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悲竜  作者: 鳥遠かめ


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13/15

13.星のない夜

 それは三日三晩降り続く。

 雨は次第に雪に変わり、空はただひたすらに魔女の世界を冷やし続けた。

 子供たちが何か言ったのか、ただの偶然か、来客は無かった。

 村民だけでなく、本来なら追いかけ謝るべきだった人物も、魔女が欲する竜も訪ねてこなかった。


 ようやく降り止んだ四日目。だが青空は見えず、空は雲が覆い続けていた。

 魔女は一日中、すり鉢の相手をして過ごした。

 ときおり窓から広場を見たが、まるで彼女のようにからっぽのままだった。


 昼過ぎごろになって、ようやく誰かが訪ねてきた。

 玄関先に行くだけなのに息が切れるほどに慌てて出た魔女は、訪問者に対して失礼な顔をした。

 帝都からの郵便物だった。

 図書館に置き去りにした門外不出の手帳とノートだ。

 添えられた手紙に記された名前は、待ち人ではなく眼鏡男のものだった。

 魔女は扉を乱暴に閉めた。


 それからもずっと乳棒で素材をこぎ続けたが、配達人の他に訪ねてくる者はなかった。


 星のない夜だった。

 すっかり降り積もった雪が森のすべてを眠らせていた。

 魔女は、起きているのは世界中で自分ひとりなんじゃないかと疑った。


 暖炉もつけず、酒や薬で身体を温めることもせず、ただシーツにくるまって身を丸める。

 転がった彼女の中心は空洞で、今の広場のように冷えている気がした。

 彼女は自身の下腹部を撫でる。人の温かさがある……ように思えた。


 確かに、夫となるはずだった彼にからっぽの胎を撫でさせたのは罪悪だろう。

 しかし彼女は、あの日から今日まで、ずっと氷のようなそれを抱え続けていた。


 ただ、それに気づいて欲しかっただけだったのに。


 もう、涙も出なかった。雪も再び降りだす様子はなかった。

 これが最後の積雪になるだろうと思った。

 冬が終わる前に軍の作戦が始まる。

 翌朝、魔女は目覚めると鏡の前に立つこともなく、食事もとらず、ただただ注文された薬の製造に精を出した。


 作業がひと段落し、身体をほぐすと腹が鳴り、いい加減に村の酒場にでも行くかとため息をついた。

 窓の外を見る。

 まだ白いままの世界に、くすんだ赤のかたまりがある。

 家主が窓際に立つのを待っていたのか、それは少し首を動かした。


 魔女はくちびるを結び、再び乳棒を握った。

 外で悲しげな竜鳴が聞こえたが、魔女はいっそう激しくすり鉢をこすった。

 軍部に納品するぶんや、村民に渡す薬はとっくにできていた。

 魔女のすり鉢はからっぽだった。


 昼下がり、いい加減ばかばかしくなって、外へ出る。

 意地を張るのも腹が減る。村へ行くには竜の前を通らなくてはならない。

 こちらから声を掛けてやることはしないが、向こうが望むのなら撫でてやったり、舐めさせてやったりしてもいい。

 そう思って小屋を出たが、赤いかたまりがあるべき場所は、ぽっかりと空白になっており、そこだけ雪が融けて地面が露出していた。


 魔女はこの虚空を見て、うら悲しくなった。

「ごめんな」と、つぶやく。

 それから、地面に何かが落ちていることに気づいた。


 竜鱗だ。

 くすんだ緋色の鱗が、何枚も散らばっていた。

 それは竜の唾液と血液で、にぶく光っている。

 魔女は初めて金貨を手にしたときのように鱗を押しいただくと、雪で丁寧に洗って懐に仕舞った。


 まっさらな白い小径をゆく。

 魔女はなんとなく、すでについた誰かの足跡をなぞるように歩いた。

 ときおり小さな足跡が道を横断するのを見つける。

 枝から雪や雫が落ちて帽子のつばに当たるのを感じる。

 辺りはしん、と静まり返り、自身のブーツが雪を押しのける音だけが聞こえる。


 ふと、魔女は足跡の数に疑問を憶えた。

 配達人以外に、誰かがこの道を通ったのだろうか。


 ああそうだ、密猟者だ。

 この魔女の森に罠を仕掛ける不届き者がいるのだった。

 雪が積もる前に罠を置いて、獣を騙すのだ。

 魔女は精霊を呼び出し、雪を融かしながら歩いた。

 食うに困っての犯行だ。通り道のまんなかに仕掛けることはさすがにしないだろうが、子供なんかが間違って踏む可能性もある。

 村までじっくり時間を掛けて進んだが、トラップのたぐいは見つからなかった。

 徒労にため息が出るが、振り返ってみると、図らずも自身の小屋への道が整備されて、なんとなく気分が軽くなった。


 酒場に入ると、まだ昼間だというのに酒と料理の温かなにおいが充満していた。

 帝都では忌み嫌われる存在へと掛けられる、気さくな挨拶。

 雪で仕事にならないからと村民総出で怠けているらしい。

 いつもは男臭い酒場だが女子供の姿もあり、店主もカウンター席で談笑し、厨房には村の女が勝手に出入りしているようだった。

 あっちのテーブル席では焼けた鉄のような赤ら顔の親子が、何かの設計図を広げて小さな金属部品を手に語り合っている。

 向こうの子供たちばかりが集まるテーブルではゲームが催されているようで、木彫りのコマやサイコロが軽快な音を立てている。


 魔女は頬を緩め、「これだけで充分だ」と思った。


 だが村人たちは逃がしてくれない。おのおの空いた席を指したり、わざわざ椅子を引っぱってきて「一緒に呑もう」と誘う。

 魔女は歓談し、ゲームに興じ、足元がふらつくまで呑んだ。

 久しぶりだった。

 今日までずっと、頭の中で竜の寂しげな鳴き声や、途切れた抱擁の余韻なんかがぐるぐると回っていたが、酔いが世界をとろかすのと同時に消えた。


 夜になってようやく解放され、まだ呑み続ける村人たちにおやすみを告げる。


 温かな世界から雪の世界へ。

 無音だ。魔女は酒場を振り返る。からっぽの反対。

 酒場以外はみんな空き家状態だ。不用心なことこの上ない。

 まあ、この積雪で密猟者すら休業しているのだから、無用な心配だが。


「しまった」


 魔女は小径に差し掛かってから足を止めた。

 コインを支払っていない。すっかりごちそうになってしまった。

 明日は多めの料金だけでなく、二日酔いの薬もたっぷりと煎じて届けて、たまには一件づつ回診なんてしてみるのもいいだろう。


 魔女は歩く。強い風が吹く。

 雪は融かしておいたとはいえ、割れるような寒さがマントの前から忍びこみ、前を閉じて襟を立てた。さっきまで暖かかったぶん、余計に刺す。

 ランプを灯すと、やはり繁盛したままのキノコや草花が気になった。

 職業病だと苦笑する。酔い醒ましにはちょうどいいかもしれない。

 だが、醒め切る前に帰って寝てしまいたい気持ちもあった。

 醒めと共に悲しいことや切ないことも、帰ってきてしまうだろうから。


 魔女は早足に森を進む。


 懐に突っこんだ手は、鋭利で固いものを弄んでいる。

 竜の鱗。

 竜は、彼女はどうしているだろうか。

 みずから鱗をちぎって寄こすなんて無茶をして。

 最初もそうだったか。魔女は思う。わたしへの謝罪のつもりだろうか。

 本当に謝らなくてはいけないのは、わたしのほうだ。

 魔女は竜を傷つけたことを自覚していた。

 待ちぼうけを食らわされて、やっと帰ってきたと思ったら、男のにおいをたっぷりとつけていたのだから当たり前だ。


「浮気者だな」


 口にすると少しおかしくなる。

 村人たちだけでなく、彼女にもサービスをしてやらなくては。


 ……ふと、不安になる。

 この鱗は仲直りの印ではなく、別れの挨拶だったら、どうしよう。


 魔女は駆け出した。

 今日はもう竜は帰った。普段でもこの時間は山に帰っているのは承知だった。

 それでも走らずにはいられなかった。


 広場に出ると、魔女は何かに足を取られて転倒した。


 痛みが走る。鼻をぶつけた。

 雪を融かしたのは小径だけで、広場はまだだった。

 雪のかたまりにつまづいて転んだのだ。

 立ち上がり、竜がいた場所を見る。からっぽだ。

 虚無がこころに忍び寄るのを振り払い、逃げるように小屋へと向かう。


「……」


 魔女は玄関の階段で足を止めた。


 耳を澄ます。

 鼻を鳴らす。

 振り返る。

 竜はいない。

 見上げるも、星のない夜が広がるばかり。


 何か違和感を感じた気がしたが、酔いのせいだろう。

 やはり水と薬を胃に入れてから寝よう。


 魔女は扉を開けた。



 小屋に入ると、背後で扉が勝手に閉じた。



 扉を閉じた奴が襲い掛かってきた。

 部屋は暗く、魔女は酔っていた。相手は気配と体躯からして男だと分かった。

 なので、つかまれる前に顎に掌底を喰らわせ、膝で壁に押し付け、背負ったままの杖から炎を呼び出してつらを拝んでやった。


「わたしが捕まえてやった雑魚だな」

 密猟者にして脱走者の彼は、傷痕の多い汚い顔をしていた。

「く、くそ……。怪力め。それも薬や魔術の力なのか?」

「半分正解だ。小屋に忍びこんでどのくらいになる?」


 後ろ暗い相談を持ち掛ける者が、魔女を消そうとすることも稀にある。

 だから魔女の小屋の空気には、毒を含ませてある。

 毒といっても、慣らされた者には無害だが、そうでない者が長居すると動きが鈍くなり、呂律が怪しくなる程度の毒だ。


 魔女は敵の顎の下に竜の鱗を当てた。


「竜鱗で喉を裂かれるのがいいか? それとも毒でなぶり殺してやろうか?」

「み、見逃してくれよ……」

「部屋を汚したくないから、いのちだけは助けてやろう。どの道、脱走者は捕まれば死罪と決まっているがな」


 魔女は契約の言葉を呟くと、精霊にマントの襟の裏に縫い付けておいた生地を焼かせた。

 ふっ、と魔女のくちびるから吐息が漏れると、灰と一緒になって何かの粉が男の顔に掛かる。

 男は脱力し、魔女が手を放すと床に転がった。

 魔女は男の荷物を取り上げて手足を縛り、布でさるぐつわをした。


「前線基地で見たことがあるが、処刑前提の尋問はキツいぞ。おまえは敵国人ではないが、軍のメンツに傷をつけたんだしな」


 もうひとつふたつ、対策を講じておこうかと思ったが、代わりに古びたコートを掛けてやり、「朝までに凍死してるといいな」と厭味を言っておいた。


 返事はいびきだ。

 魔女はため息をつくと水と薬を飲み下し、男がちゃんと気絶していることをもう一度確かめてからベッドに入った。



 翌朝、魔女は不快なにおいで目を覚ました。

 身を起こすと身体にも違和感。軽い二日酔いだ。

 村民向けの調合は、自分には合わないようだ。

 それから、昨晩に侵入者があったことを思い出す。

 杖とナイフを手に部屋を出ると、男はそのままの姿勢で転がっていた。


「……だったら、このにおいはなんだ?」


 魔女は思索に耽る。


 なんだ、どこからにおっている?


 何が燃えている(・・・・・)


「ひひひひひひひ!」

 さるぐつわの下から笑いが漏れた。

 男は縛られたままの格好で身を丸め、肩を引くつかせている。


 魔女は小屋を飛び出し、見上げた。



 黒煙だ。灰色の空に、まっくろな煙がいくつも立ち上っている。



 村の方角だ。



***

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