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08 真実の愛


 これで最後、とエレオノールは振り返った。


「さて、次はあなたね。クリス――」


 視線の先では、クリスが土下座していた。それはそれは見事な土下座だった。


「クリス?」

「エレオノール、すまない。ぼくがバカだった」


 アンナと魔石の繋がりが途切れた瞬間、クリスは冷静になった。ここ最近ずっと霞がかっていた、アンナへの愛しか考えられなかった頭が明瞭になった。

 エレオノールにかけた言葉の数々を、エレオノールに見せた態度の数々をすべて思い出した。顔から血の気が引くのが自分でもわかり、膝をついたのは無意識だった。

 目の前に立つエレオノールの、なんと美しいことか。一度『可愛いよ』と言って以来、会う時は必ず編み込んでいる栗色の髪も、好きだと言った青を基調としてクリスの瞳の色の刺繍で飾ったドレスも、クリスが贈った髪飾りもすべてが愛おしい。思い出した。世界で一番大好きで、世界で一番幸せな女性にしてあげたい相手のことを、クリスは思い出した。思い出したから、土下座した。


「ひどいことをした、ひどいことを言った。どれだけ謝っても足りない。でもお願いだ。怒鳴って詰って殴ってしまいたいだろうけど、そばにいることだけは許してください」


 ナイフで刻まれようがフォークで抉られようが構わなかった。そばにいて、愛していると伝えて、失った信頼を取り戻すチャンスを確保するためなら、見目が傷だらけになることも厭わない覚悟だった。どうせエレオノールでなければ駄目なのだ、エレオノール以外の女性に容姿をどうこう言われても、クリスは痛くも痒くもない。

 こんなに愛している女性がいるのにぼくは一体何をやっているんだ大馬鹿者め、と心の中で何度も自分を殴りつける。真実の愛はエレオノールとこそ見つけたはずのものだったのに。


「クリス」


 涙に濡れた声に頭を上げる。エレオノールは声のまま、目にいっぱい涙をためていた。


「私のこと、好き?」

「もちろんだ! 君だけが好きだ愛してる!」


 クリスの渾身の叫びに、爆音のような告白に、エレオノールの涙腺は決壊した。理性で押さえつけていた感情が、限界を超えた。

 胸いっぱいの悲しみと怒りと恋しさが入り混じって、エレオノールはわんわん泣いた。慌てて立ち上がり抱きしめてくれるクリスの胸に縋り、地団太を踏むついでにクリスの足を踏み、ギャン泣きした。


「クリスのバカ! 魔石のせいとか小説のせいとかシナリオのせいとか言ったって駄目なんだから! 何が真実の愛よ!」

「うん、ごめん。ごめんエレオノール」


 クリスは耐えた。エレオノールがさっきから的確に小指を踏みつけてくる。ものすごく痛い。


「乙女ゲームが何よ! クリスは私の婚約者よ誰にも渡さないわよバァカ!」

「うん、ぼくは君の物だよ。エレオノール、大好きだよ」


 そろそろ爪が割れた気がする、と冷や汗をかきながら、クリスは耐えた。オトメゲームという謎の単語を気にする余裕もない。ものすごく痛い。


「また浮気したら許さないから! 顔の皮をむいて肉をみじん切りしてシチューにして食べさせるから!」

「う、うん二度としないよ。エレオノール、愛してるよ」


 少し寂しいけれど、小指はもう駄目だろうからさよならしよう、とクリスは腹を括った。そんなことよりも、エレオノールの罰は想定したよりずっと恐ろしい。ナイフで刻まれフォークで抉られるなんて児戯だとすら思える。


「私よりアンナ嬢のほうが可愛いと思ったの!?」

「エレオノールのほうが可愛いです!」

「アンナ嬢の胸のほうがいいの!?」

「エレオノールのむ、胸のほうがいいです!」

「じゃあ今回だけは許してあげるからもう一回好きって言って!」

「可愛くて胸の大きなエレオノールのことが大好きです!」

「私もクリスが好きよこの話はこれでおしまい!」

「ありがとう!!」


 エレオノールはどんどん声量を増し、合わせたクリスもどんどん声量を増した。おかげで二人して肩で息をするほど呼吸が乱れた。

 ゼェゼェハァハァとしばらく激しい呼吸の音だけが響き、整う頃には可笑しくなって今度は笑い過ぎて腹が痛んだ。


「エレオノール、ありがとう」


 和やかにエレオノールの手をとり、指先に口づけようと顔を寄せた瞬間、鍵のかかった部屋の扉がはじけ飛んだ。

 入室したのはクリスの父と、エレオノールの父だった。前者は怒りでこめかみに青筋を立て、後者は悲しみで目に涙を浮かべていた。


「クリス、醜態をさらすのも大概にしろ!」

「エレオノール、レディとして今のは駄目だ」


 クリスの爆音の告白辺りから、二人の声は扉を越え壁を越え夜会の会場中に響き渡るほどうるさかった。

 魔石を回収しアンナの身柄を領主の元へ送る手配を整え、クリスとエレオノールを案じて胃を痛めていた父親二人は、反響する子どもたちの声に頭を抱えくずおれたのである。もう一体どれだけの人に頭を下げて回らなければならないのか見当もつかないと途方に暮れかけた頭に喝を入れ、恥ずかしい子どもたちを回収すべく駆けた。


『仲直りできたようでなによりですわ』『まあまあ、無事に収まったようでよかったじゃないか』『あらあらお若いわね、お二人とも』


 などと慰めるように言葉をかけてくれていた招待客も、顔の皮をむいて云々の下りで青褪め、可愛くて胸の大きい云々の下りで気まずい咳払いをあちこちで振りまき解散となった。見なかったことにしよう、聞かなかったことにしよう、と引きつった笑みで帰って行った。


「クリス、しっかり反省しろ馬鹿者め」

「エレオノール、もうすこし落ち着きをもって行動しなさい」


 はい、申し訳ありませんお父様。ぴったり声を合わせ、二人はその場に正座した。床に触れるほど頭を下げる二人の土下座は、それはそれは見事だった。



 こうして、エレオノールの気合が通じたのか、使用人達の熱意が届いたのか。

 クリス・エバンズの心変わりと、彼を誑かした男爵家令嬢の一件は解決した。多くの人間の心に大きな爪痕を残しながら。


 幸せいっぱいで帰宅したエレオノールを出迎えた使用人達は歓喜に打ち震え、げっそりした旦那様そっちのけで、エレオノールを祝福した。


「おめでとうございます、お嬢様」

「ありがとう、アイ。おかげで浮気女を罰することができたわ」

「おめでとうございます、お嬢様」

「ありがとう、メイ。おかげでカトラリーは完璧に投げられたわ」

「おめでとうございます、お嬢様」

「ありがとう、マリ。おかげでクリスの小指を駄目にできたわ」

「おめでとうございます、お嬢様。私も鼻が高いですよ」

「ありがとう、リサ。みんなのおかげで私とっても幸せよ」


 ……こいつら全員、解雇しちゃおっかな。

 震えながらも肩を抱いてくれる妻と顔を見合わせて、げっそりした伯爵はぼそっとそんなことを思ったとか、思わなかったとか。

 

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