04.いのちの重み
「おまえが噂の緋色の魔女だな?」
着飾った若い男が問いかけた。彼の目の前を羽虫が横切り、眉間にしわが寄ったが、視線を魔女へ戻しても表情は変わらない。
「帝国公認のな。わざわざ帝都からご足労頂き恐縮だよ」
「正確には帝都の中央区からだ」
中央区といえば、軍部や国政の重役たちが暮らす区画だ。
魔女はこの青年に見覚えはないと思った。
彼に似た制服や軍服には会ったことがあるかもしれないが。
「中央区には帝国トップクラスの医者や薬師がわんさかいるはずだが」
魔女は付け加える。
「言っておくが、値段は似たようなものだぞ」
「カネならいくらでも出す。魔女は汚れ仕事を引き受けてくれるのだろう?」
「汚れ仕事ね。殺人か何かか?」
魔女は「殺人」を強調する。
青年の一歩うしろにいた若い女が視線を地面に落とした。
「殺人などではない。だが、ここでは話したくない」
魔女は鼻を鳴らし、「散らかっているが入れ」と、ふたりを小屋へと招いた。
職業の性質上、依頼に世間体や恨みつらみが関わるケースは珍しくない。
魔女はすでにふたりの依頼を見抜いていたが、故意に分からないふりをしていた。
宝石入りの岩をさもどうでもいいようもののように部屋の隅に転がす。腕の中から重みは消えたが、岩が当たっていた下腹部の不快感は消えない。
魔女は相談用のテーブルの、客側の椅子の片方だけを引いてから着席した。
ささやかな親切を受け取ったのは青年のほうだった。女は自分で椅子を引いて座った。
「さあ、なんでも話すといい。ここで見聞きしたことは他言しない。これは魔女の掟だ。公認だろうとも、もぐりだろうともな」
魔女が促すも、青年は口を開きかけて口ごもった。
ここは魔女の領域の最深部だ。窓のない部屋にテーブルに置かれた小さなランプがひとつ、魔女の背後にある部屋からは無数の薬品のにおいが漂う。
せっかくここまで来ても、気後れして引き返す者も珍しくない。
数日前の魔女なら客の要件を言い当て、さっさと薬を渡すか処置をするかしただろうが、今日はいくらでも沈黙に浸る気でいた。
さっきの親子が墓を作る様子を想像しながら青年が話し出すのを待っていると、向かいから「おい」と聞こえた。
青年は連れ合いの娘を見ている。
娘は青年に視線を返し、いっぱく黙るも、こちらを向いてためらいがちに話した。
「お胎の子を堕ろしたいんです」
「理由はなんだ?」
魔女は娘に問うたが、
「理由なんてどうだっていいだろう」
青年が割りこんだ。
「よくない。魔女が普通職に許可されていない施術や処方、魔術をおこなうといっても、公認を得ている以上、帝国法が適応される。聞き取りも義務だ」
嘘は言っていない。だが、内密の話である以上、飾りに等しい手順だ。
「……産ませることができないからだ」
「財政難というわけでもないだろう。彼女の身体に不安があるのか?」
「カネはあるといったろう。彼女も健康だ」
「不義や暴漢の子胤か」
「断じて私たちの子だ。だが、私には見合いの予定があるのだ」
早口で始まり、語尾が消え入りそうな言い訳だった。
「なるほど、遊びの娘というわけだな」
魔女はくちびるを薄くして見せる。
「違う!」
男がテーブルを叩いた。
「私たちは愛し合っている。だが家の立場上、親の決めた相手と婚姻を結ばねばならないのだ」
「ほう、彼女は妾にするということか」
「否定せぬが、それは依頼とは無関係だ」
「囲い続けるのなら、子の有無も無関係じゃないのか? 産ませたくない理由が他にもあるのだろう? のちに相続で揉めるからか?」
「彼女もそれなりの家の出だ。そんな卑しいことはしない!」
またテーブルが叩かれる。魔女は跳ねたランプを手で支え立て直す。
「だったら、なぜ産ませてやらない?」
「言っても田舎者には分からぬことだ」
「分からないから聞いているんだがな。話してもらわなければ処置はナシだ」
「それは……」
青年は言葉に詰まる、が鋭く魔女を睨んだ。
「私の口から世間体だと言わせたいのだろう。卑しい魔女め」
「おっと、すまない。魔女業なんてものをやってると性根が曲がってくるんだ」
「緋色の魔女については知っている。風の噂ではなく、信頼できる筋から同様の仕事をこなした経験があることも聞いている」
今度は青年がくちびるをゆがめて言う。
「魔女よ。おまえはその手で数多くのいのちを奪ってきたのだろう? 不治の病をかかえた者や、やむにやまれぬ事情で産めない赤子のいのちを」
「確かに、わたしは殺してきた。コインを積んで頼まれたからだ。誤解なきよう言っておくが、死なすのを決めたのは、どれも本人か親や後見人だ」
「同じことだろう」
「違うな。これはおまえたちが決めたことだ」
青年は何か言おうとしたようだったが、魔女は畳みかけるように言う。
「依頼は恋人に宿った赤子の殺害、理由は世間体。よし、引き受けてやろう」
侮辱の意図を汲んだか、暗がりで青年の顔に刻まれたしわが剣で斬ったかのように深くなる。
歯を見せ、隙間から毒や魔術でも吐き出さんとするかのように。
だが、青年は喉の奥をぐっと鳴らすだけに留め、金貨袋でテーブルを叩いた。
魔女は言う。「足りんな」
「な!? ゴールドで十枚入っているんだぞ!?」
「五十よこせ」
「バカを言うな。おまえのことを教えたやつは、五枚で引き受けてもらったと」
「個々のケースについては答えかねる」
誰から聞いたか知らないが、魔女は確かに五枚で引き受けたこともある。
ある貴婦人が若ツバメと遊んだ件では五枚、小汚い主人のお手付きになった幼い家政婦には、あるじには十枚請求しつつも、彼女に渡した薬袋にそのうち三枚を忍ばせて返してやった。
「どうした、払えないのか?」
「もぐりでも五枚で引き受けるというのに。十倍だぞ」
「違うな。半額だ。帝都中央区で子供一人にかかる養育費は金貨百枚と言われている。それに、わたしの料金がもぐりよりも高いのは、施術が完璧で安全だからだ。赤子は確実に死なせるが、母体は傷つけない。おまえはそれを目当てにここまで来たのだろう?」
「イヤな女め! 確かにおまえの言う通り、なるべく彼女を傷つけたくないから公認の魔女に決めたんだ! 五十でも百でも払ってやる! だが、もしも彼女に何かあった場合は……」
青年は立ち上がり、腰のつるぎに手を掛けて見せた。
娘も中腰になり、恋人と魔女を交互に見る。
「安心しろ。これ以上、傷もつけなければ、またぐらも緩くしないさ。すぐにまた胎を大きくすることだってできるぞ」
わずかに覗いた青年のやいばが、ランプの光を反射する。
だが血管の浮いた手の甲は震え、もう一方の手でみずからおしとどめた。
「……帰るぞ」
青年がコイン袋を回収した。
娘は「えっ、えっ」と、またも交互に見る。
「こんな女と話していても埒が明かん。父上のほうがまだ話が通じる」
煌びやかな衣装の男は、「これ以上、か」とひとりごちると、身重の娘を残して先に出て行ってしまった。
「残念だ。依頼はキャンセルらしい」
魔女は肩をすくめて見せる。
娘も慌てて退出しようとしたが足を止め、振り返って頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことはしていない。決めたのはあいつだ。だが、おまえはもう少し自分の意見を言ったほうがいいな」
娘は重ねて礼を言うと、恋人のあとを追って消えていった。
魔女は開け放しにされたままの扉を閉めようと、尻を浮かせた。
胎の不快感が消えている。立つのをやめ、代わりに両手を握りあわせる。
魔女は祈った。
魔女は薬を煎じ、傷を縫い合わせ、時には毒を与えたり、何かを掻き出したりすることがある。それが仕事だ。だが、この祈りは領分外のことだった。
かつてこのように祈った日々があったことを思い返す。
それは彼女が魔女になる前のことで、医師として敵国との国境線あたりに赴任していたときのことだった。
そこでは毎日、何人ものいのちが失われていた。
理由はさまざまだ。
敵兵と戦って死ぬ奴もいたし、戦わないうちに死ぬ奴もいた。
戦う役目を帯びていないのに剣に貫かれたり、どこからか流れてきた魔術の火に焼かれたり、敵の侵入を防ぐはずの地雷を踏んでしまう者もいた。
初めての現場だったが、帝都で学んだ話とは、ずいぶんと違った。
いのちの重みはみな等しいと教えられていた。
けれども、負傷する者の数が、医者や治療術師よりも多すぎた。
順番をつける他になかった。
後回しにされた者のためにできることといったら、目の前の患者を治療しながら、頭の片隅で彼らのために祈ってやることくらいだった。
だが、そういった者たちがいのちを取り留めても、腕や脚が足りなかったり、顎や耳を吹き飛ばされて鼓舞も呪文も口にできなくなったりしていた。
送り返す余裕があるうちはまだよかったが、そうでなくなると彼らは邪魔で、世話に手間もかかった。彼らもまたそれを理解しており、恥だと考えた。
ひとを死なせることは違法だ。帝国法がそう定めている。
特例として、公認の魔女には尊厳のもとの安楽死が認められていたが、現場ではときおり別の者の手によってそれがおこなわれていた。
仕方がなかった。それでも、彼女はいのちの重さが平等ではないと呑みこむ気にはならなかった。生きろ、苦しくたって。
彼女が出逢った先輩軍医の男も同意見だったし、学び舎で肩を並べ共に戦場へ出た親友なんかは、ひとりだけ生かしてしまった子供を引き取りもした。
だが、彼女はいのちの重さに違いがあることをほどなくして知った。
無数の嘆きとあきらめの前では誇りは長く続かなかった。
そのうちに仲間たちと意見をたがえ、とどめにある出来事によって徹底的に分からされたのだ。
ある時、胎の中に重みと、自分のではない魔力の気配を感じるようになった。
軍医にそれを告げると彼は喜び、目の下にくまを作り魔力を涸らしてまで仕事に打ちこむようになった。
無理をすることが実を結ぶことはあまりないものだが、不思議なことに彼は以前よりも多くのいのちを救うようになった。
彼女もそれを見習い、手放しかけていた信念を取り戻そうとしたし、暇があれば祈ることも忘れなかった。戦いのさきに必ず幸せがあると信じ続けていた。
……過労というやつだった。自分の中でいのちを育みつつ、誰かを死なせ見捨てることは、心身共に蝕んでいたのだ。
彼女はとても悲しんだが、そうなる前と同じように振る舞い続けた。
もともと胎はあまり目立たなかったし、交代要員が来るまでは彼に黙っているつもりだった。士気に影響するし、自分自身も騙したままでいたかったからだ。
ところが、つかの間の休息時に慰めとして身体に腕を回し合ったさいに露見してしまった。
魔術にも通じていた軍医には、彼女の中がうつろになっていることが見破れてしまったのだ。
彼は「なぜ隠していたのか」と、責めるように問うた。
言い方の問題だった。反発した彼女は、「マシな順序にしただけだ」と返した。
彼はそれを、「言うのを後回しにした」のではなく、現場判断でおこなわれていた「いのちの格付け」と同じ意味合いに捉えた。
なぜ堕ろしたのか。本当はぼくの子じゃなかったんじゃないのか。
ひと言余計だった。
そうだ。おまえの子じゃないから殺したんだ。
どうしてそんな嘘をついたのか、今でも分からない。
ただひとつ言えることは、あのころのふたりは酷く疲れていたということだ。
ゆいいつ正しい事情を知っていた親友が彼に告げ口をしてくれたようだったが、絶望的に開いたクレバスに橋を渡すには至らなかった。
交代の時期が訪れたが、彼は功績とみずからの希望により戦地に残った。
彼女は帰ったが白衣を脱ぎ、代わりに黒衣を身にまとうことを選んだ。
以来、彼女は名前を捨て、コインと引き換えに誰かを「救い」続けている。
魔女は祈りを終えると、自身のたなごころを見つめた。
この手のひらで治し、殺し、祈り続けてきた。
どれも「救う」という点においては同じはずだった。
ヤギは安らかに送られただろう。
あのふたりは希望を胸に帝都へ帰る道中だろう。
だが、魔女自身は独りのままだった。
風が吹きこみ、魔女はマントの前を合わせる。
立ち上がり、開け放たれたままの扉を閉めに行こうとした。
緑の風景の中に赤い巨体が降り立つ。
竜だ。そう思った直後にはもう、魔女は小屋を飛び出していた。
竜は長い首を曲げて森の小径のほうを気にしている様子だった。
どうやら先ほどは用があって早めに引き揚げたのではなく、客に気を遣っていったん退却しただけだったらしい。
両腕を広げ、竜の鼻先を受け入れる魔女。
竜が思いのほか賢いのに喜ぶと同時に、もどかしくもあった。
「どうせまだ洗濯してないんだ」
彼女はそう言い訳をすると、竜の口元にくちびるを当て、すきまから舌を出して竜の皮膚を湿らせた。
しょっぱいような、どこか血に似た生臭さを感じる。
竜は喉を鳴らすと、力加減を間違えたか鼻先で魔女を押し倒してしまった。
魔女は緑のまばらな地面に転がったまま両腕を広げ、今度は五十回か百回、竜の舌にねぶられたのだった。
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