身が酷く痛むようになり、手洗いに出かけるだけでも全身から汗が噴き出すほどになった。
一刻も早く死ななければ。彼はそう思った。
魔女は、彼から一切の事情を聞かされ、約束した。
さすがの彼も独りで逝くのはイヤだったらしく、人を集める猶予だけは設けた。
帝国の歴史に名を刻んだ男を看取るために、親戚縁者、皇帝をはじめ多くの著名人やお偉いがたが集まった。
失敗は許されない。
といっても、魔女は老体の血管に一本の管を通すだけだ。
その先には、またたくまに死をもたらす薬剤の入った瓶が繋がっており、その栓は彼みずからが外すことになっていた。
管の仕度を終えれば魔女は部外者だ。部屋の隅に移動する。
魔女の頭の中では、両脚を失った若者の志願を断ったことと、子供たちの抱いた仔ヤギのいのちを終わらせてやったことが天秤に乗って揺れていた。
この勇敢に生きてきた男を乗せるべき皿は、どちらだろうか。
これだけ念入りにお膳立てしていても、魔女の気分は重かった。
別れの挨拶が済み、誇り高い男は「では、またいつかまみえる日まで」と、洒落た言葉と共に薬剤を流す栓を開いた。
その瞬間だった。
ガラスがこなごなに砕け、窓を突き破って一頭の青い竜の頭が部屋に入りこんだのだ。
事故だろうと事件だろうと、国の誇る大人物の一世一代の大舞台を邪魔したのだ。その場には皇帝だっている。そして、歴戦の戦士も大魔術師もいた。
一瞬で片が付いた。
その竜が何者なのか分かったのは、いまわのきわにいた彼と、魔女だけだっただろう。竜騎隊長すら、気づいたのはことが済んでからだ。
新米竜騎兵が言っていた。ペアを組んだ兵士と竜は死ぬまで一緒だと。
誇り高い男は殺された竜を見て一筋の涙を流し、破れた窓の向こうを見て、「もう一度、空へ」とつぶやき、逝った。
あとの始末のことは知らない。魔女の仕事ではないから。
だが魔女は領分外だと知りながらも、帰りの馬車の中で両手を握り合わせ続けずにはいられなかった。
彼の涙の理由が、悲しみではなく、駆けつけてくれたことや共に逝けることへの喜びであればいい。
そうあってくれという願いだった。
「……魔女さま、聞いてますか?」
切り株の上に座った青年が訝しげにこちらを見ていた。
「ああ、すまない。取り付けと取り外し、しっかりと憶えたぞ」
「俺たちの仕事はここまで。もちろん、いっさい口外しません」
「金貨もたんまりもらったし、せがれも立ち直らせてもらったし、あとは仕事が完璧なのを見届けたらおしまいでさあ」
「見届けたら?」
魔女は首をかしげる。
「そりゃ、そうですよ。またがるだけじゃなくって、飛んで見せてくれないと」
青年は腕を組んで笑っている。
魔女は竜を見た。
竜は、まねているのか鞍が乗っているとそうなるのか、相方を待つ騎竜のように上体を起こした姿勢で待機している。
魔女は思い、迷う。
昨日は竜と番うことの重大さを見せつけられた。
できるだろうか。
自身の赤子も流してしまい、恋人の手も離し、他者を多く死なせ続けてきたわたしに。
その死なせることすらも、迷い始めているというのに。
「……ん?」
影が被さっていた。魔女は頭が涼しくなったことに気づく。
「おいこら、それはわたしの帽子だ!」
なぜか竜が魔女の帽子を咥え、届かない位置まで持ち上げてしまった。
しかも、魔女が帽子を取り返そうとすると、からかうようにのっしのっしと広場を逃げ始めた。
「早く乗ってくれないから痺れを切らしたんでしょうよ」
鍛冶屋の親子が笑っている。
「分かった! 分かったから帽子をよだれまみれにするのはやめてくれ!」
魔女が両腕をふりふり懇願すると、また笑いが起こった。
「さすがの魔女さまも、彼女にはたじたじってわけですね」
竜は赦してくれたらしく、魔女の頭にくたびれた帽子を乗っけると、腹ばいになった。
魔女はべちゃついた帽子を整えると、鞍に足を掛けてまたがった。
竜騎兵が槍を挿しておくように留め金に杖を預け、真新しい硬さの残る革の手綱を手にした。
頑丈なのを差し引いても、なんだかこの手綱は重たい気がした。
そういえば、出発の合図やら命令やらはどうしているのだろうか。
魔女が今さらになって基本中の基本がすっぽ抜けていたことに気づくと、ふいに身体が下へと押し付けられる感覚に包まれた。
木々の頭が見える。竜はすでに飛び上がっていた。
「おい! もうちょっとゆっくり……」
声は風に掻き消され、魔女は慌てて帽子を押さえる。
ああ、帽子にも飛ばないように紐をつけておかなくては。
無意味と知りながら帽子を整え直すと、魔女は目を見開き、輝かせた。
眼下には我が森があり、小径に沿って木々の切れ目があり、気のいい連中の暮らす村があり、長く長く伸びる街道があり、その先には家々の立ち並ぶ帝都や皇帝の居城の塔があった。
もっと向こうには、ただ青だけがあった。
青を見つめると、吸いこまれる気がした。
青のさらに奥には、死がある気がした。
それは、いのちを突き放す粗暴で残酷なものでもなく、苦しみから解放する救いでもなかった。
ただ、死は死としてあるのだと、魔女はそう思った。
けれども魔女は苦笑する。
「だけど、わたしたちはまだ生きてるんだよ」
これからもきっと迷うだろう。
信念を曲げざるを得ないこともあれば、考えが自然と変わることだってあるかもしれない。
魔女はいま気づき感じたことを、誰かに聞いて欲しいと思った。
具体的にその誰かとは、かつての婚約者だった。
「……よし、森の周りをひと回りだけして下りるってことはできないか?」
竜に訊ねる。竜は大翼で空気を掻きながらゆっくりと進み始めた。
魔女は「いい子だ」と、竜を撫でようとした。
「おい、ちょっと待、ぶぇ!」
竜は加速した。とても速く。上昇しつつ頭を北へと向ける。
遥か彼方には雪山が連なる。魔女と彼女が出逢った場所。
竜はひと鳴きすると、魔女が止めるのも聞かず、遥か北へと飛び去ってしまったのだった。
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