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推しを弔う

作者: 大西洋子

「みんな、ありがとー!」

瞼を閉じると、無数のオレンジ色のサイリウムの波の上で、はじけた顔で手を振る彼女の姿が、たけしの脳裏によみがえる。

「イリヤちゃーん!」

人一倍大きな声を合図に、次々と彼女の名が連呼され、やがてそれは小さくなっていく。

しばらくの沈黙。再び手拍子が始まる。

間もなく、たけしの耳にライブの始まりを告げるイリヤの声が聞こえてくるはず。だが、

「バッテリーが切れたか」

ただの板と化したスマホとイヤホンを鞄にしまい、かわりに推しタオルに包んだ壷を取り出す。

「君がイリヤとして歩んだ場所も、ここでおしまい」

休日となれば、人でごった返す場所が、休館日のそれも陽が落ちかけた今は人影はない。

たけしは施設前に建つオブジェの前に、タオルに包んだままの壺を置き、オブジェと台座の隙間を広げるようにメスを使って掘る。

時間にして十分程度か、彼の握りこぶし程の穴ができあがった。

たけしはペットボトルを手に取り、泥だらけになった手を洗い流し、壺を手にし語りかける。

「君はあんな場所にいるべきではない。この場所が、君に一番相応しいと思うが、どうだろう?」

応えは返ってこない。

彼がイリヤと呼ぶ彼女は、壷の中にいるのだから。

「イリヤ……」

夕闇に彼の姿が呑み込まれていく。



仕事で知り得た情報は公にしてはいけない。これは医師としての鉄則。まして、人の異様な死に関しては特に……

――その日、たけしは体調不良による休暇が明けの深夜勤務だった。

「たけしくん、久しぶりの深夜勤務やね」

ベテラン看護師高崎が彼の顔を見るなり、背中を叩きながらそう声をかけてきた。

たけしは苦笑いを噛みしめる。表向きはここ数ヶ月に及ぶ激務で体調不良を起こしたことになっていたが、実のところ、推しのアイドル、イリヤの引退発表に、俗に云う推しロスに陥っていたのだ。

「顔色は大丈夫そうやけど、あまり無理したらあかんよ」

その夜の勤務は淡々と進み、仮眠をとろうとしたところ、院内用のスマホが鳴った。

「たかしくん、休憩時間で悪いけど、すぐ救急搬送受け入れに向こうて」

高崎の深刻な声が、穏やかな深夜勤務が崩れたことを告げていた。

やがて搬送されてきたのが、イリヤとイリヤの事務所の社長だった。

社長は搬送中に死亡し、イリヤは一命を取り留めたものの、四日後に意識を取り戻すことなく死亡した。

世間には二人の死亡が短く発表され、イリヤの突然の死にファンはざわめき、同時にSNSには死の真相を探る書き込みが相次ぎ、たけしの勤務する病院の者の話だけど。という書き込みもあった。

「イリヤが搬送された時の様子は、忘れたくても忘れられない」

病院に運ばれてきた彼女は手首と喉に裂傷を負い、社長の胸にはアイスピックが深々と突き刺さっていた。

「イリヤが社長と無理心中に陥った理由を、明らかにしてどうする」

二人の純白のウェディングドレス姿が血に染まる様は、半年たった今でも悪夢として何度も見てしまう。

報道では伏せられたが、イリヤが緊急オペ後に恐ろしい病に犯されていることが判明し、彼女の遺体は密封され、そのまま火葬場へ運ばれた。

そののち、たけしは彼女が世間に公にしなかった事実と、それからを知ることとなる。

まず彼女の本当の名前と戸籍を。

彼女の遺族にあたる人々を。

彼女の遺骨の行き先を。

そして彼女が、ある寺に無縁仏として遺骨が納められていることを……

「イリヤは、こんな所でこんなかたちで葬られてはいけない」

たけしは犯した。その寺に赴き、彼女の骨壷を未使用の骨壷とすり替え、持ち出した。

「君が歩んだ場所を一緒に巡ろう」

たけしは旅した。医師を辞め、全ての連絡先を絶ち、彼女が産まれた場所を皮切りに、彼女が歩んだ場所を巡った。

「イリヤの墓碑は、最後のライブ会場のオブジェが相応しいと思わないか?」

そうしてこの施設に辿り着いた。だが……

オブジェと台座の隙間を広げた穴と、骨壷の中の骨を僅かに残る陽光が照らす。

たけしの口から嗚咽が漏れる。

たけしは指に残った砂利と共に、壺の中のそれを己の腹へと収めていく……



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