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第30話 復讐と恋心の天秤

「……ルシル」


 数刻後、ルシルの部屋。

 さすがにふざけた態度をとる気にもなれず、机に向かってさらさらとペンを走らせていたルシルは、フィリップの声に顔を上げた。

 平静を装おうとしながらも、わずかに沈んだ声に、何を言い出そうとしているかを悟り、ルシルはゆっくりと立ち上がる。

 壁の方を向いて立ち尽くすフィリップの方へ向かおうと、一歩足を踏み出した瞬間、フィリップがその重い口を開いた。

 

「俺が望むのは、最初から最後まで、あなたの幸せです」


 近づこうとするルシルを後ろ手に制して、フィリップは壁を向いたまま顔を伏せる。


「あなたがずっと、何のために頑張ってきたのかは知っているつもりです。だから、そこに俺が不要なら、俺は、俺はっ……」


 声が震えて、フィリップは唇を噛み締めた。


 諦めます。


 その一言を言えば良いだけだと分かっているのに、唇は張り付いたようになっていて、舌もぐったりとして動かない。

 代わりに出たのは、どうしようもない、何の価値もない謝罪。


「すみません、わかってる、のに。俺の存在があなたにとって邪魔でしかないことくらい。俺と復讐を天秤にかけさせるようなこと、したくないと、思っているのに。すみません」


 だん、と大きな音が響いた。

 壁へと拳を叩きつけたフィリップは、血を吐くような声で続ける。


「でも、俺は諦められない。あなたが好きで、あなたが欲しい。あなたしかいらない。他の男のものになるなんて耐えられない。他の男と結婚して、他の男に笑いかけるあなたを想像するだけで、気がおかしくなりそうなんだ。っすみません。こんな、身勝手で。それでも」


 ルシルからは、フィリップの表情は見えなかった。

 ただ、床に落ちて弾け飛ぶ透明な液体だけを見た。


「好き、なんです」

「……フィリップ」


 ふらふらと壁際へと近づいたルシルは、後ろから、その大きな身体を包み込んだ。

 

「泣かないで」

「泣いてません」


 間髪いれずに返って来た答えに、ルシルは苦笑する。

 身体が勝手に、とはよく言ったもので。

 ルシルは自らの両手が勝手にフィリップを包み込んで初めて、その言葉の意味を理解した。


 震えているフィリップを、ルシルを諦められないと涙を溢しながらも必死で強がるフィリップを。

 愛しいと思いこそすれ、どうして身勝手などと思うだろうか。


「安心してほしい。私は諦めるつもりはない」

「……え」


 ぴたりと動きを止めたフィリップに、ルシルはさらに腕に力を込めた。

 初めてこうした時は、小さな身体と感じたことを覚えているけれど、今のフィリップは、大して年月は立っていないはずなのに、ずっとずっと、大きく感じた。

 肩幅も胸板も、ルシルとは全く違う、男の人の身体だった。


「私が大聖女となってフェリクスさんに嫁ぐしか道がない? そんなわけはない。私はそうしなくても済む道をずっと探していた」

「そう、なんですか」

「そうだよ。どちらか選べなんて言わせない。どちらだって取ってやる。見せてあげるよ、無能聖女の戦い方ってやつを、ね?」

「……そうでした、そういう人でしたね、あなたは」


 ふふん、と鼻を鳴らしたルシルだったが、思い出したように唇を尖らせる。


「君の言葉は嬉しかったけれど、一つだけ、気に食わないところがあってね」

「すみません」

「内容も聞いてないのに謝らない。謝罪を安売りするのはよくないよ。ああそれも、気に食わないところだった。だけどね」


 ルシルは両手を離すと、くるりとフィリップに背を向けた。

 すっと忍び込んでくる冷気を感じながら、早口で呟く。


「諦められないのは、君だけじゃないのに」


 答えがないのが無性に不安で、ルシルは指先を触れ合わせては離す仕草を繰り返す。


「……私だって、君を諦めたくはない、のに」

「ルシル」


 ようやく返って来た声は、明らかに喜色を孕んだもので。

 急に我に返ったルシルは、一度強く目を閉じると、開き直ったように叫ぶ。


「君が、諦めたくないのが自分だけだと思っているところが気に食わない! 私が、復讐と君を天秤にかけてあっさり復讐を取るような人間だと思われていることも! 君がいつまでもずっと片想い気分でいるのも! 全部気に食わない!」

「っルシル!」


 後ろからの衝撃に、ルシルは前に向かって躓きかけた。その胸を素早く伸ばされた片手によって支えられ、覆い被さるようにして抱きしめられる。


「ルシル」


 お互いに、決定的な言葉は口にしない。

 けれど、身体を捻って顔を見上げ、絡み合った視線に含まれる色はきっと、同じものだ。


 一瞬の間があって、吸い寄せられるように、2つの唇が重なった。


「大丈夫」


 言い聞かせるように、ルシルは口にした。


「大丈夫だよ」


 夕暮れの光が斜めに差し込む、雑多なもので散らかった室内の中、2人はただお互いの姿だけを見つめていた。

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