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悲竜  作者: みやびつかさ
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01.来客

 くっきりと縁どられた瞳が揺れた。


 ブラウンの虹彩、まばたきひとつ。されど映った姿は消えず。

 いっぱく置いて、扉を閉めて、またいっぱく置いて、ふたたび開く。


 彼女の見間違いではない。小屋の前に珍客がいた。


 見上げるほどの巨体に、爬虫類に似た見掛けのくせして一枚一枚が独立した魚鱗のような鱗を持ち、広げれば片翼につき胴体の三倍ほどの幅を持つ翼が一対の生物。


 飛竜だった。それも雌の。


 鱗のくすんだ緋色は雌の証だ。額に並んだ控えめの角もそうだ。

 雄なら鮮血を思わせる色彩と、敵の身体を突き上げる野太い武器を持つ。

 それに気性が荒いし、何より口から炎を吹く。

 人間の住む小屋の前で、こうして大人しく頭を下げていられるはずがない。


「もしかして、あの時の竜か」

 独りでに納得するような物言い。だが。 

「いや、待てよ」


 彼女は色とりどりの汚れに染まった指先で、長い髪を押さえた。

 さすがに狭い小屋の中で、あのつば広で縦にもとんがった帽子は邪魔だ。

 人と会う時と外出する時には、自身の職を示すために欠かせないものだが。


 竜は首を少し曲げて顔の側面を見せていた。

 黄色い虹彩と黒い瞳孔は、確実にこちらを捉えている。

 それから、畳んだ翼で覆われた背をゆっくりと上下させながら呼吸していた。


 仮に卵から育てた騎乗用だとしても、帝国軍のあのいかつい鎧を目印に従うべきか見定めているはずだ。

 「番」(つがい)と呼ばれる熟練兵になれば、顔まで識別してもらえると聞くが……。いや、そもそも竜騎隊の竜は同じ飛竜でも青だ。


「あいにく、こっちは曖昧でな」

 動植物には詳しいが、竜のつらを憶えるコツは知らない。


 いったん小屋に引っこみ、来客用のテーブルの上に放ったままの黒くて大きな帽子を被った。

 それから、すり鉢やら瓶やら散らばった粉やらでごった返した作業台に立てかけておいた――もうひとつの身分証明であり武器である――木編みの杖を手に取る。


 彼女は、いわゆる魔女だ。

 さまざまな効能のある薬を煎じ、それを用いて対価と引き換えに徳や罪を手伝い、杖をかざして約束の言葉を口遊めば不思議を呼ぶことができる存在。


 つと、魔女の耳が外での音を拾った。

 みゃーとも、ひゅーともつかない、風の()くような声だった。


 その声を聞いた途端、杖を固く握る手が緩められた。

 魔女は帽子のつばの破れ目をお気に入りの角度に直し、扉を開く。


 と、同時に息を呑んだ。


 竜はさっきよりも小屋のそばにいた。

 退化した前脚の片方をこちらに伸ばし、手招くような、あるいは引き止めるような姿勢でいた。


「わたしが帰ってしまったと思ったのか? 安心しろ。コソ泥以外には親切なんだ」


 あと文無しにも不親切だがな、と付け加えるのが常套句だったが、口をつぐむことにした。

 飛竜相手に人語で話すなんて、ばかばかしい。

 どうせ、帝国金貨を持っているはずもないだろうし。


「わたしに用があって来たんだな? この前の礼なら……」


 要らんぞ、と言おうとしたが今度は黙らされた。

 ぬめぬめした赤くて長い肉のかたまりが、彼女の頬に礼をしたからだ。


「おい、おまえ!」


 眉間にしわを寄せて飛竜に怒鳴るも、今度は正面、顎から額までをべろりとやられる。

 振り上げられた杖が赤い光をまとうが、竜は構わずもうひと舐めしようとした。


「いや、待てよ」


 さっきと同じ呟きののち、杖が下ろされ、代わりに腰のベルトに挿してあった空き瓶が引っこ抜かれる。

 瓶のふちが魔女の顎から頬に掛けてなぞると、顔を汚していた液体が内部に溜まった。


「いい香水が調合できるはずだ。……原液は臭すぎるが」


 魔女は快とも不快ともつかない笑顔をすると、「なあ、竜よ」と言った。

 言葉を理解してか、単に満足してかは分からなかったが、竜はあとずさり、さっきよりも甘ったるい声でひと鳴きし、腹を地面にぴったりとくっつけた。


「帰れ。わたしは竜騎隊でもなければ、飼育許可証を持っているわけでもない。帝国兵にでも見つかったら、今度はこっちが密猟者扱いになる」


 竜は小首をかしげた。

 あらためて見ると、飛竜は一般的な個体よりも、ひと回り小さい気がした。

 特徴からして雌なのは明らかだったが、体躯が雄程度しかない。

 かといって、幼体というには鱗の艶が足りなかったし、角がひび割れすぎている。


「怪我や病気でもしているのか?」


 密猟者どもは矢を射かけてはいたが、安物の鋼鉄の矢じりは弾かれていたはずだ。飛竜は地上に下りなかったし、剣や鎚で撃たれたりもしていない。


 魔女はすり足でじわりじわりと飛竜に近づき、手を伸ばした。

 手を近づけるだけで体温が伝わってくる。

 鱗のふちは鋭いが、重なりに沿って指先を這わせると、すべすべとしていた。

 竜が喉を鳴らし、わずかに翼を開く。

 巨体を空に持ち上げるその膜にも触れる。死骸と違って張りがあり、温かい。


「くたびれてはいるが、不健康というわけじゃないようだな。魔力の流れに乱れもない。わたしはおまえが何がしたいのか分からん。来る場所を間違ってないか? ここにいられると、商売あがったりなんだが」


 竜はまたも喉を鳴らすと、顔の側面を胸へと押し付けてきた。


「言っても分からんか。攻撃して追い払うわけにもいかんしな」


 懐いているのは分かる。助けてやったせいだろうか。

 魔女としては竜の落とし物が必要だったし、密猟者のつらが帝都の掲示板に張り出されていたものと同じで、悪くない金貨の枚数が記されていたからやったことに過ぎないのだが。


「わたしの仕事にゃ、おまえの皮だの角だのも使うんだぞ」


 口もとをわざとらしくゆがませた顔を、竜の瞳に映してみる。

 いっしゅん白い膜が瞳を覆い潤いを与えると、魔女の顔がまつげの一本一本まで細かく描かれる。

 魔女は「鏡みたいだな」と呟くと、さまざまな表情を試し始めた。


 ……竜が後ずさり、わずか唸った。


 魔女はほんのいっとき固まって何か思考したが、咳払いひとつすると、手で追っ払う仕草をした。


「ほら、帰れ」


 竜が哭く。風が滑るように、獣が弱るように。


「そんな声を出しても……おい、何をやってるんだ?」


 竜は首を目いっぱい胴側へ曲げると、後ろ脚のそばで噛むような仕草をした。

 竜の下に、からんからんという音を立てて何かが落ちる。


「おい」


 魔女は呼ぶも、唐突に起こった風に目を閉じ帽子を押さえた。

 目を開いた時には、飛竜が翼を全開にしていた。


 まばたき、見つめ合い、はばたき、風が渦を巻く。


 木々がしなり、鳥が逃げ、木の葉が舞った。

 見上げる。竜はすでに影となり、遥か北へと飛び去ろうとしていた。


「やっぱり、礼をしに来たのか」


 雌の飛竜が去ったのち、そこには数枚の竜鱗(りゅうりん)が残されていた。

 くすんだ赤の鱗はぬめり、光っていた。

 それには唾液の他に、色付いたものも混じっていた。


***

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