表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

01 お嬢様の憂鬱


 エレオノール・オルガは転生者である。

 地球生まれ日本育ち。しがない会社員をやっていた。

 ありとあらゆる手段を使って残業を回避し、のらりくらりと休日出勤を回避し、余暇という余暇をひねり出しては乙女ゲームをプレイし尽くし金をつぎ込んでいた、ただの女であった。日々、乙女ゲームに脳みそを浸す生活は、体はともかく心を満たし、しかしあっさり死んだ。


 事故だった。

 新作乙女ゲームを購入しにチャリをかっ飛ばし、ほくほくと帰宅する道中。ちょっとした石っころを回避しようと大袈裟にハンドルを切った際、ママチャリのカゴに放り込んでいた袋からゲームがずり落ちそうになったのを制止するため、何を思ったか両手を伸ばし体勢を崩し電柱に激突した。ゲームは確保したものの、頭から嫌な音がした。何とか立ち上がったはいいもののふらついて後退した先は田んぼで、またまたバランスを崩し何を思ったか体をひねって手をつこうとしたのが運の尽き。乙女ゲームを抱えていたことに気づき、反射的に腕を引っ込め胸に掻き抱く。そんなことをしていれば当然、倒れる体はそのままきちんと倒れた。顔から行った。顔から逝った。首から嫌な音がしたのを最後に意識は途切れ、気づいたら転生していた。


 伯爵家の娘として生を受け赤ん坊らしく泣き叫ぶ自分を頭では冷静に、客観的に眺めつつ、自分の最期のアホっぷりに本気で泣いた。赤ちゃんだからしかたないもん、と言い訳してギャン泣きした。田んぼの泥って意外と固いんだな、とかそんなことを思って泣いた。二十七歳、ガチ泣きだった。


 神様を経由していない転生であるため、特にチート能力は授からなかったし、前世では知識チートできるほど経験豊富な人生を歩んでいなかった。そのためエレオノールはごくごく普通に成長した。伯爵家のご令嬢として、どこに出してもまあ恥ずかしくないかな、くらいの成長を見せた。二十七歳からの人生やり直しということもあって、少々ませた子ども時代ではあったものの、概ね普通のどこにでもいる娘になった。


 お友達のご令嬢から発売されたばかりのロマンス小説のタイトルを聞くその瞬間まで、本当に普通の娘だった。ロマンス小説を読んでいる最中はちょっと人にお見せできないレベルで顔が溶けるところ以外、一般的な令嬢と変わりなかった。


『運命の歯車は星の乙女に微笑んだ』


 タイトルを聞いた瞬間のエレオノールの動揺振りはすさまじかった。漫画でも今日日そうは見ない、硬直したまま手に持ったティーカップを落とすという定番をやってのけ、次の瞬間には立ち上がってふらつく。しかしそこはエレオノール。前世の嫌な記憶を繰り返すまいと力の限り踏ん張った。結果として、奇妙なポーズで表情を強張らせる気味の悪い伯爵令嬢の姿が爆誕した。お友達もさすがに引いていた。

 そんなお友達に詰め寄って三度に渡りタイトルを聞きなおし、五度に渡って内容を確認し、もう勘弁してください、としくしく泣きだしたお友達を放り出して部屋へ駆け戻り、ベッドに突っ伏してギャン泣きした。


 あんまりだ、神様それはあんまりだ、と。

 その小説が登場する乙女ゲームを、エレオノールは知っていた。よくあるタイトルのよくある乙女ゲーム。一冊の小説に翻弄される恋愛シミュレーションゲーム。

 いくらなんでもひどいじゃないか。伯爵令嬢としてスローライフ送る系のよくある異世界転生だと思ってたのに、と。エレオノールはわんわん泣いた。

 スローライフ物ならチート能力なくてもいいやって、のんびり過ごしてたのに、と。エレオノールは熱が出るまで泣いた。


 心配する両親をよそに延々と泣き続け、涙が引いたら今度は鬼の形相でぶつぶつ早口で何やら呟きだした。両親はもう気が気でなくて、お医者様どころか神官様まで家に招いたが、エレオノールは止まらなかった。


 エレオノールは乙女ゲームを淡々とプレイするだけではなかった。時に深く考察し、友人と解釈を語り合い、時に不遇だったキャラにハッピーエンドをもたらすべく創作活動に勤しんだ、感情移入の激しい熱意ある暑苦しい女だった。

 前世の経験をもとに、エレオノールは考えた。ゲームの登場人物にエレオノールという名前の人間はいなかった。もちろん、婚約者であるクリスも。では、この世界における自分とは何者か。考えに考え、そして調べた。シナリオ通りの展開がどこかで発生していないか。社交界で築き上げたすべての人脈を、時には両親の人脈までフルに活用して調べ上げた。

 難航する調査と不明瞭な己の存在意義にいよいよ頭が痛くなった頃、エレオノールは気づいた。クリスが浮気している。相手は男爵家のご令嬢で、二人の言い分は『真実の愛を見つけた』というバカらしいもの。


 ――ああ、そうか。


 そうして打ち立てた『私は乙女ゲームの起点である』という一つの仮説は、今のところ崩れそうにない。エレオノールたちの他に、真実の愛を理由に身分差の恋に熱をあげている貴族はいない。どころか婚約者が浮気しているという話すらない。であれば、このまま手をこまねいていれば自分は必然、クリスに婚約破棄され家族もろともおしまいだ。

 それも、ぽっと出の下級貴族の娘を虐め抜いたなどというくだらない理由で断罪されるのだ。婚約者を誑かしている女に優しくする人間がどこいる。いるというなら連れて来い。そいつはきっと正気じゃない。絶対に正気じゃない。正気に戻れるよう私がきちんとぶん殴ってやる。


 ――ふざけんな。


 何一つ気に食わない。たった一つも理解できない。エレオノールは浮気をした本人が、浮気相手を守るために切り捨てるお邪魔虫として排除されるのだ。アンナを虐めたという罪が、真実として存在しているかどうか。そんなことはどうだっていいのだ。そういう証言があり、それをクリスが真実だと認めてしまえば、それでエレオノールを捨てる理由は満たされる。


 ――冗談じゃない。


 たかが一冊のロマンス小説に人生を左右されて堪るか。私はこのまま伯爵家の令嬢としてスローライフを送るんだ、と。エレオノールの決意は固く、そして意志は熱かった。乙女ゲームのシナリオ崩壊など知ったこっちゃない。私は私の幸せのためならシナリオだろうが神様だろうが殴り飛ばすぞ、と暑苦しいほどの気合の入りようで、エレオノールは準備を始めたのであった。

 しかし、状況は芳しくないどころかシナリオの思うままである。


「本当にまずいわ。乙女ゲーム開始時点から逆算した私たちの騒動まではまだ猶予があるはずだけど、確実とは言えないものね。来月エバンズ家で開催される夜会なんてもう嫌な予感しかしないわ。なんとかしなくちゃ。クリスの好みに沿うだけでは駄目だった。なら次の手は……」


 ぶつぶつぶつとやっているうちに野菜が柔らかくなったので味見する。


「うん、美味しい」


 ほっこりと、ようやく口元に笑みが浮かぶ。しかしそんなものは、ほんの一時のものでしかないと、エレオノールは理解していた。おいしい食事で鎮火できるほど、彼女の怒りは薄くない。もう、そんな段階ではないのである。


 どこにでもいる社会人だったエレオノールは、わりと自炊をするほうだった。大鍋でカレーやらシチューやらおでんやら、今まさに完成したミネストローネやらを大量に作り置き食い繋ぐ程度には、自炊をする女だった。

 とはいえ一人暮らしの女がエネルギー補給のためだけに作る料理の味など、伯爵家の料理人がつくる食事とは天と地ほどの差がある。それでもエレオノールには慣れた味であったし、なにより食材を切り刻む工程は前世からやっている絶好のストレス解消法だった。


 ここが乙女ゲームの世界だと気づき、自身に破滅が待っていると知って。そのストレスで気が狂いそうになったエレオノールはキッチンへ駆け込んだ。驚いている料理長をあれよあれよという間に追い出し、勝手に野菜という野菜をみじん切りにしたのが始まりだ。


 もうなんだか色々と考え過ぎて頭痛がしていたし、婚約者に裏切られた悲しみで胸がいっぱいであったし、……とにかくエレオノールは限界だった。心がへとへとで、何か手を打たないとどうにかなってしまいそうだった。

 手あたり次第、目につく野菜を片っ端から切り刻み、玉ねぎを言い訳に泣きまくり、気が済むまで手を止めなかった。


『あーすっきりした!』


 と、さっきまで怒鳴り散らしていたお嬢様とは打って変わって快活な笑みを浮かべるエレオノールに身震いする料理人たちへの罪悪感は、ストレスと一緒に消え去った。以来、何かあると鬼の形相でキッチンに乗り込むエレオノールを、料理人含め邸に勤める使用人たちは『切り裂き令嬢』と呼んでいるのだが、もちろんエレオノールはそんなこと知らない。 

 切り裂き令嬢の日、切り裂き令嬢警報、など使用人たちがエレオノール緊急連絡網を敷いていることも、もちろん気づいていない。


 愛情込めて作りました。召し上がれ、と可愛い子ぶればみんな許してくれるので、エレオノールはこの手段でストレスを切り刻む行為をやめなかった。もちろん、邸中に響き渡る怒号に恐怖し、それほどまでに辛いのかと同情し、料理に込められたのが愛情ではなく怨念であると理解している伯爵家の人間に、エレオノールを諫められる者などいるはずもない故のお咎めなしである。味も絶賛するほどではないが普通に食べられるので不満も出ない。可愛いエレオノールお嬢さまの手作り、というポイントは高い。エレオノールはこの辺、しっかり甘やかされた普通の令嬢だった。愛情とは時に、人生二周目の人間の目すら曇らせる。


「そうね……飴と鞭というものね。これまでは飴のつもりでクリスに合わせていたけれど、ちょっと調子に乗せてしまったわ。よし、鞭の出番ね!」


 もちろんこの声も邸中に響いている。この日、オルガ邸からは鞭という鞭が消えた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ