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悲竜  作者: 鳥遠かめ


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07.昏い酒場

 魔女の領域と村はそう離れていない。

 だが、森を抜けるころには夜行性の鳥獣の気配が(うごめ)き始めていた。

 簡素な木造の小屋の並ぶ村では家々から灯りが漏れており、昼間とは違って家畜のたぐいはすべて仕舞いこまれている。

 魔女が酒場の戸を開くと、すでに夕食を始めていた村民たちが一斉に注目した。

 料理を詰まらせ目を白黒させる者もいれば、「魔女さまこんばんは」と愛想よく手を上げる者、先日の礼を述べて頭を下げる者もいる。

 注目は一瞬で、客たちはすぐにおのおのの食事やおしゃべりに戻った。


 魔女はひとの会話を聞きながら食事をするのが好きだった。

 ここは(くら)くて落ちつくし、何より黒衣でも溶けこめる。

 帝都のほうで食事を取ろうものなら、許可証を見える場所にぶら下げてないと追い出されることだってある。


 死に触れる魔女は、帝都の日常にとって穢れであり、忌むべきものなのだ。

 帝都の肉屋では「肉」は「肉」だが、辺鄙(へんぴ)な村では「ヤギ」かもしれないし「ウサギ」かもしれない。

 あっちでは雨は疎まれるが、こっちでは恵みだ。

 病による生き死にもコインで買うか、情で貸すかの違いがある。


 彼女はここの暮らしが好きだった。


「根っこのスープと、何か脂の乗った肉を頼む。焦がさないでレア気味がいい」

 カウンター席の端に座り、カウンターの上に銀貨と銅貨を重ねる。

 飲み物は特に注文しなかったが、すぐにいつものベリーエールが出された。

 魔女は木樽のジョッキを傾けて半分ほど空けると、薄暗い酒場を適当に見回して、誰に向かってでもなく「鍛冶屋は来ているか?」と訊ねた。


「鍛冶屋のオヤジなら、もう少し遅くなってから来るよ。最近は鍛冶場を閉めたあとにせがれと一発やりあってからくるようになってな」

 店主が答えた。

 魔女は出されたスープを先に賞味しながら、店主が肉を焼く背中を眺める。

 さまざまな根や根菜を使ったスープは具だくさんだ。

 魔女の好みの花の根も入っている。


「鍛冶屋のせがれは、相変わらず呑んでばかりなのか? そろそろ二日酔いの薬も尽きるころだと思うが」

 魔女が問うた。

「あれじゃ人をやらなきゃ買い物もできないからな。家の中じゃ這ってどうにかしてるらしいが……。まあ、来れようが来れまいが、やつはシラフだろうさ」

「呑むのをやめたのか?」

「オヤジが取り上げるんだ。俺もどやされるから使いが来ても売らなくなった」


 魔女は手土産として用意していたハーブ酒と丸薬の袋を思い浮かべる。

 まあ、もともとオヤジのほうへの賄賂として考えていたが。


 食事をして待っていると、鍛冶屋のオヤジがやってきた。

 燭台の光が赤く上気した顔を照らしている。

 オヤジは確かな足取りでカウンターにやってくると魔女のふたつ隣に座り、「酔い醒ましは不要です」と言ってから、夕食の注文をした。


「必要なら酒が呑めなくなる薬も煎じれるが」

「そこまでする気はないんですよ。あれじゃ、誰だって慰めが必要だ」


 鍛冶屋の息子は戦争に行った。

 彼は愛国心があったのはもちろん、いくさで武器や鉄の道具についての知見を深め、鍛冶場を継ぐ糧にする気だった。

 得るものはあったのかもしれないが、代わりに両脚を失って帰ってきた。

 国はたとえ彼が結婚したとしても働かずに食っていけるだけのカネをやった。

 だが彼と結婚する者は、死ぬまで彼の世話をし続けるさだめとなるだろう。


「なぜ揉めている? 家庭の事情だ、無理に答えてくれとは言わないが」


 オヤジは蒸かしイモに赤い粒入りのソースの掛かったものを頬張っている。

 魔女は返事をされないでも構わなかったが、オヤジはもごもごやりながら視線で「ちょっと待ってくださいね」と言った。

 口の中の水分がすっかり持っていかれてそうだし、何よりあのソースは辛い。


「店主、オヤジにエールを。わたしがおごる」

 と魔女が言うも、オヤジは手を突き出し店主を制し、「水を」と言った。

「酒は控えてるんです。今はおちおち酔っ払ってもいられない。飯もさっさと済ませて交代しないと、家内は飯も風呂もできませんや」

 オヤジは胸をこぶしで叩き、水を飲み、もう一度胸を叩いて息をつく。

「交代?」

「ええ。見張っておかないと危ないんですよ。喧嘩の原因も、じつは魔女さまとも無関係ではなくて……」


 鍛冶屋のオヤジが言うには、息子は台所まで這っていき包丁を手にし、自身の首に突き立てようとしたらしい。


「自殺か」

「忘れ物を取りに戻った家内が止めたんですがね。死なせてくれと叫んで困っとります。ちょっと前までは呑みすぎで揉めてたんですが、今は反対にあいつを酒で酔わせておかなきゃ鍛冶場を開けれないんですよ。閉めるころに酒が切れるもんだから、ここんところはそこでやりあってます」


 鍛冶屋のせがれはまだ二十そこそこだ。

 片足なら不自由ながら杖で暮らせるだろう、魔術に通じていれば高額だが魔装具で両脚を補うこともできるかもしれない。

 だが彼にはそのどちらもできない。

 深く突っこんで聞いてはいないが、懇意にしていた娘が彼の帰還後に、急に帝都の商家に奉公に出ることにしたのも希望を摘む手伝いをしたはずだ。


 魔女は思う。確かにわたしに関係ある。魔女の仕事の領分だ。

 もしも同じ戦線にいたら、彼は戦死者としてここに送り届けられていたかもしれない。

 現場が生かす判断をしたために、彼は残りの長い生を苦しむことになった。


 だが、オヤジやせがれに頼まれたわけでもない。

 今日の魔女には、下よりも上を見上げる用事があった。


「立てこんでるところに悪いんだが、わたしからの依頼をひとつ受けてくれないか?」

 魔女は声を潜めて言う。オヤジも何か察したのか、「世話になってるんで、なんでもおっしゃってください」と小声で返した。


 仕事自体は簡単だろう。

 見た感じでは、馬具をそのまま大きくしたようなものだった。

 問題は違法行為の片棒を担がせてしまうことくらいだ。


 魔女が依頼を口にしようとすると、酒場の扉が勢いよく開いた。



「あんた! あの子がまたやったわ!」

 鍛冶屋のおかみだった。



 魔女がオヤジたちについて鍛冶屋の家に行くと、両脚のない青年が土間で白目を剥き泡を吹いて倒れているのに出くわした。

 顔色は青く、首元を掻きむしるように両手をやって痙攣している。


 おかみが「何か毒を飲んだんだわ!」と叫んだが、魔女は違和感を覚えた。

 酒すら手に入れるのに苦労をする状況だ。

 本気で死のうとして毒を取り寄せるなら、もっと即効性のあるものを使うはず。

 何より、彼からそういったものを依頼された覚えがなかった。


 魔女は青年の身体を背後から抱きかかえると、みぞおちのやや下辺りを圧迫した。窒息かと踏んだが、出てきたのは空気だけだった。


「いや、麦のにおいがする」

 魔女はほんのわずか逡巡する。

「……水を持ってきてくれ! 無理矢理飲ませる!」


 オヤジに命じて口を無理矢理開かせ、おかみが青年の口に水を注ぎこむ。

 青年はむせ、まさに溺れるように咳きこみ、口の中から何かが飛び出した。


「これは……パンじゃねえか」

 青年が吐き出したものは水浸しの黒パンのかたまりだ。

「おめえ、まさか喉に詰まらせただけってオチじゃねえだろうな!?」


 オヤジがせがれの背中を叩くと、さらにもうひとかたまりパンが飛び出した。

 青年はしばらくぜえぜえとやっていたが、少し落ち着くとけたたましく笑い始めた。


「俺は確かに死のうとした! 酒も縄も刃物も隠しちまったようだけど、パンだけはテーブルの上に出しっぱなしだったからな!」

「おめえ、ちゃんと見てなかったのか!?」

「だ、だって危ない物は無かったし、ちょっと風呂を沸かそうとした隙に……」


 オヤジがおかみを怒鳴るのをよそに、青年は自身を抱きかかえる魔女の袖をつかみ、目を見開いて視線を合わせた。


「会いたかった。あんたの所まで行けなくて困ってたんだよ。毒だ、毒をくれよ」

「あいにく毒は持ち歩いていない」

 魔女は平坦に言った。彼の両親は言い争うのをやめ、ふたりを見た。

「魔女は死を与えてくれるんだろう?」

「わたしは、救いを与えるために魔女をやっている」

「なら救ってくれよ。俺はもう、生きたくないんだよ!」

「おまえは死にたがってるように思えない」

「なぜだ!? どこをどうしたらそう見える!?」

「悪いが今日はもう、店じまいなんだよ……」


 魔女は自身の声がよわよわしいことに気づき、こころの中でせせら笑った。

 少し前までの彼女なら、死ぬことの利点と不都合をとくとくと語った上で、「選べ、決めろ」と突きつけてやっただろう。

 たとえ目の前に彼の両親がいたとしても、だ。

 それでも、今の彼女なりに選択を相手に委ねたつもりだった。

 飲みこむ力の弱った老人や病人であれば、水を飲ませるのは避けただろう。

 だが、若い彼なら吐いたり飲んだりする力がある。

 彼の肉体はみずから(それ)を選んだのだ。


「死なせてくれないのなら、なんのための魔女なんだよ!?」


 鍛冶屋のせがれが力任せに揺さぶる。

 こんなに情けない姿になっても、腕の力だって衰えてはいない。

 魔女の首が乱暴に前後させられ、両親が慌てて引き剥がした。


「畜生! 生殺しだ! どいつもこいつも俺を生かして! 誰か助けてくれよ!」

 青年の叫びが部屋を震わせる。

「俺は、どうやって生きればいいんだ……」


 足のない身体を丸め、赤子のように泣き出す青年。

 魔女は立ち上がると、「すまないな」と口にした。

 魔女は答えを持ち合わせていなかった。

 打ち消す。いや、そもそもその考えがおかしい。答えは自分で導き出すものだ。


 だから彼は死なせてくれと言ったんじゃないか。

 魔女の中で誰かが笑う。


 故郷の幻を視る戦士も、永く生きすぎて誇りを傷つけられた金持ちの年寄りも、彼らが望んだから死なせてやってきたのだ。

 みずからの手で逝かせてやる、患者の身体から力が失われていく、あの死の手触り。魔女はあれが嫌いだったが、それでも彼らのためだった。


 だが、今日は断ってしまった。

 なぜだ。教えてくれ。魔女も誰かに問いたかった。

 自分よりも大きな何かに身を預けたい気持ちに支配されていた。

 やはり、思い出すのは元恋人の軍医だった。

 魔女は彼を打ち消し、もっと大きいものを思い浮かべた。


「そうだ、竜だ」

 帰ろうとした足を止め、振り返る。

「依頼があるんだ」

「あ、ああ、先ほど言いかけてましたな……。魔女さまたってのお願いなら、なんでも。ご迷惑もお掛けしましたし、原価でやらせていただきます」

 オヤジが小走りで寄ってくる。

「料金はしっかり払わせてもらう。口止め料も込みでな」

「何かマズい仕事なんでしょうか?」

「いや、あんたがすること自体は帝国法に触れないはずだ。それを使ってわたしがするのが違法行為というだけで」

「魔女さまの違法行為? まさか槍で暗殺というわけでもないですよね?」

「武器じゃない。わたしが作って欲しいのは、飛竜に乗るための竜具だ」

「まあ、それなら確かにご法度でもありませんし、お安い御用です」

 オヤジは不敵な笑みを浮かべていた。

「なんなら、一度やってみたかったくらいですよ。竜具の仕事は帝都の鍛冶屋が独占してますからね。ここは戦地にもならないから修理の依頼も来ない。田舎鍛冶屋にだっていいもんが作れるってとこ、見せてやりますよ」

 腕まくりをして力こぶを見せるオヤジ。

「内密にして欲しいから、見せびらかせられないんだけどな。むしろ、わたしが取っ捕まったら、あんたは知らないふりを決めこんでくれ」


 鍛冶屋に依頼を取り付けると、魔女は大空に思いを馳せた。

 どんな景色なのだろう。ずっと、竜も鳥も見上げるばかりだった。

 宗教観によって、死者は地に還るとも天に昇るともいう。

 あの空の向こうには、何があるのだろうか。


「しかし、そうなりますと、採寸せにゃなりませんな。その竜は噂の?」

「そうだ。あすにでも来てくれないか?」


 鍛冶屋は「もちろん」と答えたあと、「野良の竜ですよね?」と付け加えた。

 急に情けなくなったオヤジの顔に、魔女は吹き出しそうになるのをこらえる。


「そうだ。これを置いていく。料金とは別のプレゼントだ」

 魔女は手土産として持ってきた酒と薬入りの袋をテーブルに置く。


 帰りぎわにせがれを振り返る。

 彼は土間に転がったまま、「竜、竜……」と、繰り返し呟いていた……。


***

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