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聖女の弟子と恋心

 子供騙しの、安物魔道具。

 それ以外には何も持たず、女は魔物の巨躯の前へと躊躇なく身を踊らせた。


 血のように赤い魔物の目が、飛び出してきた女の姿を捉える。身の毛がよだつような咆哮。続いて、ひょん、という間の抜けた魔道具の音。

 そして、静寂。


 彼女の纏う純白のローブが、ふわり、と広がった。

 地面を軽く蹴って魔物との距離を取り、とん、と彼女の爪先が岩に着地した、その瞬間のこと。


 凄まじい轟音が森を揺らした。

 耳を引き裂くような魔物の断末魔と、その身体が崩れ落ちる音に、集まっていた聖女たちは思わず耳を塞いだ。けれど一切堪えた様子のない彼女は、持っていた魔道具を指先でくるくると回す。

 小さなそれを彼女が投げ捨てたとき、未だ続く轟音を抜けてひとつの声が響いた。


「師匠」


 そう呼びかけられた彼女――ルシル・アシュリーは、ゆったりと後ろを振り向いた。

 そのほっそりとした顔が、岩の下からルシルを呼んだ人影を捉えるや、一気に満面の笑みを湛える。


「フィル」


 穏やかな声を聞いた瞬間、フィルと呼ばれた男――フィリップも相好を崩す。

 すっと抜けるような目尻に、目元に数本だけふりかかった黒髪がどことなく色気を漂わせている。腰のあたりまで伸ばされたその髪は無造作に括られ、後ろに流されていた。

 爆風で舞い上がった髪に纏わりつかれながらルシルを見上げる弟子の姿に、ルシルはすぐに乗っていた岩から飛び降りる。


「師匠! またあなたは無茶をして! この魔物がなんだか分かっているんですか! 等級で言えばB、聖女数人がかりでの討伐が当たり前のはずですが!」

「フィル、私は常々、君に教えてきたんだけどね」


 魔道具を握っていたのとは反対の手で、ルシルはフィリップの無防備な額を突いた。


「魔物を等級で判断するのはやめた方がいいよ。そんなもの全然当てにならないからね。全てはその場の状況と自分との相性さ」

「……そんなことを言えるのは師匠だけですよ」

「そうかな? さっきの魔物は確かに火力は高かったけれど、使うのは単純な火属性の熱属攻撃系統の術式じゃないか。弱点も明確だし、対策は立てやすい。教会の等級基準はよく分からないよ」

「言いたいことは分からなくもないですが、普通一瞬でそこまで見抜けないと思います……」

「見抜けるようになるために、私は君の師匠なんてものをやっているんだけどねえ。元々師匠なんて柄じゃないのにさ」

「でしたら、ひとつ言いたいのですが、俺の魔法があれば師匠が出るまでもなくあんな魔物なんて一撃です。どうしてさっき止めたんですか」

「そんなの、手柄が欲しかったからに決まってるじゃないか」


 勢いよく両手を周りに伸ばしたルシルは、まるで拍手を求めるように視線を巡らす。けれど一向にルシルが期待したような反応は訪れず、拗ねたような表情を浮かべたルシルは手を引っ込めた。代わりに聞こえてくる囁き声に、フィリップの表情が強張る。


「何かの冗談よ! あの女、『無能聖女』でしょう! 魔力を持っていないのに、あんなちゃちな魔道具で倒せるなんておかしいわ! きっとあの女の隣にいる『魔人』がこっそり支援して――」


 黙って聞いていたルシルだったが、その言葉を耳にするなり、ひそひそと顔を寄せる聖女たちの方へと歩き出した。

 その足取りは踊るように軽いもので、戦いの中で薄く桃色に染まった頬にも微笑みが湛えられているが、ルシルが近づいてきていることに気がついた聖女たちは一瞬で硬直する。


「うーん、私に関しては何を言ってもらっても良いんだけどね」


 すっと身を寄せたルシルは、ゆるりと指先を伸ばして彼女たちの口元、触れるか触れないかの距離で細い指を立てる。


「私の可愛い弟子に対しての暴言は、ちょっと許せないかな?」


 そんなルシルの後ろ姿を見守っていたフィリップは、小さく唇を噛み締める。


「……手柄なんて、大嘘つきですよ、師匠は」


 ぼそりと漏らされた言葉を聞く人はおらず、誰もがルシルの様子を固唾を飲んで見守っている。


「も、申し訳っ……!」

「うん」

「ありませんでした!」


 その謝罪に何を返すでもなく、ルシルはくるりと踵を返した。


 普通に歩いているように見えるが、日頃からルシルを見慣れているフィリップには、その足取りに含まれる怒りの感情がよく分かっていた。


 手柄が欲しかったから、なんてルシルは言うけれど。

 きっとルシルは、フィリップがこれ以上強大な力を振るうことを、それを見た人々がフィリップを更に恐れるようになることを、避けようとしたのだろう。だから、1人で戦い、1人で倒してみせた。


 立ち上がったフィリップは、先ほどの彼女たちの元へと向かう。ちょうどルシルとすれ違った瞬間に、ぐっと腕を引かれる感覚で、フィリップは足を止めた。

 ルシルにしっかりと握られた手をしばし見つめて、抑えた声でフィリップは言う。


「離してください」

「私が離したら、君は彼女たちを咎めにいくのかな? 『無能聖女』と言うなとでも言うつもり?」

「……っそれは」

「事実じゃないか。もう聖女ではないということだけを別にすれば、ね」

「そうかもしれませんが! そうではなくて――」

「フィル、私は常々、君に教えてきたんだけどね」


 フィリップの手を離すと、ルシルはゆっくりと手を持ち上げ、指先で軽く自らの頭を叩いた。


「魔力がなくても、ここがあればなんとかなるものだよ」


 けれど、となおも言い淀むフィリップに、ルシルは苦笑して言葉を続ける。


「強力な魔物と単なる力比べをして、勝てるのは君くらいのものだ。真っ向から勝負を仕掛けた時点で終わり。私たちにできることは、よく観察して、ただその弱点を的確につくことだけだよ。だから私は私のやっていることが正しいと思っているし、誇らしくもある」


 片付けるよ、とルシルは手を振ると、先ほどの聖女たちに目を向けることもなく歩いていく。置いていかれないように小走りになって、フィリップは遠ざかっていくルシルを追いかけた。

 ふわりと広がる、緩やかに編まれた青みがかった髪。『無能聖女』ルシル・アシュリー。


 気がつけば、フィリップは叫んでいた。


「師匠! 好きです!」


 ゆったりと歩くルシルから一切の反応はなかったけれど、そんな彼女が、いつものようにほんの少しだけ困ったような微笑みを浮かべていることを、表情を見るまでもなくフィリップは悟っていた。

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