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第32話 甘やかな妄言

「論点をすり替えるのがお得意のようですが。あなたが、ルシルの母を手にかけたあなたが、一体その死を誰のせいにしようとしているんですか?」

「……フィリップっ」


 子供のような声だった。

 震えて、助けを求めるような声で呼ばれた自らの名に、フィリップはルシルを抱き込む腕に力を込める。伸ばされたルシルの腕が、縋るようにフィリップの胸元のローブを掴んだ。

 その手を片手で包み込んで、その冷たさにフィリップは顔を顰める。


「ルシルの母は、最初から最後まで、ルシルを愛していたのでしょう。俺は断片的にしか知りませんが、それだけは分かります。俺もルシルを愛する人間の1人ですから。もし俺だったら、俺の命と引き換えにルシルを救えるのなら、喜んでそれくらいしますし、絶対に後悔なんてしません。誇らしいとすら思います。ましてやその死の責任を、ルシルに求めることなんて、絶対に、絶対にありえません。きっと、ルシルの母も、そう思っているんじゃないですか?」


 ルシルを抱きしめたまま、フィリップはルフェリアを睨みつけた。


「ルシルの母の覚悟を、貶めないでください!」


 ぶわりと、フィリップの周りに魔力の霧が立ち上った。ざわざわと木々が揺れ、近くにいた人々は慌てて数歩下がる。


「良いですか、ルシル。責められるべきはあなたではなく、ルフェリアです。目を覚ましてください。くだらない妄言に耳を傾けるのはやめてください」

「……ありがとう。お陰で、目が覚めたよ」


 ルシルは顔を上げると、フィリップの腕の中から、まっすぐにルフェリアを見つめた。


「私から母を奪ったのは、あなただ。私はそれを、許しはしない。私の動揺を誘って何をしたかったかは分からないけれど、今更あなたの言葉に乗りはしない。もう一度聞こうか、あなたは大聖女ではなく、人々から魔力を奪っていた。申し開きは?」


 ルフェリアはふわりと笑うと、俯いた。


「ないわ、ええ、ないわよ。けれど」


 次にルフェリアが顔を上げた時、その形相に誰もが息を止めた。


 普段は甘やかな微笑みを湛えている唇は硬く引き結ばれ、生気もなく真っ白に染まっている。

 その翡翠の双眸は冷たい光を宿し、人々を睥睨していた。

 そこに、大聖女としての慈愛はない。まるで、役に立ちそうな魔術具を物色するかのように。人を道具としてしか見ていない目は、見る人の背筋を凍らせた。


「そうね、取引をしましょう?」

「今更取引と申すか?」

「ええ。今更大聖女の位になんて執着しないわよ、私を国外へ逃して? 二度とこの国には関わらないと約束するわ。……さもないと」


 ルフェリアの指先に嵌められた指輪が、赤い光を放つ。

 禍々しいまでの強烈な光が目を焼き、耳をつんざくような高音が響き渡る中で、ルフェリアはゆっくりと手を伸ばした。


「ここにいる全員、吹き飛ばしてもいいのよ?」

「そんなことが許されると思っているのか!」

「許す許さないって、誰が決めるのかしら? くだらないわね、早く私を離したらどう? まさかあなたたち、ここにいる聖女や魔術師だけで、この全員を守り切れると思っているの? ねえ」


 魔法を使ったのだろう。

 ルフェリアの声は轟音と大混乱の中にあっても、全ての人の耳に届いた。


「あなたたちの判断次第で、大勢の罪もない人が死ぬのよ?」

「ルフェリアを解放しろ!」


 人混みの中から上がった声に、ジークフリートはかすかに視線を揺らす。

 それを見た他の者たちも、口々に声をあげ始めた。


 それもまた、当然の話で。

 魔力を持たぬ人々に、ルフェリアの脅威は決して伝わらない。魔力が失われるという感覚を、身をもって知っている人などいない。

 そしてルフェリアが、今後国に関わらず、隣国で静かに暮らすというのなら。何よりも大切なものが、自分の、大切な人間の命であるというのも、分かりきった話だった。


 その声は重なり合って増幅し、中庭を揺るがすまでになった。

 ルフェリアの手の先の光が揺れるたび、悲鳴と絶叫が響き渡り、我先にと逃げ出そうとした人々で門の近くがごった返す。

 しかしその瞬間、鈍い音を轟かせて門が閉まった。

 笑うルフェリアの声と共に、人々の絶叫と門へ固いものを打ち付ける音が響く。

 必死の抵抗にも一切揺るがず、門はその扉を硬く閉ざしていた。


「ルフェリアを解放しろよ! もういいだろ!?」


 ジークフリートに向かって群がる人々を、護衛の騎士や魔術師が必死で制す。

 それでも伸ばされる手は止まることがなく、その様子をルフェリアは微笑んで見つめていた。


「分かるかしら? 今私を殺そうとしている殿下やその周りの人々は、私がこの魔法を撃っても死なないのよ? 魔法で身を守れるんだもの。安全な場所にいる人間が、自分は死なないことを確信して、私1人と引き換えに、なんの罪もないみなさんの罪を奪おうとしているわ。ねえ、私の命は、他の大勢の皆さんより重いの? 殿下は、そう思ってるのよ? あなたたちより、大聖女である私の方が大切だって、ね?」


 ゆったりとした足取りで、ルフェリアはジークフリートの元へと向かう。


「私はそんなこと思ってないわ。人の命はみな、等しく平等なものよ? 違う?」

「ルフェリア・エイリー。妄言は慎め。そなたが罪なき人と呼ぶその人間を殺そうとしているのは一体誰だ? 皆、目を覚ませ」

「あら? 私の取引には応じないということで、良いのかしら?」


 ジークフリートはしばし黙って、ルフェリアを見つめる。

 王太子と、大聖女。2つの視線が絡み合う中、絶叫が耳を打つ。


 その喧騒が僅かに静まった瞬間、ジークフリートが口を開いた。


「ああ」


 ルフェリアが笑う。

 その刹那、爆音と共に白い光が中庭を覆った。

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