ソドムより愛をこめて
2035年、北海道のある中学校にて
「えー、というわけで校内の雰囲気とか学校そのものをよりよくしたい人、風紀委員に向いてると思います」
担任教師が風紀委員を募集していた。
席の近い友人と談笑する者、隠れてスマホをいじる者、先生の話を熱心に聞く者など、クラスメイトによって反応は様々だ。
「...」
しかしその中に、一人だけ窓の外を見ながら溜息を吐く気だるげな少年が一人。
(...どうせ、なんも変わりゃしないよ)
彼の名は清海一仁。人生に失望した少年だ。
”ソドムより愛をこめて”
「...」
チャイムの音で目が覚めた。時計を見ると5時を過ぎていた。帰りの会の後寝てしまったようだ。
軽く伸びをした後、机の上の荷物を鞄に入れていく。最近は節電だか何だかで5時になると教室の電気は勝手に消えてしまうのだが、暗い教室に夕日が差し込む光景は少しだけ美しかった。
彼が人生に失望している理由は二つある。
一つは幼い頃父親を事故で亡くしたこと。
もう一つは数年前から母親が新興宗教組織「母なるΧ劫」にのめりこんでいることだ。
少しずつ母親が狂っていく様は見ていて決して面白いものではなかったが、昔見た新興宗教の動画よりかはリアリティーがあった。
何をしたって、今の状況が変わることはない。
彼はここ数年間でこの答えを導き出した。
だから自分から何も行動を起こさない。もちろんそれがただの言い訳であることは薄々気づいていた。だからといって、今の自分の状況を考えれば何もする気が起きない。ただ学校と家を往復する毎日、いやそれ以下だ。
国語、音楽、理科と続き、最後に数学。今日やった内容もろくに覚えていないような教科書を鞄に入れ終わった、その時だった。
「ねえ」
「!」
背後を見ると一人の少女がいた。彼女は10億年に一人の美少女というほどでもないが、夕日に照らされたその顔は胸が痛めつけられるほど美しかった。いつからいたのか。いや最初からいたのかもしれない。
だが名前が思い出せないー-確かにクラスにいたはずだが。
「あれ、もしかして私の名前知らない?私は青空未来。一応クラスメイトだよ?」
青空未来と名乗る少女は笑顔でそう言った。
確かにクラスにいたことは何とくなく思い出したがー-彼女に対するイメージと言えば、学校でも誰とも話さず、帰りの会が終わればすぐ帰る、悪い意味で自分に似たやつというぐらいだった。
「...急に何の用?」
ひとまず彼女から要件を聞き出す。彼女は奥の見えない笑みを浮かべながら答えた。
「...君に、私の創作を手伝ってほしいんだ」
「...創作?」
創作。ここでは文学、絵画、音楽、映像などの芸術作品を創造する、といった意味で使用する。
「そ。実は私今小説書いてるんだ。恋愛小説ね」
「恋愛...小説...」
恋愛。おそらく今の自分に最も縁のない言葉の一つ。
彼女は変わらず笑みを浮かべている。それが青空未来という人間の本性なのか、動揺する自分を見て楽しんでいるのかはまだ分からなかった。
「...ずいぶん唐突だけど、なんで僕に?」
「いや、君いつも暇そうだから」
「...」
その一言に一瞬苛立ったが、そんなものは彼女の笑顔を見れば一瞬で吹き飛んだ。
「...じゃあ、決まりね。今日から私の小説読んでアドバイスしてもらうから」
「...いや僕まだ何も言ってないんだけど」
一仁は彼女の突然の決定を全力で拒否した。
「別にいいでしょ?どうせやることもないんだろうし」
「...それはそうだけど」
うつむきながら答えた。
「じゃあ決まり!早速私の小説読んでよ!」
彼女は手をパンと叩いた後、懐からガラケーを取り出した。一部のパーツが欠けており、一目で古いものだと分かる。
「...スマホじゃないんだ...ずいぶん古い奴だね」
「そんなこといいから!早く読んで!」
「...仕方ないな...」
一人は彼女からガラケーを受け取り、画面に映された文章を読みだした。
[ソドムのチート美少女~学校一の美少女、異世界に転生してチート能力で無双して逆ハーレムでモテモテです~
私は学校一の美少女、打会灯幸。今朝ごはんの生ハムを加え走りながら登校している。
「いっけな~い!遅刻しちゃう~!」
そして曲がり角を曲がったその時、
ドッガーーーーン!!!
人力車とぶつかった。そして私は死んでしまった...
「っは!!」
目が覚めるとそこはなんと...
ファンタジックな異世界、「ソドム」だったのです!]
「...なにこれ?」
あまりに崩壊した内容に混乱しガラケーから目を離す一仁。
「何って、恋愛小説だけど?」
未来は当然のように返す。
「いや恋愛要素どこ?」
「タイトルに逆ハーレムって書いてあるじゃん。この後そういう展開になるんだよ」
「...」
彼は恋愛経験がないため恋愛についてはよくわからなかったが、この後この小説が面白くなるとは到底思えなかった。
「...まあいいよ。むしろ君のことが心配になってきたから手伝ってあげる」
「ほんと!?やったー!!」
飛び跳ねながら喜ぶ未来。
一仁は現実でそうやる人いるんだ。と思いながら未来を見ていた。
彼は口では「心配になってきた」なんて言った。いやもちろんそれもあるのだが、本当は話しかけてくれて、かつ自分に頼ってくれたのが何より嬉しかった。
次の日
「おまたせ!」
「...いや、君1時間も遅れてるんだけど」
先日の一件の後、二人は公園で待ち合わせをすることにした。最も青空未来は普通に集合時間に遅れてきたわけだが。
「まあそんなこと良いじゃん!それより早く続き読んでよ!」
「...良くない気がするけど、まあ読ませてもらうよ」
彼女は学校での地味な様子とは裏腹に非常に明るい性格だった。まさに一仁とは正反対である。
それに相変わらず彼女の顔は美しかった。美少女とか可愛いとかそういう類のものとは少し違うが、とにかく彼女の笑顔には言葉では説明できない何かがあった。
「ありがと!じゃあこれ読んで!」
「...やっぱりガラケーなんだ」
そうして彼女に渡された大昔のデバイスに書かれた文章を読み始める。
[異世界「ソドム」に転生した私の目の前にはなんと、侍が現れたのです!
「...お主、何者でござるか?」
「わ、私は打会灯幸!美少女ですよ!」
次の瞬間、侍は私に向かって言いました!
「なんと!では拙者と結婚してくだされ!」
「えええー-!!」
ここから私の逆ハーレム生活が始まったのです!]
「...」
相変わらずめちゃくちゃな内容に口が開きっぱなしになる一仁。
「どう?面白い?」
それに対し未来はいつもの笑顔と透き通った瞳のセットで一仁に聞く。
「...なんというか、展開も強引すぎるしキャラクターもあんまよく分かんない...気がする」
「なるほど!参考にさせてもらうね!」
メモ帳らしきものに書き記す未来。一仁はわざわざメモ帳に描くほどの事か...と思いながらも、自分のありきたりなアドバイスを素直に聞いてくれることには嬉しさを感じていた。
「...ねえ、青空さん」
「ん?」
しかしここで一仁は疑問をぶつける。
「その...な、なんで僕を選んでくれたの?」
分からなかった。なぜ彼女が大勢のクラスメイトの中から自分を選んだのかが。
自分なんてただのクラスメイト、いやそれ以下かもしれないのに。
「んー...」
彼女は少しだけ、考えると、いつもの眩しい笑顔で答えた。
「君が特別な存在、だからかな?」
その瞬間、目から涙が溢れそうになった。父が死んで、母が宗教にのめりこんだあの日から自分の人生は暗闇に包まれていた。でも彼女の輝きはその暗闇を晴らしてくれた。少しばかり自分には眩しすぎたが。
「どしたの?」
「...いや、なんでもない」
溢れそうになっていた涙を袖で拭い、彼女の顔に向きなおす。この美しい顔の”特別な存在”に慣れたのなら、それ以上に嬉しいことはない。
たとえその”特別”がどんな意味だったとしても。
それから数週間は不思議な日常が続いた。
週に2、3回ほど彼女と公園や喫茶店で落ち合って小説を読み改善点を指摘する。最も改善点しかないのだが。
そして”日々のねぎらい”と称し隣町の水族館や博物館に行かされることもあった。昔漫画やアニメで見たデートと言うものに近かったが、なんであるにしろ彼にとっては初めての経験だった。
基本的に彼女が身の上話をすることはなかったが、ある日一つだけ話してくれた。彼女の”夢”についてだ。
「私ね、小説家になるのが夢なんだ。」
それは何度目かのデート...もとい”日々のねぎらい”の時だった。
その時は二人で市内の花畑に来ていた。ここ益恵市内でも人気...というかおそらく唯一の観光スポットだ。純白のツツジ、朱色のベゴニア、黄色のユリ等、色とりどりの花が一面に広がっている。
「...そっか」
そっけない言葉しか出てこなかった。正直彼女の小説はとても面白いと言えるものではない。一仁の指摘で少しずつマシにはなってきているものの、それでもまだ読めるものではなかった。
なれるはずがない。これ以上成長するビジョンが見えなかった。
だが正直な事を言って彼女を悲しませるわけにはいかない。「きっとなれるよ」なんて優しい言葉をかけようとしたが、彼女はそれより早く口を開いた。
「大丈夫だよね!だって君がいるんだもん!」
「...そうだね。ありがとう」
夕日が二人と花たちを照らしていた。美しい光景だったが、影で未来の笑顔が見づらいことが一仁には不満だった。
数日後、一仁は未来の家に呼ばれ向かっていた。彼女は先に自宅で待っているそうだ。女子の家になど行ったこともない彼はかなり緊張していたが、同時に期待もしていた。彼女の家は人気の少ない町はずれにあり、一歩進めるたびに心臓の音が高鳴っていくのを感じた。
(...ここが未来さんの家)
そしてようやく彼女の家に着く。すでに辺りは暗くなってきていた。
小さな一軒家だったが、表札が「青空」となっていたため彼女の家であることは確かだ。
自分でも聞こえるほど大きな音を出す心臓を落ち着かせながらチャイムを押す。すると未来の声で「入っていいよー」と聞こえたのでドアノブに手をかけた。手は震えていたが、何とか回すことができた。
そのままドアを開き、彼女の名前を口に出す。
「未来さ」
気付けば真っ白な部屋で目覚めた。手足は拘束されており身動きが取れない。
(ここは...僕は未来さんの家に入って...その後...その後...)
どうしてもその後の記憶が思い出せない。突然状況に混乱する一仁の前に、彼女が現れる。
「起きたみたいだね」
「未来さん...!?」
青空未来だった。ただいつもと違うところが二つある。一つは頭の上に水色の光を放つ機会のリングが浮いていたこと、そしてもう一つはいつもの笑顔が消えていたことだ。
「ど、どうなってんのこれ!?」
彼女は無表情のまま慌てる一仁を見つめる。いつもとは違い、底の見えない恐怖を感じた。
「...今までだましててごめんね」
彼女は抑揚の少ない声で語り始める。
「私は惑星”ソドム”の生き残り「ロト=トルマリン」」
「君たち地球人から見れば”ソドム星人”ってとこかな」
「つまるところ異星人だよ」
「異星...人...!?」
にわかには信じがたかった。彼女はどう見ても人間にしか見えない。だが部屋の窓から僅かに見える宇宙空間と彼女の頭部を浮遊するリングが現実味を出していた。
だが彼にとってはそんなことよりも”今までだましていた”の言う発言の方が重要だった。
「だましてたって...!?」
「そのままの意味だよ。今までのは全部演技。この見た目も地球人の姿を借りているだけ。君の血液を採取するために、私を信用してもらう必要があったんだ」
「血液...!?」
昔テレビの特番で”宇宙人に誘拐され人体実験された女性の体験談”という放送を見たことがある。
これはまさにそういう状況なのだろうか。
「私たちの故郷は怪物たちに滅ぼされた」
「生き残ったのは私含め5人」
「そしてこの地球に逃げてきた」
「この星の環境に適応するためには”適合者”、つまり君の血液が必要なんだ。致死量以上採らなきゃいけないけどね」
「そんな...」
彼女が宇宙人だったという事実。今まで自分をだましていたという事実。
そして自分が死ぬかもしれないという未来。
彼が絶望するには十分すぎた。
「...」
だがここで彼は思い出す。
彼女と出会う前の人生も同じように絶望に包まれていたと。そして今その彼女に与えられていた希望が嘘だったのならもうこの世界に未練などない。
(...やっぱり、何も変わらないんだ)
目をつぶり死の時を待とうとする一仁。
その時だった。
彼女は血を吐いてその場に倒れた。
「未来さん!!」
同時に拘束が解け、未来の元へ駆け寄る一仁。
「はは...やっぱり生命維持装置だけじゃダメだったみたい」
彼女は口から血を流し苦しそうな表情をしながらも、いつもの笑顔に戻っていた。
生命維持装置とはおそらく頭部のリングの事だろう。
「最後に聞いて欲しいな、一仁君」
「さっきの私の話には少しだけ嘘がある」
「まず小説家になりたいのは本当」
「そして私は......本当は君を殺したくなかった」
「未来さん...いや、ロト」
彼女を本名で呼んだあと、力の抜けていく手を優しく握る一仁。
「最初は、本当にだますつもりだった...でもね」
「君と過ごすうちに、本当に楽しくなってきちゃってさ」
「...バカだよね。私は故郷も、自分も救えないんだ」
彼女は笑顔ではあったが、いつもの太陽の様な眩しい笑顔ではなく、落ちかける夕日の様な儚いものだった。
「...一つだけ、お願いがあるんだ」
「適合者である君の存在はまだ仲間には知られてない」
「でももし気づかれたら絶対に逃げ切って」
「約束だよ」
「ロト...でも僕は、君がいないと...」
未来は一仁の目を真っ直ぐ見て言った。
「大丈夫だよ」
「君ならできる」
「だからもっと自信をもって」
「どんなにつらい状況でも、あきらめずに前に進んで...」
「...ロト、僕は......君のことが.......!」
言い終わる前に生命維持装置の光が消えた。一仁の手から彼女の手が抜け落ちる。
「...ロト...」
動かなくなった後も、彼女は安らかな笑みを浮かべていた。
気付けば自室のベッドから飛び起きていた。
そこには宇宙人も青空未来も、そしてロト=トルマリンもいない。
もしかして今までのことは全部夢だったのではないか。
そう考えたが、机の上には彼女から最後にもらった新しい小説の原稿が置いてあった。題名にはこう書かれている。
”ソドムより愛をこめて”
目から一筋の涙が流れた。
数日後
「えー、というわけで文化祭を盛り上げたかったり思い出を残したい人、文化祭実行委員委員に向いてると思います」
担任教師が文化祭実行委員を募集していた。
クラスの大半が文化祭に向け沸き立っている。
一仁はこの前と同じように窓の外を眺めていた。
(...どうせ、なんも変わりゃしないよ)
一瞬そう考えたが、頭に彼女の笑顔が浮かんだ。
彼女はきっと自分より絶望的な状況の中、故郷の外に一筋の希望を見出し前に進んだのだろう。
(どんなにつらい状況でも、あきらめずに前に進んで)
今の自分の行動で未来が少しでも変わる可能性があるなら。
そして一仁は、少しだけ前に進むために手を挙げた。
「あの、僕」