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05 目標を掲げて


 忙しい。

 エレオノールは自身の最近の忙しさに驚いていた。忙しい。本当に忙しい。なぜこんなにも忙しいのか。ゆっくりティータイムを過ごす時間もない。

 普段の生活に加え、カトラリーの投擲訓練、浮気者とその相手に関する調査。増えたスケジュールはそれだけであるのに、たったそれだけがエレオノールの時間をじゃぶじゃぶ食い潰していた。


 カトラリーの投擲訓練は、うっかり手を滑られたという体でクリスなり浮気相手のアンナなりの体にぶっ刺してやろうと始めたものである。ただのストレス発散のつもりであったが、訓練と名付けると妙に力が入っていけない。

 込める力の加減や腕を振る角度、投擲のフォームにまでこだわり始め、最近では記録までつけている。

 夜、眠る前に読み返すと、己の頑張りに励まされるのだ。私ったら、なかなか頑張っているじゃない。この調子で明日も頑張りましょう。

 心の励みというか、精神的な栄養を得ているためか、ここ最近のエレオノールはぐっすり安眠である。


 ところで、訓練に付き添うメイド達から、先日より課題が課せられた。的を外すたびに踏んでいた地団駄に関するものである。

 お嬢様、地団太を踏むときに一点集中するのです。こちらに目印をつけておきますからね。さあ、しっかりと踏みしめて。ここです、ここをヒールで狙って地団駄を踏むのです。慣れてきたら目印は外しましょう。お上手です、お嬢様。さあさあ、この目印をクリス様の足の小指だと思ってください。そこは親指ですお嬢様。そこは足の甲ですわお嬢様。小指です、小指だけを正確に踏み抜くのです。さすがですお嬢様。


 的を外した悔しさの発露で踏んでいた地団太であったのに、どうしてか新しい的を設置されてしまった。混乱するエレオノールはしかし、すぐに適応した。クリスの小指。浮気をしているクリスの、憎たらしい小指。深く考えない思考が幸いした。

 訓練は順調である。


 浮気者とその相手に関する調査については難航すると思われたが、意外なことにこちらも順調であった。

 エレオノールが転生したと思われる乙女ゲーム、その起点となるっぽい自身の境遇、ゲームのシナリオ等々……。色々と調べていくと、驚くほどあっさりすべてがつながったのである。


 クリスの浮気相手、アンナ・フランシス男爵令嬢は、魔石によってクリスの心を惑わせた。


 得た結論は、当然と言えば当然のものである。この世界は乙女ゲーム。それも、エレオノールがあらん限りの熱意をもって愛していたゲームである。シナリオを辿れば必然、答えはそこにあった。


 ヒロインの婚約者が下級貴族の娘との間に見出した真実の愛は、魔石によってもたらされた偽りの愛であった、というのがシナリオに用意された答えである。であれば、そちらの線から捜査をすれば良い、とエレオノールは単純に考え、そしてまさしくその通りだった。

 アンナは金をかき集め、魔石を購入し、クリスを惑わせた。実に単純明快。

 脳みそが千切れんばかりにエレオノールが苦労したのはむしろ、単純で明快なその答えを、いかに真実として証明するかであった。証拠を集めるにしても、魔石の捜索には大人の力を借りる必要がある。

 婚約者が夢中になっている相手の部屋で探し物をするなんて、どう考えても不可能だった。であれば可能な人間に正当な理由をもって実行してもらうしかない。

 証拠探しのための理由を語るための証拠探し。一介の伯爵令嬢にはそれはもう大変な作業であった。


 まずは父親にうんと同情してもらって、クリスに内緒でクリスの父親と話をさせてもらおうと思った。しかし最近の娘の鬼気迫る様子に、我が子であるのに若干の怯えを感じている父は警戒心の塊であった。

 エレオノール、今度は何をしようとしているんだい。これ以上パパの贈り物であるぬいぐるみ達を切り裂くのはやめておくれ。パパもう怖いよ。それとも、……法律の本であれば鈍器にするつもりならもちろん買ってはあげられないよ。まさか枯葉剤だなんて言わないだろうね。あれは扱うのが難しい薬品だからお前には渡せない。


 実に手強い試練であった。しかしそこは溺愛している愛娘が相手である。

 言葉での抵抗は早々に諦めた。知力で父に敵うはずがない。エレオノールは己があまり賢くないことをきちんと理解している。

 そこで別な案を考えた。日頃のストレスというストレスを思い返し、クリスの裏切りを思い出し、エレオノールは感情を怒りではなく悲しみの方向で発露した。それはもう全力で泣きわめいてやった。久し振りのギャン泣きである。

 愛娘の本気のギャン泣きに――本心からの嘆きに父が敵うはずもなし。

 エレオノールは面会をとりつけた。そこからはトントン拍子であった。困ったときはギャン泣けばいいと学んだのである。

 エレオノールの父も、そしてクリスの父も、目の前で信じられないほど全力でギャン泣きする令嬢の扱い方など知らない。下手すると赤ん坊にも勝る大声で泣くものだから、周囲からの視線が痛過ぎる。泣き止んでもらうためには要求を呑むしかない。しかも要求に従って行動するとこれまた信じがたい結果がついてくる。

 考えるのはよそう。すべてを諦めた二人が流れに身を任せてくれたおかげで、エレオノールは順調に調査を進めることができた。女の涙は最強の武器だというのは本当だったのね、とエレオノールは一人納得した。もちろんそういうことではない。


 そんなこんなで、なんだかんだと色々あって。エレオノールが的を外さずカトラリーを投擲できるようになり、地団太も過たず小指を踏み潰せるようになった頃、エバンズ邸での夜会が催された。いよいよ本番。決行の時である。

 この日のために、エレオノールは血の滲むような研鑽を積んできた。使用人達も吐きながら泣きながら、必死で応援してくれた。


「いってらっしゃいませ、お嬢様。必ずや恨めしい浮気女をぶちのめしてくださいませ」


 アイは笑顔で送り出した。


「いってらっしゃいませ、お嬢様。努力は必ず実を結びます。大丈夫です、ちゃんと浮気男の顔面にナイフを突き刺せます」


 メイはぐっと拳を握って送り出した。


「いってらっしゃいませ、お嬢様。世界一お綺麗ですよ。本日のヒールであれば、いかに強固な爪でも間違いなく潰せるでしょう」


 マイは澄まし顔で、しかし力強く頷いて送り出した。


「いってらっしゃいませ、お嬢様。お嬢様の幸せを勝ち取るための大切な日です。これまでの訓練を胸に刻んで、存分に実力を発揮してくださいね。大丈夫、私達はいつだってお嬢様の味方です。サポート体制は整っております」


 最後にリサが、いつもより鋭い眼光でエレオノールを見据えて送り出した。

 クリスが浮気している件はともかく、今日はただの夜会のはずなんだけどなあ……。その場に立ち会った両親は、みんなが何の話をしているのか理解できない、蚊帳の外にいる寂しさを噛みしめて、いってきます、と気合十分で拳を握りしめ足を踏みしめた娘をどこか遠い目で見送った。父はなんとなく嫌な予感を覚えながら、母はもう考えるのは止そうと思いながら。

 

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