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06 本番


 エバンズ邸での夜会は華やかな雰囲気の中、穏やかに幕を上げた。

 伯爵家のご令嬢として、そしてクリスの婚約者として、きちんと整えられたエレオノールは親というフィルターを通さなくてもそこらの令嬢よりよっぽど美しかった。

 しかし、夜会に参加しているご令嬢たちの中でも上位に入るこの美人は今、孤立していた。


 クリスはエスコートだけはしたものの、あっという間に浮気相手のアンナところへいってしまった。ぽつん、と残されたエレオノールに同情的な目を向ける者は多いが、わざわざ声をかけには来ない。醜聞に巻き込まれるのを嫌がるのは誰でも同じだ。


 そして当のエレオノールは早くもブチ切れていた。

 クリスが褒めてくれて以来、会う時は必ず編み込んでいる栗色の髪も、クリスが好きな青を基調としてクリスの瞳と同じ金の刺繍が入ったドレスも、クリスが贈ってくれた髪飾りも、何一つ触れてくれなかった。定型句での挨拶、張り付けた外向けの笑み、規則的な入場、雑な言い訳。エレオノールがクリスと交わしたやり取りはそれだけだ。


「……」


 エレオノールはクリスのことが好きである。


 転生して、人生の総年数もそれなりになっているのだが、だからなんだ。エレオノールとして過ごした年月は赤ん坊からのやり直しであったし、赤ん坊の体にくっついている頭はどう足掻いても赤ん坊の頭だった。容量が小さければ皺もすくない。だからエレオノールは普通の赤ん坊にしては冷静だったし、普通の幼児にしては言葉の覚えが早かったし、普通の女の子にしては大人びていたけれど、前世の頃の延長として人生を歩めるほどに脳みそは足りていなかった。

 ただでさえ前世の分の記憶を押し込めている脳みそだ。二人分の人生を接続して継続させるほどの余力はなかった。その故エレオノールは感情が揺れると抑制が間に合わず、悲しければギャン泣きするし、腹が立てばブチ切れた。前世の記憶だって年々薄れて、もう大学生になった辺りからしか思い出せない。そうやって少しずつ、エレオノールは脳みそを節約して生きてきた。


 そんなエレオノールは、婚約が決まってから今まで、クリスをずっと想い続けていた。前世を含めれば自分よりずっと年下の男の子なのに、と悩んだことも当然あったけれど、結局は好きだと思った自分の心に従うと決めた。

 悩んだり考えたりすると割れんばかりに痛む頭で、それでも必死に考えて必死に悩んで、クリスを好きでい続けた。

 乙女ゲームだとかロマンス小説だとか、そんなものに振り回されて破滅することを避けるなら、クリスとの婚約を解消してしまえばいいとわかっていても。浮気を理由に解消して、新しい婚約者を探せばいいとわかっていても。そうしなかったのは、クリスを愛する気持ちに区切りをつけられなかったからだ。


「クリスのバカ……」


 誰にも聞こえない声量で呟いて、エレオノールは壁際へ移動する。途中でいくつかデザートのお菓子をお皿に盛って、壁に背を預けフォークでちまちま口に運ぶ。甘くて美味しいはずのお菓子はどれも味がわからなかったが、食べることに集中すれば涙は出なかった。


 今日の私はきっと会場で一番かわいいよって、お父様がお墨付きをくれたのに。きっとクリス様もびっくりしちゃうくらい綺麗だよってお母様も褒めてくれたのに。つらつらとそんなことが浮かんでは打ち消していると、不意に会場の一角で笑声が弾けた。

 視線を向けると、アンナがクリスと笑いあっていた。楽しそうに、幸せそうに。それを見て、見つめ合う二人の姿を視界に入れて。


 はち切れんばかりだったエレオノールの堪忍袋の緒は、あっさりブチ切れた。


「ああ、手が滑りました!」


 抑揚のない平坦な声で言い訳し、大きく振りかぶってフォークを投げた。

 びゅんっ、と。空を切ったフォークはまっすぐアンナの元へ飛び、その足元の大理石の床に突き刺さった。ひぃっ、と悲鳴を上げたアンナが飛びずさる。

 会場の空気が凍りついた。


『え?』『何が起きた?』『フォークが飛んでった?』『床に刺さってるんだぞ、フォークなわけないだろ!』『じゃあ、あれ何だよ!?』『知るか!』『あれってエレオノール嬢が投げた?』『まさか!』『華奢なお嬢様が大理石にフォークを突き刺せるはずないじゃない!』


 ざわつきが波のように広がって、会場はあっという間に混乱の渦に飲まれた。エレオノールは持っていた皿を、配膳していた男に渡してから、クリスたちのほうへ歩み寄る。こっそりいくつかナイフとフォークを調達するのも忘れない。


「あら、ごめんなさい。私ったらうっかり」


 カーテシーを取りながら謝罪する。顔を上げるとアンナはもちろん、クリスまで真っ青になっていた。


「こんばんは、アンナ嬢。随分と楽しそうですわね。何を話していたの?」

「い、いえ……その、」


 がくがくと震えるアンナを見ても、エレオノールは笑みを崩さない。


「そうだわ、アンナ嬢、私あなたに大切なお話があるの。向こうでお話しましょう?」


 ショックのあまり忘れていた。今日は、飴ではなく鞭の番だった。

 エレオノールはこの日のために、アンナを社会的に殺すための証拠を集めに集めていた。それはもうたくさん出てきた証拠の数々を、顔に叩きつけてやるつもりで臨んでいたのである。


「あ、あの私……」

「私とはお話できない理由でもあるのかしら? ないわよね? さあ、行きましょう」


 手を引いたりはしないが、拒否させるつもりはなかった。男爵家の令嬢が伯爵家の令嬢に逆らえるはずもない。アンナは真っ青な顔をしたまま重い足取りでエレオノールについてきた。


「ま、待ってくれ!」


 二人の背に声をかけて追ってきたのはもちろん、クリスである。

 会場の外、エバンズ邸の本館へ続く扉の前まできた二人を、クリスが止めた。


「エレオノール、アンナをどこへ連れて行くつもりだ?」


 ぶちぶち、と頭の中で音がする。


「話ならぼくも行こう。君は怒ると何をするかわから――」


 だぁんっ!! と。

 投げたナイフがクリスの頬をかすめ、背後の壁に突き刺さった。


「あら、ごめんなさいね」


 エレオノールはにっこり笑んで、普段と変わらぬ調子でクリスに近づく。クリスと鼻先が触れそうなほど顔を近づけ、腕を伸ばして背後の壁に刺さったナイフを抜き取った。


「私ったらまた、手が滑ってしまったわ」


 クリスの膝は恐怖からがくがくと震えている。


「クリス、もちろんあなたも来てちょうだい。私たち三人にとって、大切なお話だもの」

「ひっ、は……はい」


 クリスは席を外すことを招待客たちに詫び、そそくさと会場を出た。衝撃的な場面に遭遇してしまった不幸な招待客達からは、返事どころか瞬きすらも返してもらえなかったが、クリスに気づく余力はない。

適当な部屋に三人で入り、さっさと扉を閉めしっかり鍵をかける。

 エレオノールの口から何が語られるのか。そしてエレオノールはあと一体、何本のカトラリーを隠し持っているのか。……頬をかすめていったナイフの鋭さに、クリスの全身はもう冷や汗びっしょりになっていた。

 

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