第18話 深まる謎
怪しい、というのにはもちろん理由がある。
あの寄生魔物は北国ザードの魔物であり、自力でこの暑い国を渡ることは不可能だ。そうなると、誰かが、明確な意思を持って寄生魔物を持ち込んだということになる。
魔物の記憶を辿る術式がある。
人体副属から派生したものではあるが、強力な効果に比例して術式は異様に複雑であり、人間に使うのは魔術塔の所蔵する『遺産』でもない限り不可能だ。術式自体は確立されているが、比較的思考能力が低く、短命な魔物にしか使うことができない。
フィリップの苦労の末に例の魔物の記憶を辿った2人は、この村に辿り着いた。
と言っても、この村が映り込んだわけではない。寄生されたと思われる瞬間に、何かを投げつけるような仕草をした男性の姿が映っていただけだ。
だが、その鮮やかな色の布を被ったような服は、明らかにこの地方のもので間違いはなく、さらにはそれなりの厚着からバラッタ山脈の中だとルシルは当たりをつけた。
そして、バラッタ山脈に点在する村の中でも、特にこの村で一度異常気象が観測されているという事実がある。
怪しいと目星をつけた2人は、こうして乗り込んできたのだが。
「気を抜くつもりはないけれど、あまり疑ってかからないようにね。信頼関係がなければ、得られる情報も得られない。あの人たちは関係ないかもしれないし」
「ですが」
辺りを窺うように、数度視線を彷徨わせたフィリップは、さらに潜めた声で続ける。
「あの人たちの聖女嫌いは相当です。前にあなたが言っていたように、これが聖マートリア教会を狙ったものなら――」
「憶測だよ」
あっさりと口にしたルシルを、フィリップは不満げに見つめる。
あの時、まるで真実かのように語っていたのは、ルシルではなかったか。
『今回の魔物、確かに普通のものよりも力は強く、厄介ではあった。けれどこの程度の魔物なら、言い方は悪いがいくらでもいる。近隣住民に被害を与えたいなら、こんなに回りくどい方法を取る必要はない。つまり、黒幕の狙いはそれじゃない。思い出してごらん、今回一番脅威だったことはなんだ?』
光線に全身を焼かれ、身体を痙攣させていた大切な人の姿を思い出し、フィリップは静かに唇を噛みしめる。
そんなフィリップの様子に気がついているからだろう、ルシルは両手を広げると、褒めてくれよ、と笑う。フィリップが冷たい視線を向ければ、拗ねたように唇を尖らせたルシルは何事もなかったかのように言葉を続けた。
『それはさ、寄生魔物に気づかないままに宿主を殺し、代わりに誰か人間が寄生されることだよ。そうしてそれは、間違いなく討伐に来ていた聖女の誰かだ。想像してみれば良い、聖女が気が狂って暴れ始めたら、一体何が起こるか。それは誰にとって、一番脅威となりうるのか』
『同胞は殺せない。けれど放置できない。そういうことですか』
『加えて、聖女は神の意志を継ぐ聖なる存在だ。気が狂ったり暴れたりなんて、本来はあり得ないんだよ』
『聖マートリア教会に被害を与えたい人間の仕業、と?』
ルシルは否定も肯定もせずに、ただ軽く首をすくめた。
それをフィリップは肯定と捉えていたのだが、ルシルの今の様子を見るに、それは違うかもしれないと思い始める。
視線を感じて、フィリップは顔を上げた。広場に隣接する家の窓や、塀の影に小さな人影がある。大きさからしてまだ少年のようであり、特に敵意を感じることもない。客人が珍しいのだろう、溢れんばかりの好奇心くらいこそ漂ってはくるが。
気にすることはないと、フィリップは視線を逸らした。
憶測だ、と言ったきり、ルシルは辺りを警戒する様子もなく、ぼんやりと足を投げ出して抜けるように青い空を見つめている。その横顔を横目でフィリップが見つめていると、思い出したというようにルシルが口を開いた。
「君は、森が好き?」
「はい?」
「こういうところは、好き?」
その脈絡のない質問にフィリップは一瞬言葉につまり、正直に答える。
「好きです」
人がいないので、という理由は、きっとフィリップが口にするまでもなく、ルシルは分かっているだろう。
人が多いところは苦手だった。うっかり魔法を暴発させたらと思うと、背筋が冷たくなる。
「君の制御はもう完璧だよ」
「ルシルが関わらない限り、ですがね」
同じように空に目をやって、フィリップは淡々と答えた。そして話を逸らすように、ルシルに問い返す。
「ルシルは?」
「私は、そうだね、好きだし嫌いだ」
「謎かけですか?」
「いいや」
フィリップがルシルに視線をやれば、その口元は微かに笑みの形を作っている。前髪が目の辺りを覆っていて、フィリップの方からは、その瞳がどんな色を宿しているのかは、全くわからなかった。
「母と生きていた場所を、思い出す」
ルシルは、目に痛いほどの青空を見つめた。
大切な思い出であり、幸せな記憶であり、そして、全てを失った記憶でもあった。
「駄目だね」
何度か首を振って感傷を払うと、ルシルはフィリップを振り返って笑う。
「こういう場所は、妙にしんみりした空気になる」
「あなたは――」
「しんみりついでに、聞いておこうか」
上半身を捻り、フィリップの足の横に両手を揃えてついたルシルは、微かに緊張する心臓を誤魔化すように一度息を吸って、口を開いた。
「君が私に抱いている罪悪感は、どうしたら消えてくれる?」
「……っ」
途端に俯いてしまったフィリップの姿を見るなり、ルシルの胸を後悔が焦がす。けれど、と首を振って、ルシルは言葉を続けた。
「対等で、と言ったけれど。君の心は対等じゃない、いつまでも私に負い目を抱えてる。私はどうしたら良い?」
「……」
「私がいくら、教会には何の未練もない、あの場所は大嫌いだ、と言ったところで、君の気持ちは変わらないんだろう?」
「あなたは」
こうして、ルシルがフィリップの心に触れようとしたのは、きっと初めてのことだった。
いつだってルシルはそういう話を茶化してばかりで、そこに触れないことで平穏を保とうとしていた。
一歩踏み出すことは怖いけれど、きっと一歩踏み出した先にしか見えない景色もある。その景色を、フィリップという人間を見たいと、ルシルは思ったのだ。
「あなたは、復讐のため、と言いました。詳しくは聞きませんけど、そのために、あなたが今まで、どれだけの苦労をしていたのかと思うと、魔力を持たない身で聖マートリア教会に入るだけの努力を、俺が滅茶苦茶にしてしまったのかと思うと、俺は――」
「もう、隠し切れない、か……」
ルシルは一つ息をついた。気の進む話ではなかった。叶うなら、フィリップにはしたくない話だった。けれど、もう仕方がない。
「前も言ったけれど、私は、君のせいで復讐から遠ざかったなんてことは、一切ない」
「……どういうことですか?」
「むしろ、近づいたと言ってもいいかもしれない。……ああ」
言いたくない。
そんなルシルの呟きに驚いて、フィリップは腰を浮かしかける。
「言いたくないなら――」
「いや、いつかは言わなければならないことだしね。私、私は――」
「聖女様!」
突然かけられた大声に、2人は文字通り飛び上がった。慌てて振り向けば、広場の反対側で、両手を振り回している人影がある。
「準備ができましたので、どうぞこちらへ!」
フィリップとルシルは顔を見合わせ、苦笑する。行こうか、と声をかけ、ルシルはゆっくりと歩きだした。その後ろから、フィリップの声がかけられる。
「話の続きは、言いたくなった時に聞かせてください」
小さく頷くことでそれに答え、ルシルは歩き始めた。フィリップも寄り添い、村人について歩くこと、数分。
一際大きな建物の中に案内され、ルシルは示された席に腰掛ける。そして、目を輝かせた。




