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03 努力の代償


「ぼぉううぇ、げぇっ……」


 オルガ邸にある使用人用のトイレでは今日も、メイが胃の中身をぶちまけていた。

 もう耐えられない、無理。濁点だらけの声で咽び泣きながら、胃ごと吐き出して洗いたいと呻いている。背中をさすって付き添っているマリも、既に二回はもらって便器を抱えた。アンは先程からうんともすんとも言わない。


 エレオノールがストレス発散のために行っていたカトラリーの投擲を、本格的な訓練へと切り替えたのは最近のことだ。何か考えあってのことだろうとは思うけれど、どんな考えであるかは想像したくない。したくないのだ、本当に。

 ともかく、エレオノールはめきめきと腕をあげている。さすがは私達の愛するお嬢様。最初は狙った的を大きく外して地面にナイフをめり込ませたり、通りすがりの庭師のトムの帽子を貫いたり、様子を見に来た執事のバトラーのもみあげを剃ったりしていたのに。頑張り屋さんで、弛まぬ努力はしっかり実を結んだ。

 がっちり実った努力の結果、的にされたぬいぐるみ達は見るも無残な姿になっている。しかしお嬢様が頑張った故なのだから、みな涙を流す程に感動している。


「おぅげ……」


 ……感動している。

 余程ストレスが溜まっていらっしゃるのね、と同情の視線を向けられたのは、的に当たるようになったばかりの頃、三日程だった。しゅん、としょげたエレオノールは、用意したカトラリーを投げ終わると、必ず磔にしたぬいぐるみ達を回収し、修理してほしいと頼みに来るのだ。


『お父様にいただいた大事なぬいぐるみなの。綺麗になるかしら?』


 カトラリーを投げている最中は、的を外す度に地団太を踏んで舌打ちしているというのに、毛布にくるんで抱きしめたくなるような憂いを帯びた表情で、ついさっきまで散々弄んでいたぬいぐるみのために涙ぐむ。

 急激な態度の変化は対応するメイドたちを置き去りにし、その切り替えの早さに酔う者を続出させた。そして、受け取ったぬいぐるみの凄惨な姿があまりにもあんまりで、耐えられず皆トイレへ駆け込むのである。


 ナイフで喉を掻き切られ、胴を裂かれ、腕を千切られたネコ。脳天にフォークを突き刺され、ナイフで顔面を抉られ、腹の裂け目から綿という綿を垂らしたクマ。

 エレオノールはこれを、婚約者とその浮気相手の顔を思い浮かべながらやっている。初めの頃は、絵を描くのが得意だという召使に二人の簡単な似顔絵を描かせ、それをぬいぐるみの顔に貼っていた。お嬢様からのお願いに嬉々として腕を振るった彼は、己の絵が憎悪を増幅させ殺意を研ぎ澄ますために使われていると知って、その結果を目撃して、可哀想にしばらく悪夢に悩まされたという。やけにたくさん描かせるなとは思った、という彼の言葉を聞いて、みなそっと目元を拭ったものである。

 修理を頼まれたメイド達も当然、ぬいぐるみに二人を重ね、結果として朝食も昼食もなかったことにした挙句、夕食は喉を通らない。


「やばい……私達のお嬢様、絶対にやばいわ」


 吐く物が無くなったメイが、それでも涙は止められずおいおい泣く。

 どうせやるなら本気でやるわ、と意気込むエレオノールを見て、アンもメイもマリも察したのだ。これは考えてはいけないと。お嬢様が、カトラリーを誰に対して投擲しどうしたいのか。それは絶対に、考えてはいけないことであると。

 察したのに、目を瞑ったのに。頑張ってくださいね、と素知らぬ顔でちゃんと知らん顔したのに。

 エレオノールは意気揚々と、婚約者とその浮気相手の顔が描かれた紙をぬいぐるみの顔に貼りつけてしまった。投擲する際の顔にはわかりやすい殺意があふれ、投げられたナイフは前日とは比べ物にならない精度で飛びぬいぐるみの腹を貫いた。

 どうしよう、私達のお嬢様、絶対にやばいわ。やる気よ。あの目は本気で殺る気よ。

 三人はすぐさまリサに報告して、四人で抱き合ってしくしく泣いた。似顔絵はリサが回収してくれた。

 せっかく描いた絵が無残な姿になっていると召使が泣いている、と言えば、エレオノールは素直に渡してくれたらしい。ついでに彼へもしっかり謝罪したという。その素直さはみなが愛するところだけれど、どの方面にも漏れなく素直であるために、『脳裏で正確に思い浮かべられるように練習するわ!』とまたまたおかしな努力を始めてしまったのは誤算だった。想像することに頭を使うためか、集中力が分散しないよう投擲する際の力の入り方が尋常ではなくなった。かすっただけであるのに、ぬいぐるみの腕が千切れた時は、思わず互いの腕を抱きしめあったものである。


「承知しているでしょう、メイ。それだけお嬢様は辛いのよ」


 ようやく声が出せるくらい回復したらしいアンが、目を真っ赤にして、それでも気丈に振る舞いそんなことを言う。

 それにしたってやば過ぎるでしょ。人間を相手にやる想定でカトラリー投げてんのよ。不満を潤んだ双眸いっぱいに溜めて睨む。しかし、


「うぅ……そうね」


 エレオノールへの愛が勝った。

 とはいえそろそろ限界だということも理解している。感情のままに暴走しているエレオノールではあるが、あんな状態が健やかであるはずがない。


「一刻も早く、浮気男を叩き潰して改心させましょう」


 お嬢様のために。そして、私達のために。もうこれ以上、食べたものをトイレに口移ししたくない!

 定例お嬢様緊急会議の始まりである。

 

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