君へ
君へ。
旅の途中でも一度立ち止まって、ひとを思い返すこと、それ自体にも意味があることだと思う。
些細なきっかけで、思いを手紙に乗せて送るお話です。
旅を続けて随分経つにも関わらず、雑貨を漁る趣味は相変わらずだ。浪費癖である自覚はあるが、これはもはや私の旅の目的と化していた。旅人は破天荒な生き物だから、気に入ったものは買うぐらいがちょうどいいのだ。
「なるほど」
丸底の瓶に入った香水や木彫りの小鳥なんかは定番だ。鉄と火の町で買った小さな笛はアタリだったな。逆に人形とは私は相性が悪いらしく、森の町でも潮風の町でもハズレを掴まされた苦い記憶がある。ランタン、望遠鏡、ポーチに陶器に天井から吊り下がった帽子、見た目には楽しいがどうもぴんと来ない。
「……これは」
様々なかたちの並ぶ暖かな色の棚で、ふと目に留まるものがあった。
なんということもない、便箋だった。手に取りかけて、指が止まる。
良く言えば定番、悪く言えばありきたり。挿絵が町それぞれで特色ある――などと言うのは旅慣れない素人だけ、この手の商売はうんざりするほど見てきた。この町の絵柄は砂の海を行く船で、その平凡さにも大きく息を吐く。橙色の灯りに照らされて、砂の絵は無色だった。
「お姉さん、それ買うの?」
「……えっ」
「やあ」
不意に声を掛けられて振り返れば、少年が手元を覗き込んでいた。なんとなく、棚に戻す。
「いいや、見てただけ」
「ふうん……」
その顔を見て合点がいった。さては店主と親子だな、したたかな奴め。
「私も仲間も旅人だから、手紙の宛先がないんだよ」
「そっかあ」
わざとらしく考え込むしぐさ。私は棚の物色に戻る。甘ったるいアロマキャンドルの薫りが鼻を突く。
どうにも琴線に触れないな。今日じゃないのかもしれない。息を吐いた。
何かを察した少年の気配を感じる。
「やっぱり、手紙、買わない?」
「買わない」
「えー」
少年は背伸びをして、私が置いた便箋を手に取った。あっ、思わず声が出る。
「宛先が分からないだけで、本当は送りたい相手がいるんじゃない?」
「そう見える?」
「うん」
少年は自信たっぷりに笑った。
「さっき、顔にそう書いてあったよ」
「……」
送りたい相手。船で旅の一団に混ざってあちこち渡っていたことがあり、思い出すものといえばやはり彼らの顔だ。
「……そうかも。船に宛てれば郵便屋さんが預かってくれるんだっけ」
「そうなんだ、素敵じゃん」
「だね、たまには書いてみようかな」
少年から差し出されるままに一枚を受け取って、少し悩んで――もう一枚。
「二枚?お姉さん、二つも船に属していたの?」
「まさか」
自慢ではないが、船に固定のメンバーとして乗り込むのはなかなか難しい。船の主はたいてい金があり、その金を旅などという危険なものに使う阿呆だからだ。私は目指す方向が変わったから船は降りたが、その時ですら相当悩んだものだ。
「これは……大切な友人に」
「住所はわかるの?」
「さあ」
「さあ、って」
少年に勧められるままに便箋とついでにペンを買って、店に備え付けの机につく。こいつめ、なかなかやりおる。
「突然船からいなくなったんだ。歌がうまくて、気のいいやつだった」
「へえ」
船から落ちて死んだのだろう、とか、寄った町で恋にでも落ちたのだろう、とか、犯罪をやらかして捕まったのだろう、とか、仲間内でも好き放題言われていた。
「でも、宛先が分からないんじゃあ、届かないね……」
「どうだろう。旅人は破天荒な生き物だからなあ」
「えっ?」首を傾げる少年を他所に、私はペンを走らせる。あれだけ躊躇していたのが嘘のように、ひとたび書き始めれば、想いは砂海に溢れ出す。
時が経つのは早いもので、一通の手紙を出した帰り道はもうすっかり夜だった。
夜の浜辺は風が強い。月明り、砂の渚は白に黒に揺れている。
座り込んだ。
吹いて飛ぶ礫の波紋が肌にちくちくと当たって、砂上船にいる気分だった。
昼間の太陽に照らされた金色の砂原もよいものだったが、こういう夜の景色こそ私は好きだった。非番の夜に意味もなくデッキに出ては笑われたのを思い出す。
――加えて、夜は人がいないのに、あいつは私のために歌ってくれたな。
なあ、君はいまどこにいるんだい。遠くにいるなら遠くにいるで、元気でいるって教えてくれよ。
そういう旅路ではないし、まだまだ道半ばだが、なんだか今日はそういう気分だ。だから、我ながららしくもなく、宛先のない手紙に封をした。
土産の便箋は安くない。それを届くはずもない相手にだなんて。しかもそれを分かっていながら、今なら届く気がするだなんて。いくら旅人が破天荒な生き物だといっても、それが彼の信条であっても、明日の私が見たらきっと失笑するだろう。
……だったら、なおさら今日だろう。私は手紙を掲げて、そのまま手を離した。
そろそろ遅い時間だ。宿に帰ろう。
放されるままに風に乗って宵闇の海を飛んでいく手紙を見て、帆船みたいだな、と思った。
もし君に届いたのなら、きっとお返事をください。
読んでいただき、ありがとうございました。