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第26話 反撃の幕開け

「さて」


 ゆったりと口火を切ったルシルは、慣れ親しんだ自室のソファに寝転がる。

 寄ってきた小型の魔物の毛並みに指を埋め、そのふわふわとした手触りを楽しみながら、上目遣いにフィリップを見つめた。


「これからどうする?」

「……まさか、何も考えてなかったなんて言いませんよね?」

「君に聞いてから考えようと思って。もう私が全て仕切らなくても良いだろう? 君は弟子でも助手でもない」


 あっさりと言い放ったルシルに、フィリップは先程までの怒りが消えていくのを感じる。

 複雑な表情でルシルを見下ろせば、ルシルはマオちゃんこと小さな毛玉に指を齧らせて遊んでいるところだった。


「前から気になっていたのですが、あなたはどうしてそういつも緊迫感のない不真面目な態度なんです?」

「私が不真面目? むしろこのところ、驚くほど精力的に動いていると思うけれど?」

「俺を使ってばかりの普段と比較すればそうですが、それでもどうしてあなたはそんなに余裕そうなんです? これから大聖女の告発をしようとしているんですよ!」

「……そうだねえ」


 ルシルがそう呟いた瞬間、大人しく撫でられていたマオがルシルの手を擦り抜け、飛び出していく。


「例えばだけれど、私がいつもこういう顔をしていたら、君は嬉しい?」


 そう言ってゆっくりと上げられたルシルの顔を見て、フィリップは息を止めた。

 疲れたように下がった瞼。光の消えた目の奥で、隠しきれない暗い炎が揺れている。奇妙なほどゆっくりと一度瞼がおり、長い睫毛が擦れあって乾いた音を立てる。

 口元は上がっているが、それも無理に押し上げたといった様子で、他の全てがその笑みに追いつけていないため、むしろ笑顔は冷え切って見えた。

 心なしか、室内の温度も数度下がったような印象を受ける。


「明るく振る舞っていないと、叫び出しそうなんだよ」


 その表情のまま、ルシルは呟いた。

 普段よりも低く、掠れた声に、フィリップは堪えきれずに膝をつき、ルシルの手を握る。


「……あなたはいつも、そんな感情を隠していたんですか?」

「いつもというわけではないけどね。どうにも心が塞ぐときは誰にでもある」


 フィリップの手に力が籠り、ルシルがかすかに表情を変える。それに気づくことなく、フィリップはルシルの手を自らの額に押し当てた。


「ああ、勘違いしないでほしいんだけれど、これは君への信頼だ」

「……そういう顔を、見せてもらえるようになったということですか?」

「そう。そして、少しばかり、甘えたいということ」

「……っルシル」


 力強い腕に包まれて、ルシルは目を閉じた。

 自分のものではない鼓動に耳を押し当てて、その安定した響きを感じていると、震えていた心が収まっていくのを感じる。

 その胸元に顔を寄せれば、森を思わせる涼やかな香りが鼻を駆け抜けて、ルシルは小さく息をついた。

 好きだ、と思う。


「君のおかげで、ルフェリアと刺し違えるという気持ちは無くなったよ」

「そんな、恐ろしいことを考えていたんですか」

「私は、復讐のために生きているようなものだったからね」


 元から、貰った命だ、とルシルは呟いた。


「けれど今の私には、全て終わった後に、君に伝えたいことがある」

「はい」

「君にしてほしいことも、君としたいことも、ありすぎて困るくらいだ」


 フィリップを抱く腕に、ルシルは力を込めた。


「フィリップ」


 少しだけ身体を離し、ルシルはフィリップと目を合わせた。

 ふ、と自然に口角が上がる。フィリップの耳元に口を寄せ、ルシルは囁いた。


「――ありがとう」


 はい、と頷いたフィリップはゆっくりとルシルを離すと、立ち上がる。


「無神経なことを言いました。すみません」

「いや? むしろ君に甘えられて得をした気分だよ。それで、どうする?」

「そんなことを言って、考えはあるでしょう?」

「それが、ね」


 苦笑したルシルは、するりと懐に潜り込んできたマオの背を撫でた。


「教会に殴り込むとか、誘き出して殴るくらいしか思いつかなくて」

「あなたらしくなく暴力的な解決策ですね」

「仕方ないだろう。殴り込みたいんだよ本当は」


 笑い声を立てるルシルに、けれど一緒に笑う気にはなれず、フィリップは視線を下げる。無意識のうちに手が伸ばされ、肩に一筋垂れた髪を摘み上げては指の間で滑らす。


 本当にルシルが殴り込みをかけるのであれば、フィリップはもちろん同行するのだが。

 それには危険が伴うし、何より苦労して真実を突き止めた意味がない。それどころか、フィリップたちの話が信用されなければ、あっという間に大聖女を弑虐した反逆者だ。


「何か、証拠があれば良いんですけど」

「そうだね。今回の件でそれらしい要素はたくさん揃っていて、疑惑を抱かせるのには充分だけど……裁くためには確固たる証拠も、そしてそれを握り潰されないだけの後ろ盾もない」

「大聖女と並ぶ後ろ盾……そうか、魔術塔!」


 立ち上がったフィリップは、弄り回していた髪の毛からぱっと手を離す。そして、興奮したように告げた。


「魔術塔と手を組みましょう」

「……つまり?」

「魔術塔には、人の記憶を辿れる『遺産』があるはずです。ルシルの記憶を辿ってもらえれば……その、かつてのルフェリアの罪の証明にはなるでしょう?」

「なるかもしれないけれど、魔術塔がそうそう簡単に動くとは思えない。というか、動かせるなら私はもう動いていたよ。頭がおかしいと思われて終わりだ」

「だから今回の寄生魔物の件を使うんです。これだけ疑わしい要素が揃っていれば、さすがの魔術塔も重い腰を上げると思いませんか?」

「……そうだね、でも」


 2人で目を合わせ、苦笑する。


「教会と魔術塔は、絶望的に仲が悪いね」

「教会内の揉め事で、協力が得られるわけがありません」


 西の魔術塔、東の聖マートリア教会。そんな言葉がある。


 この国をちょうど分断するようにして北から南へと流れる『王家の大河』。

 豊富な水資源であり、流通の要でもあるこの大河を境に、この国の中心都市は一気に様相を変える。


 西側には、王城と魔術塔。貴族や一部の大商人が邸宅を構える地区では、見事な装飾の施された建物と美しく整備された道路が印象的な華やかな街並みが見られる。

 一方で、東側。聖マートリア教会を中心として、助けを求めて集まった平民や孤児に加え、西側進出を虎視眈々と狙っている小さな商人が所狭しと暮らす地区は、お世辞にも治安が良いとは言い難い。

 

 西の住人は東の住人を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌い、二つの地区を繋ぐ『王家の大橋』の関門の審査は異様に厳しいことに定評がある。東側、大河沿いに暮らすルシルたちは、魔術塔どころか東に足を踏み入れることすら難しいだろう。


 ため息をついたルシルは、ゆっくりと手を上げると頬にかかる前髪を払い除けた。

 その指先で、大ぶりな魔石がきらりと輝く。


「――そうか」

「どうしました、ルシル」

「リルに協力を仰げば?」

「それは、どういう意味です?」


 フィリップは、立ち上がったルシルの姿を目で追った。

 壁にかけられたローブへ、ルシルがゆっくりと手を伸ばす。

 首だけを傾けて、フィリップの方を見つめたルシルは、僅かに口元に笑みを湛えて、言った。


「聖マートリア教会ごと、叩き潰すという意味だよ」

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