04 愛情は盲目
「それでは、くそったれ浮気男を改心させる方法と、婚約者がいる男を誑かした女の調理法についての会議を始めます」
夕食時。
さあ今日も一日みんな頑張った。英気を養って明日も頑張るぞ。普段であればさっぱりした表情で食卓につく使用人たちの様子が、今日ばかりは違った。
家政婦長のリサを筆頭に、みな険しい表情で背筋を伸ばしている。
食堂の中央にある長テーブルに集ったのは、エレオノールお嬢様愛好会の過激派ばかりである。つまり、浮気駄目絶対殺す、と日々、殺意を募らせている連中が集まった。
ちなみに、使用人用の食堂はここしかないため、穏健派も隅のほうにこっそりいる。耳をそばだてながら、今日の夕飯はあんまり楽しくないな、と目端に涙を滲ませている。とはいえ彼らもエレオノールお嬢様愛好会のメンバーである。浮気男と浮気相手の女のせいで傷つき発狂しているお嬢様も、気迫に飲まれ震えている伯爵夫妻も、どちらも幸せになってほしいと日々、願っている。
「旦那様は何をもたもたとしていらっしゃるのだ!」
声を荒げたのは執事のバトラー。エレオノールにもみあげを剃られて以来、短くなったほうに長さを揃えている。クリスの暗殺計画書にも、しっかり署名した。
「しかたありませんよ。相手は伯爵家の後継ぎ。慎重にもなります」
諫めるのはリサ。顔のしわが増えても威厳は衰えず、頼りになるみんなのお母さんである。彼女の案でえげつない仕上がりとなったクリスの暗殺計画書への署名は、一番上にでかでかと書いた。
「しかし!」
「まあまあ、落ち着いて。エレオノールお嬢様のお気持ちを最優先。これはみんなで決めたことでしょう?」
なおも荒ぶるバトラーを宥めるのは庭師のトム。
怒り狂うエレオノールが除草剤や枯葉剤を狙っていると知って、旦那様に新しい鍵や金庫をおねだりした。そんなものを使われたのでは、事故死に見せかけられない。
クリスの暗殺計画書には、丁寧に署名した。多分、人生で一番きれいな文字が書けた気がする。
二人に制止され、バトラーは渋々、怒りを静めた。
「浮気男の暗殺は旦那様の匙加減です。我々は、奴をどう改心させ、お嬢様を幸せにできるか考えましょう」
こほん、と軽い咳払いで仕切り直し、マリが皆の顔を見回す。アンとメイは隅の方でスープをすする穏健派の顔もとっくり見つめた。全員を巻き込む気満々である。今日のスープはちょっとしょっぱいな、と穏健派のメンバーは滲む涙を誤魔化した。
男を改心させると意気込む傍らで暗殺計画を企てていた過激派には、言葉を投げかけるだけ大損すると、穏健派は学んでいる。
「そのことなのだが、浮気相手のほうに関してはお嬢様が何やら策を講じていらっしゃるようだ」
沈黙を破った家令サムの言葉に、食堂内がどよめく。
「どうやら怪しげな術でクリス様をたぶらかしたのだとか。お嬢様はその証拠集めに奔走していらっしゃるらしい」
どよめきが大きくなる。さすがの穏健派も、これには前のめりになった。
「放っておいても浮気相手の娘は、お嬢様の手によって然るべき裁きが下されるだろう」
二つ目の議題は、あっさり結論が出た。
最も恨みを抱いているエレオノールが直接、手を下すのであれば、我々にできるそれ以上のことはないだろう、ということで身を引くことが決定した。
「そうすると、浮気男も被害者か?」
バトラーの言葉に、三人がくわっと牙を剥いた。
「そうだとしても、お嬢様を裏切った事実は残ります!」
「そうです! 傷ついたお嬢様の気持ちはどうなるんですか!」
「術が解けて改心したとしても、何かしらの罰は受けてもらわないと!」
私達の気が済まない、と。それはもうだだ漏れの本心にみなが押し黙る。穏健派もこの辺であげた腰を落ち着けた。
「では、彼への罰を考えましょう」
凛とした声が場の空気を引き締めた。リサは眼光を鋭くさせ、三人を見る。
「お嬢様はきっとクリス様との和解を望むでしょう。婚約を継続させているのは愛故でしょうからね」
そう、そうなのだ。エレオノールはクリスが浮気をしていても、贈り物をしなくなっても、手紙をくれなくなっても、愛を取り戻そうと一生懸命なのである。
返事がなくとも手紙を書き、お返しがなくともささやかな贈り物を欠かさない。デートに誘って、たとえそれがお断りの返事でも、返事があったことでそっと安堵している。まだ婚約者を完全に無視するまでには至っていない。ほんのわずかでも心を向けてくれる。ならば諦めない、と。
いつどこでクリスの視界に入ってもいいように、睫の一本、爪の甘皮まで徹底して自分を磨く。気づかれなくたって、きっと無駄にはならないわ、と微笑む。つらいはずなのに、悲しいはずなのに。
健気なエレオノールの姿は多くの使用人の涙を誘い、過激派の熱意にじゃんじゃん薪をくべている。
「私達が手を下すのではなく、浮気相手の断罪の場で同時にクリス様へ罰を下していただく。お嬢様が自ら下す罰であれば、クリス様も二度と不届きな輩に不意を突かれはしないでしょう」
にやり、と口角をあげたリサを見て、みなの背筋が凍りつく。
厳しくも母のような温もりのあるリサではあるが、ことエレオノールのこととなると途端にどこぞの暗殺者のようになる。長くオルガ家へ身を捧げてきた反動か、自分の子を産めなかったためか、エレオノールのことを実の娘のようにそれはもう愛しまくっている。時折、ティータイムと称して奥様と二人、エレオノール愛を語らう姿が目撃されることもしばしば。
……お嬢様にすべて任せるのなら、話はこれで終わりだな。これで落ち着いて食事ができると、穏健派がホッと吐息を漏らした――のも束の間。アン、メイ、マリの三人によって、再び空気が荒れ狂う。
「私達、旦那様にお願いしてミートハンマーを新調しましたのよ」
「重くて頑丈、人の肉でもしっかり潰せます」
「うまくやれば骨も」
……なんて?
隅のほうで料理長が真っ青になった。手から滑り落ちたパンは、そばで同じく真っ青になったメイドが床に落ちる前に受け止めてくれた。
アン、メイ、マリ。それぞれの名前の札と一緒に厨房の壁にかかっていたやたらとデカいミートハンマーのことを思い出す。どうりで打面の棘が鋭利過ぎると思った。何の肉を叩くつもりなのかと思ったら、クリスと浮気相手だったとは。旦那様も何で買い与えちゃうんだよ。
料理長は食事も忘れてしくしく泣いた。トムさんの道具小屋に隠そうかな。駄目だあいつも過激派だ。
背を撫でてくれるメイドの手は優しく、二人の心は一つになった。もうやだこの職場みんな怖い。
「彼も被害者という判断が下った場合、叩き潰したら駄目だろう」
バトラーのもっともな意見にも、三人は不満顔だ。
「いけませんよ、三人とも。あなた達の気持ちよりも、お嬢様の気持ちが大切です」
リサの言葉を聞いて、三人は渋々、嫌々、はい、と返事をした。……せっかく買っていただいたのに。
「外から見える場所に傷を残すなど言語道断です。綺麗な顔を台無しにすることも、バランスのいい体を損なうことも禁止です」
リサもまた、クリスはエレオノールと並んで初めて完成すると思っている口であった。
「ならばどうする」
「一度、強めに叩き潰すことでわからせる必要はあると思うな」
「肩の骨でも抜くかい? 骨なら戻せる」
「ダメですよ、事故に見せかけるのが難しいじゃないですか」
「じゃあ折る?」
「ミートハンマーは目立ち過ぎる」
「あくまでお嬢様が手を下すんだぞ」
「カトラリーで的を外してしまえば、うっかりさん、ってことで丸く収まらないかしら?」
「いいわね、候補としましょう」
どんどん燃え上がる過激派の議論に反して、穏健派の空気はどんどん冷えていく。
何がいいんだよ、何も良くないよ。カトラリーの投擲が既に故意だよ。
口を挟める人間など誰もいない。いるはずがない。
どれだけそうしていたか。
「それでは――」
リサの声が盛り上がった場を黙らせる。
「娘を処した後、和解の場面で、お嬢様がどさくさに紛れてクリス様の足の小指を踏み潰す、ということで」
よろしいわね、と。
澄まし顔で告げるリサの言葉で、食堂に拍手が湧き起った。拍手喝采、雨あられ。何もよろしくないだろう、と青を通り越して真っ白になった穏健派の心の声など知りもせず、定例お嬢様緊急会議は幕を閉じた。