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第7話 あなたが全て

「君はさ、こんなところで燻っていて良い人間じゃないよ」


 信じられない、というような、驚愕に揺れる瞳を向けてくるフィリップに耐えきれず、ルシルは目を逸らす。握られたままの手を引けば、なんの抵抗もなくするりとフィリップの手をすり抜けた。


 師匠。教え、導く者。

 フィリップをより良い道へと送り出すことがルシルの務めであり、あの日にフィリップを拾い上げたルシルの責任だと、そう思う。


「……師匠」


 低い、低い声だった。

 そこに確かに宿る怒気を感じ取って、ルシルは小さく身をすくめる。


「こんなところって、なんですか」


 フィリップらしくない、吐き捨てるような言葉。


「師匠の隣以上の場所なんて、あるわけない」


 ぎしり、と寝台の軋む音がした。慌てて、ルシルは振り返る。

 視界に飛び込んできたのは、フィリップの顔だった。寝台に乗り上げ、片手をルシルの顔の横についたフィリップは、ルシルが顔を上げた瞬間に体勢を変え、反対の手もルシルの顔の横へと叩きつける。

 まるで押し倒されたかのような状態で、ルシルはフィリップを見上げていた。


「俺の気持ち、何も伝わってないんですね」


 心臓が煩かった。堪えきれず、ルシルは目を閉じる。

 それが、良くなかった。一瞬後、唇に触れた感触を追いかけるように、慌ててルシルは目を開ける。


「俺はずっと、こういう意味であなたが好きだって、言ってる」


 腕を曲げ、少しだけ距離を詰めたフィリップが、吐息が触れそうな距離で囁く。長い髪が滑り落ちて、ルシルの頬を掠めた。


「俺はあなたに恩があって、借りがあって、尊敬してるし感謝してるし、俺にとっての世界はあなたです。あなたはそれくらい、分かってると思ってました」

「……分かっているから、いつまでも私だけを追いかけているわけには行かないと思ったんだよ」

「なんで俺の道をあなたが決めるんですか!」


 至近距離から叩きつけられた大声にびくりと身体を震わせたルシルに、すみません、と小さく謝ったフィリップが、それでも震える声で言葉を紡ぐ。


「弟子を導くのが師匠の務めだってあなたは言いますけど、俺にとっての正しい道をどうしてあなたが分かるんですか! あなたと一緒にいるのが、俺にとって一番正しい道だって、どうしてあなたは分かってくれない?!」


 びりびりと、窓が振動している音がする。がちゃんと、何かが割れるような音がした。

 フィリップの身体から立ち上る魔力が渦を巻き、ルシルの頬の横のシーツが裂けた。ありとあらゆるものが破壊されていく中であっても、ルシルの身体に傷がつけられることは、決してない。

 しばらくの沈黙の後、荒い息の隙間から、フィリップが叫んだ。


「分かりました、もらいますよ!」


 半ば奪い取るようにして、フィリップはルシルの手から魔道具を受け取った。

 ルシルがずっと胸元に抱き続けていたそれが、フィリップの手へと渡る。


「こんなものなくたって、俺が自分の意思であなたの側にいるんだって、証明してやる!」


 ルシルの上で怒りに満ちた、けれど泣き出しそうな、そんな顔をしているフィリップの姿が、数年前と、重なった。

 

「……ごめん」


 どうにか絞り出した、消え入るようなルシルの言葉に、フィリップは殴られたように顔を引く。

 辺りに立ち込めていた魔力がすっと引いていき、驚くほどの静けさが部屋を満たした。


「……俺こそ、すみません」


 ルシルには、分からなくなっていた。

 フィリップにとって、一番良い道が。少なくともルシルの隣ではないと、そう思うのだけれど、目の前のフィリップは決してそれを認めはしないだろう、とルシルには分かっている。

 真面目で、頑固な、弟子なのだ。


 一瞬迷って、ルシルは呟く。


「フィル。私は君のことが大好きで、君には幸せになってほしいと思っている」

「……その好きは、俺の好きとは違うんでしょう」

「そうだね」


 ひゅっと、フィリップの喉から音がした。そっとその顔を見つめたルシルは、覚悟を決めて、言った。


「私の好きは、君の好きとは違う。だからその気持ちには応えられない。ずっと茶化していて、ごめん」

「……っ」


 震える吐息を漏らしたフィリップは、目を伏せる。ルシルもその顔を見ていられず、意味もなく視線を落とした。けれど、こうしてフィリップの中にいるような格好だと、目に入るのはフィリップの姿ばかりで。

 これで良いのだと、ルシルは自分に言い聞かせる。傷つけたと思うけれど、きっとその方が良い。

 どこまで行っても、ルシルは『無能聖女』だ。


「……分かりました」


 ぎしぎしと耳障りな音を奏でて、フィリップはルシルの上から身体を退ける。途端に灯された光が目を焼いて、ルシルは目を細めた。


「絶対に、惚れさせますから」

「……え」

「今は俺のことが好きじゃなくても、絶対に、いつか、俺が好きだと言わせてやりますから。覚悟しててください。これしきのことで、俺があなたを諦めるなんて、あり得ませんから」


 低い声で宣言した後、フィリップは荒い足音で部屋を出ていく。

 けれどルシルは、その声が震えていたことを聞き逃さない。


 ルシルが気にしないように。傷つけた、と自分を責めないために。

 必死で平気なふりをして、気にしていないふりをして、むしろ不遜な言葉まで言ってのけて、そのくせ溢れそうな涙を堪えていたフィリップの姿が、しばらくルシルの顔から離れなかった。


 きっとこの胸の痛みは、大切な弟子を傷つけたから、であって。

 視界がぼやけているのも、突然光を浴びたから、なのだと思う。


 強く目を閉じたルシルは、もう一度無理やり眠りについた。

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