伏見稲荷大社【御膳谷奉拝所】
【創建年代】
不明
【七神跡の一つ】
この御膳谷奉拝所は稲荷に七つある御跡の一つである
他には『御劔社・長者社』、『一ノ峰の上社』、『二ノ峰の中社』、『間ノ峰の荷田社』、『三ノ峰の下社』、『荒神峰の田中社』がある
【読み方】
『ごぜんだにぶはいしょ』…ではなく『おぜんたにほうはいしょ』と読むようだ
【建築様式】
切妻造り
【例祭】
一月の大山寺祭・山上の儀、十二月の火焚祭
【役割】
三ヶ峰に毎日神饌を共進するための準備が行われていた神聖な場所とされる
かつては御饗殿、御竈殿があったという話だが今は無く、代わりに現在は祈祷殿が存在している
はるか昔はここで準備されたお供えが三ヶ峰にそれぞれ供されたという話だが、現在はここでまとめて朝夕にお供えされているようだ
【御饌石】
祈祷殿の裏奥にある神石
神様にお供えを捧げる食事台である
山神の儀においては中汲酒を齋土器に盛り供進されるとか
【社務所】
戦前までは修験道者や滝行の人びとが大勢いた建物だったらしい
現在は社務所として御守り等が売っていたり、御朱印が貰える
【お塚】
ここも他と同様無数のお塚がある
お塚とは個人的に建てられた石塚でお塚信仰は明治時代に大流行したらしい
会社や稲荷講さんのお塚も存在している
【稲荷講とは?】
稲荷信仰の信者さんが参詣するために作った小さな団体
講員の募集や運営管理は稲荷大社が行っているようだ
【砂澤たまゑさん】
御膳谷奉拝所を語る上でとあるお代の方の話が出てくる
それが砂澤たまゑさんである
生没年1922年~2009年
オダイとして厳しい修行を行われ、かなりの霊能力をお持ちだった方とのこと
1957年三丹支部の前身である扱所を立ち上げ1965年扱所は三丹支部へ昇格し支部長さんをされていた
また1972年に内記稲荷神社からお迎えがきて寂れていた神社の復興に努められたようだ
亡くなられたのがまだ比較的新しいためたまゑさんの事を知っている人は多い
書籍を出されているので詳しくは新元社から出ていた『霊能一代』をどうぞ
ちなみに砂澤たまゑさんは御膳谷奉拝所の場所に八つのお塚を建てられている
綺麗に管理されていて最大の特長は二体の狐の像の前掛けが豪華な事である