船玉神社・玉姫稲荷社
和歌山にある神社
熊野本営大社の奥の院とも伝わる船の神様を祀る船玉神社の隣に玉姫大神は祀られている
【船玉神社とは?】
船の神様を祀る神社
伝説では玉滝の滝壺で行水をしていた神様だったが大雨になった
見ると滝壺に浮かぶ一匹の蜘蛛が大雨で溺れそうになっていた
神様が榊の葉を投げると蜘蛛はその葉に乗って手足を使って必死に岸へたどり着いたという
神様はそれを見て船というものを思いつき作ったのが最初の船である
神様は船の守り神たる船玉神として祀られるようになったという
船玉神社関連としては幕末から明治初期に全国的に流行った端歌『紀伊の国』は有名
【玉姫大神】
船玉神と夫婦神と言われている
玉姫大神は月に一度、熊野三山の奥の院と言われる玉置神社に通うという
【玉置神社】
大峰山系の霊山の一つである玉置山の山頂近くにある神社
神様に呼ばれなければ辿り着けない神社として有名
悪霊祓いや商売繁盛、開運厄除けといったご利益があるとされる
祭神は錚々たる神々が並ぶ
【本社】
『国常立尊』
『伊邪那岐尊』
『伊邪那美尊』
『天照大御神』
『神日本磐余彦尊[神武天皇]』
【摂社】
『倉稲魂神[稲荷神]』
『天御柱神』
『国御柱神』
【玉石社】
『大巳貴命[大国主神]』
【白山社】
『菊理媛命』
【若宮社】
『大山祇命』
【玉姫社の変遷】
大阪の安居天神にある摂社・玉姫社が安居天神に来るまでの話
○江戸時代初期?、紀伊の玉姫稲荷信仰の人気を受け和歌山城西の丸に玉姫社が勧請されたのが始まりとされる
○1868年・明治維新の大混乱の最中、城明け渡し云々の話により玉姫社が関係者の私邸の庭に移される
○1922年・私邸から玉姫社を移さなければならない事態が起き、新たに移す場所を探し回った結果縁あって大阪の安居天神の一角に玉姫社が建てられる事になる
○1934年・中井シゲノさんが奈良から大阪に来て安居天神を訪れる