滝寺跡磨崖仏
【滝寺跡】
奈良にある滝寺跡
社があり中には千手観音像や磨崖佛等が納められている
【創建・造立時】
滝寺の創建時代は不明
一説では奈良時代と言われている
滝寺自体は失われていて跡形もない
ただ今は千手観音菩薩立像や磨崖佛が残されているのみだ
【奈良県指定史跡】
1979年3月~
【看板】
瀧寺跡の社に立てられている案内看板
内容はこのように記されている
『県指定史跡 滝寺の磨崖仏』
磨崖仏は細粒質片磨岩の岩肌に彫刻されている
図様の詳細は明らかにできないが、薄肉彫りの堂塔がいくつか建ち並んでいるのが認められる中に、仏菩薩などを浮き彫りにした仏龕が5面配され、なかなか壮大な構図のようである
仏龕はそれぞれ仏殿の内部におさまるもので、中央上部のものは仏殿が大きく、屋根上に宝形らしいものがみられる
また左端のものの上には風鐸のついた屋根がある
仏龕の彫刻としては、中央上部のそれは、三尊仏が二組み並んで、その上に垂飾のついた帳が線刻されており、また向かって右側の中尊の光背には千体仏があらわされているなど、見るべき特色がある。他の仏龕にも三尊仏の中尊が裳懸座に坐す形式や、菩薩形立像らしいものがある
この磨崖仏は作風からみて、八世紀に入ってからのものと考えられ、我が国でも最も古い磨崖仏のひとつである
なお、滝寺については草創、沿革については、詳かではないが、付近からは奈良時代の瓦の出土が認められる
『奈良県教育委員会』
【言い伝え】
天武天皇の御代の頃、皇子の目の病を治すため滝で祈りを重ねていたとき龍王が現れ言った
「この碗に滝の水を入れ持ち帰り皇子の目を洗うべし」
それを持って帰り目薬として皇子に点すと皇子の目は見えるようになったという
喜んだ天皇は滝の上に滝寺を建立、そして少し離れた場所に東明寺を建てたという
【もう1つの言い伝え】
東明寺には持統天皇が眼の病を患った話が伝わっている
持統天皇の子息である舎人親王の夢枕に老翁が現れ言った
「霊山に登り霊井の水をすくい母君の眼を洗うように」
そして金の鍋を舎人親王に渡した
舎人親王は言われたまま霊水をすくい持統天皇の眼を洗うと持統天皇の眼は治った
感謝した舎人親王は東明寺を建てたと伝わる
ちなみに舎人親王の父親は天武天皇であり生母は新田部皇女であり、持統天皇は義理の母に当たる
【言い伝えの考察】
東明寺では皇子ではなく天皇が眼の病になったと伝えられる
長い年月を経ていて何が真実かはもう分からないが、少なくともこの天武天皇~持統天皇の御代の時代に何かしら眼の病の発生があり滝寺と東明寺の建立がなされたのは間違っていないのではないかと思われる
【白高大神との関連性】
ほぼすぐ傍にある滝寺跡と白高大神
滝寺跡の下にある滝で中井シゲノさんは修行されていたようだ
事故により目が見えなくなっていたシゲノさんの目に光が戻ったとされているのもこの滝での修行中の事である
その後、この滝と池を中心に白高大神が創られた