03.選択と洗濯
火炎草の種を乾燥させたものを三粒すり鉢にいれ、すりこぎで潰す。
続いて千年幼虫の干物も胴体一節分加えて粉砕。
そこにヌマガエルの分泌液をひと垂らしして練りこみ、小鳥の目玉ほどの大きさに分けて球状に転がし、消化は悪いが香りのいいハーブを調合した粉をまぶす。
「またやった!」
魔女は粉をまぶす手を止めた。何か間違えたらしい。
せっかく作った「冬眠知らずの薬」を、足元に置いた髑髏マークのついた缶へと放りこんでしまった。
指についた赤い粉をひと払いし、タイジュ甘草の枝を口に咥え、甘みが染みだす前に歯でばきりと音を立て、火炎草の種の入った巾着を片手で開けようとして舌打ちをした。
香水を売りに帝都に出た日以来、魔女はずっとこんな調子だった。
親友のお腹の子のことや、図書館で元同窓生の男が魔女をからかったことがきっかけだ。
あれ以来、夢に負傷兵が出てきたり、女子供の悲鳴が聞こえた気がしたり、時期でもないのに下腹部が重くなったりする。
作業机から身を離すと、眩暈がした。それからにぶい頭痛も現れた。
無数に並んだ瓶から自分用に調合した鎮痛剤を探し出して、手のひらに適当に出し、まとめて舌に乗せる。
錠剤が溶け、凍てつくほどの爽快感が舌から鼻へと抜けるのに集中した。
身体の中のよどみが散っていくのを感じていると、小屋の外で何かが哭いたのを聞いた。
反射的に窓を見る。枝が揺れ、木漏れ日が輝いていた。
また幻聴か? いや、違う。
魔女は香水をひと吹きすると三角帽子を被り、杖を手に小屋を出た。
「今日もまたか。おまえは熱心だな」
庭先の広場に、くすんだ緋色の竜がいた。
彼女は小屋に近づき過ぎない位置で目いっぱいにこちらに首を伸ばし、短い手で宙を掻いている。
別に結界や柵があるわけでもないのだが、彼女なりのマナーのようなものなのだろうか。
魔女はその見えないラインを遠慮なく越え、みずから大きな鼻先を抱くようにして撫でてやった。
竜は目を細め、喉から小鳥のようさえずりのような音をさせる。
「よしよし、出会い頭に舐めるのはやめてくれたんだな」
会うたびに舐める回数が増えて洗濯の手間が掛かるものだから、この前は服に酷く酸っぱい汁を塗っておいたのだった。
魔女は竜の見やすい位置まで下がると笑いかけ、もう一度そばに戻って撫でてやった。
今度は竜のほうが頭を離し、何かを訴えかけるように短く唸った。
「今日は何を持ってきてくれたんだ?」
竜の足元には、人の頭ほどの大きさの白っぽい小岩が置かれている。
岩は白から赤のグラデーションを持っており、裏側を見ると……。
「驚いた。宝石じゃないか」
こぶし大ほどの赤く透き通った石が混じっている。
魔女は記憶の中でページを繰ると、宝石とは反対の顔色になった。
「戦争中のお隣さんで採れる希少石か。帝都の一等地に家が建つぞ」
扱いに困る。大人しく国に寄付するべきだろう。
とはいえ、竜は鼻息を吹いて首を突き出して待っている。
魔女はみたびの愛撫をくれてやった。
「両極端なんだよ、おまえは」
竜はなんらか土産を持ってくるようになっていた。
大抵は魔女の指先と同じにおいのする草や花だった。
竜の意図は分かったが、唾液漬けなので使い物にならないのだが。
苦笑していると竜が首をかしげ、魔女は竜の口の側面を優しく叩いた。
竜は長く鳴くと、翼をひとはためかせし、身を起こした。
「なんだ? 今日はもう帰るのか?」
そう口にした魔女は、またも苦笑の表情を作った。
竜が来たせいで昔のことを思い出したようなものだし、厄介なことになっているというのに、今では自分用に調合した薬よりも効果があったからだ。
竜は飛翔の姿勢を取ったものの、動かない。
魔女へ向かって首を伸ばしたり引っこめたりを繰り返している。
「分かったよ、ほら」
魔女は顎を持ち上げ、首筋を晒した。
竜が湿った赤い舌先を出し、遠慮気味にそこを一度だけなぞる。
ほんの少し、魔女の顔色に赤みが差す。
竜はそれで満足したらしく、天に向かって首を伸ばすと、大きな翼で風を巻き起こした。
魔女は小さくなる竜影を見送りながら考える。
酸味が理解できるなら、甘みなんかも分かるのだろうか。
それから帽子がゆがむほど首を振り、赤い髪を乱し、こぶしで首元を拭った。
「さて、これは人目につかないようにしまっておかなくてはな」
巨大な宝石を見てため息をつく。
ところで、魔女のブラウンの瞳の端に人間が映っている。
魔女はもうひとつため息をつきたいのをこらえ、その人間へと向きなおった。
広場とつながる小径に、小さな男の子と女の子が立っている。
森のそばの村に暮らしている兄妹だ。
「今のは内緒に……」
魔女は言いかけてやめる。白昼堂々、あの巨体だ。どの道バレる。
というか、今日まで何も言われなかったのが奇跡に近い。
「村長さんに伝えておいてくれないか? 人を襲ったりするやつじゃないって」
魔女は子供たちに頼みながら、要件であろう、女の子の腕の中で丸まった白い毛並みの獣を見た。右脚にべっとりと血の跡だ。
「さっきのはドラゴン? 魔女は竜騎隊みたいにドラゴンも飼ってるの!?」
隣にいた男の子が興奮した様子でまくし立てる……も、慌てて首を振り、
「ドラゴンのことを秘密にしておいて欲しかったら、お願いを聞いて!」
などと生意気なことを言った。
「わたしを脅そうってのか? 秘密じゃなくって、伝えて欲しいって言ったんだが。……それにだ」
ここへ来るまでの道はそれほど険しくはないが、村では子供が魔女の森に出入りすることが禁じられている。
魔女がそのことを指摘すると、男の子は「つ、告げ口されたって平気だし! 魔女は嘘つきだって言ってやるもんね!」と虚勢を張った。
「そうか、残念だなあ」
魔女は気持ちをこめて言う。
「この前、おまえの父親に頼まれて熱さましの薬を売ってやったんだけどなあ」
「えっ、あの苦いやつ!?」
男の子はまっさおだ。
「仕返しにもっと苦くしてやるよ。せいぜい風邪を引かないようにするんだな」
魔女は笑う。いーっひっひっひ。
くだらない寸劇をよそに、女の子のほうはずっと訴えかけるような目で男の子を見ていた。
「お兄ちゃん……」
「おっと、そうだった。こいつを診てよ……診てくれませんか!」
女の子の抱いているのは仔ヤギだった。
ヤギは村で多く飼育されている家畜だ。乳を搾ってもよし、肉にしてもよし。
特に魔女が持ちこんだ知識で餌が変わってからは、村外からも買い付けに来る人間が増えている。
「酷いものだな」
仔ヤギの細い脚はへし折れ、傷口から流れた血が白くて綺麗だったはずの毛をまっかに染めている。
傷からしてトラばさみだろうが……。ヤギは植物ならなんでもかじってしまうため、森に立ち入らせないよう村と取り決めをしてあったはずだ。
「勝手に逃げ出したの。餌もやってたし、それにこの子はお肉にしないってお父さんが約束してくれたから……」
女の子は言い切る前に泣き出してしまった。
ヤギに触れてみる。熱い。竜よりも。
反して、傷から先の足は冷たく、ハエがたかっていた。
魔女は思案する。
雑菌が繁殖して全身に回っている。
解毒をしたとて、傷を塞ぐだけの体力がないのは目に見えている。
薬師や医者どころか、一級の治療術師ですら保証できない案件だ。
それに万が一に一命をとりとめても、この足は切断するほかない。
「助けてやってよ。魔女はなんだって治せるってお父さんが言ってた」
男の子は顔をまっかにして頼みこむ。
しかし、魔女は冷たく言う。「このヤギは治せない」
「なんでだよ! おれの熱だって治してくれたのに。助けてくれないの!?」
「助けることはできる。助けることがわたしの仕事だからな」
魔女はベルトに結わえたポシェットから痛み止めの草を引っぱり出し、男の子の手のひらに乗せた。
「これを傷口に当ててやれ」
「治るの?」
「ただの痛み止めだ。これでは治らない」
男の子は「治してよ!」と言いながら草をあてがう。
それから「冷たい……」と呟いた。
「どうしても治したいというなら、試してみなくもない。だが、それなりの対価を要求するぞ。たくさんの薬がいるからな」
男の子はヤギ、妹、魔女と視線を忙しなく動かし、泣きっ面の妹を見直し、「お金ならなんとかする」と言った。
「助かる可能性は低いぞ。助かろうが助かるまいが、こいつはそのあいだ、ずっと苦しむことになる。たとえ助かっても、この足はもう使い物にならない」
「それって、切っちゃうってこと? 鍛冶屋のところの兄ちゃんみたいに」
「そうだ。戦争がえりのあいつのように」
両脚が消え、今は酒を呑んで暮らしている。
彼の慰労金は、二日酔いの薬と引き換えに魔女の懐に収まり続けていた。
「おれ、熱があったときは死ぬかと思ったし、下がったときは泣きそうなくらい嬉しかったけど……」
傷口を押さえる小さな手は震えている。
「助ける方法が、もう一つある」
ベルトから小瓶を抜く。ちょっとした麻酔薬だ。弱った仔ヤギには話が違うが。
「これを嗅がせてやれば、こいつは眠る。もう、二度と目が覚めることはない」
「殺しちゃうってこと!? 可哀想だよ!」
男の子は薬草をあてがっていた手を離し、一歩あとずさった。
魔女は逃がさぬと言わんばかりに彼の瞳を見据える。
「確かに可哀想だな。だが、急速に感覚が麻痺して痛みを感じることなく死ぬ。死ねば無だ。楽しいことや嬉しいことがない代わりに、苦しむことも悲しむこともなくなる」
男の子は魔女から目を逸らし、ヤギや妹を見ることもしなかった。
「選ぶんだ。おまえたちで決めてやれ」
本当のことを言うと、彼らが決めるまでもない。
ヤギの呼吸は徐々に小さくなっている。
「お願いします」
言ったのは妹のほうだった。
彼女は地面の上に座りこみ、仔ヤギを膝に乗せ、小さな声で何か歌いながらヤギの身体を撫でつけた。撫でたところの毛が薄っすらと朱に染まる。
魔女が茶色い小瓶を近づけようとすると、男の子が袖をつかんだ。
「やめるのか?」
彼は首を振る。「おれがやります」
「分かった。栓を抜いて近づけるだけでいい」
男の子は瓶を受け取るとひざまずき、ヤギの鼻先へと持っていった。
栓を抜いてひと呼吸おくと、ヤギは幽かに鳴き、長い長い息を吐いた。
男の子は栓を戻したが、妹が歌い終えるまで、共にしゃがんだままだった。
三人が立ち上がると、小径には男性の姿があった。
兄妹の父親だ。彼はつぎはぎの多い帽子を取って魔女に頭を下げた。
「戻ったらお墓を作ろう」
父親がふたりの肩に手を掛けると、女の子は泣き出した。
男の子のほうは泣かずに、だがくちびるを噛み会釈だけで魔女に礼をした。
「ヤギを森に入れて申しわけない」
「わたしの領分にか? ということは、罠もこの森に?」
森は広いが、魔女の森とされた領域では禁猟だ。
「罠を鍛冶屋に見せたら、自分が作ったものではないと」
また密猟者か。竜を襲っていた荒くれ集団を思い出す。
いや、あれと同類にするのはいささか意地が悪いだろう。
この国では、他者の土地から生きる糧を得ようとする行為が増えていた。
隣国との国境に近い地では特にそうだ。
ここは国境から離れてはいるが、しわ寄せは徐々に国全体に波及しつつある。
「あ、そうだ魔女さま。村の者が森で竜の影を見たと言ってたのですが……」
「事実だ。あれはわたしの客で、人を襲うことはない」
「竜の客、ですか。ということは帝国軍の?」
「そうではないが、安心してくれていい。万が一があれば、わたしが片づける」
親父は「村長に伝えておきます」とあっさり呑みこむと、もう一度礼を言い、子供たちを連れて立ち去った。
魔女は口の中が苦くなっていた。竜を殺す。
軍の命令があれば、すぐにでもそうなるだろう。
その時は、槍やつるぎで突き刺すのだろうか。
今の仔ヤギのようにしてやるのだろうか。
「なんにせよ、洗濯だな」
打ち消すように言った。
黒いローブの大袖は見た目には変化がない。
だが、ヤギの血をたっぷりと含んでしまっている。
魔女の衣装が黒なのはこういった汚れが目立たないからだったが、彼女は洗濯を欠かさない。
おっと、いけない。魔女はその辺に転がしたままのお宝を思い出した。
せっかく気分を直したのに、また沈みかけている。
国に引き渡す前に少し欠いてもらってしまおうかと考える。
魔女の耳が話し声を拾った。また誰かが近づいてくる。
魔女は重たい岩を腹のあたりで隠すようにかかえると、次なる客を見て気を重くした。
村では見かけない、身ぎれいな若い男女だ。
男のほうの衣装には金糸の刺繍もあり、飾りくさい剣を腰に帯びてもいる。
彼は足元の草や枝葉に対して不快感を示していた。
それからもう一方、女性のほうは今の魔女と同じように下腹部に手をやりながら、沈んだ表情をしていたのだった。
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