12 血染めの噴水
「で?」
俺は不機嫌そうに一言尋ねる。
その対象はニコニコとメモ帳を構えて上機嫌である。
「いやぁ! だってそんな面白そうな話、聞いておきたいじゃないですか!? 皆さんだけだなんてズルイ!」
「あのね、こっちは遊びじゃないの! 人命に関わることなんだから!」
「私だって遊びじゃありませんよ! 今後の創作活動のため――」
「まあまあまあ、落ち着いてくださいな」
「ごめんね、リリィ。どうしてもって言うから……」
キャンティアを連れてきた二人は申し訳なさそうな表情。
正直、俺達だけで聞いておきたかった話であったのだが、
「私達だって、そのクルシアを止める旅のお供ですよ! 知る権利はあります!」
「……と説得されまして……」
「な、なるほど……」
それを突かれるとなんとも断りづらい。不本意だが納得することにした。
するとその会話を聞いていたハイディルが、ふとした疑問を投げかける。
「貴女はヘレン様ですよね?」
「……? はい、そうですけど……」
「リリィというのは――」
「「!!」」
しまったぁーーっ!!
俺とアイシアはひどく動揺すると、言い訳を始める。
「あっ、いや、えっとぉ……」
「みょ、苗字がリリアーナなんですよ。だからリリィなんてあだ名に……」
苦しい言い訳をしたと考えたが、ハイディルにはヘレンとしか名乗っていない。
勝手に苗字変えてごめんね、ヘレン。
通用するかと思っていると、
「そうですか。でも苗字のあだ名でなくとも、ヘレンという名はとても可愛らしく思いますが……」
「で、ですよねぇ? も、もうアイシアってばぁ!」
「ご、ごめんねぇ、へ、ヘレンちゃん」
俺達の茶番もそこまでに、本題へと移る。
「さて、どこから話しましょうか? とりあえずそちらの方々にお話されていないことから説明しましょうか」
「是非」
「クルシア様はとても賢くていらっしゃいまして、貴族の社交会でも『神童』と呼ばれたほどで御座います」
その神童と呼ばれていたということに、カルディナ達は違和感を持たない表情。
「わたくしはクルシア様が生まれてからより、見てきました。ご主人様方も存分に可愛がられておいでで、穏やかな日々が続くものだと、見守っていたのですが――」
――クルシア・レイフィール。
生まれは彫刻の町とされるパルマナニタ。そこの領主を務めるレイフィール家の次男として生まれた。
家系は水属性持ちの治癒魔法術師としてというテテュラと似た環境であるが、レイフィール家はラセルブ山脈から取れる石材によっても財を築いた。
両親はとても心根の優しい人物でありながら、聡明であった。
子供二人には貴族特有の英才教育を最低限とし、自分の跡を継がせるということを強要するつもりはなかったそうだ。
厳し過ぎることも優し過ぎることもなく、のびのびと育てていく中で、ふと気付いたという。
クルシアの天才性を。
当時は二つ上のお兄さんよりも物分かりがいいという認識だったが、五歳児から初期魔法ではなく、初級魔法を使える神童と謳われた。
だがお兄さんは弟に嫉妬を抱くこともなく、兄弟の間に溝もなく、すくすくと育っていった。
しかし――転機は訪れる。
クルシア達の世代の『処刑日』、向こうでいう『恩恵の儀』が行われた。
クルシアの両親は風の初級魔法を使えていることを確認している。
属性の付与は遺伝や家系などで継がれることではないが、クルシアは間違いなく母親が腹を痛めて産んだ息子だ。
だがその息子に処刑の烙印が押された。風属性と闇属性持ちだと水晶が反応したのだ。
両親とお兄さんは絶望し、見守っている町の人々も酷く動揺する中、クルシアは平然とした表情をしていたのを覚えているという。
当時は即処刑が行われるようなことも、ましてや住民の前で殺されるなんて非常識なことはなく、クルシアは一度幽閉されることになるが、クルシアの両親は息子を迎えに来るとこう語ったという。
「クルシア、大丈夫だぞ。お前は私達が守るからな」
そう言って連れ出すとクルシアの偽の死体を作り、死亡扱いとしたのだ。
治癒魔法術師としての職権濫用である。
クルシアに近しい体型の死体の顔を潰し、骨格がわからないように骨を砕き、クルシアと同じ血液型の血をぶち撒け、クルシアだと言い張ったのだ。
闇属性持ちは西大陸においては絶対悪という考えが一般論。
こんな非道な殺され方をすることも珍しいことではなく、簡単に受理されたという。
そこからクルシアは軟禁生活を強いられる。
父は言い聞かせた。
「いいか、クルシア。お前は風属性持ちとして生きるのだ。だが今はまだその時ではない。だから、時が来るまでは色んなことをここで学ぶのだ」
この時父は、賢い息子のことだ。何らかの反論をするかもしれないと、言い訳の用意をしていたようだが、クルシアは笑顔でわかったと、特に疑問に思う様子もなく受け入れたという。
そして俺達に見せてくれた書庫で勉学に励み、屋敷内だけでクルシアは育てられることになる。
クルシアの生活自体は不自由のないものだった。
朝昼晩と栄養バランスの取れた食事、外部から見られないところでの適度な運動、充実した勉学の環境による勉強など、さすがに教育方針は整えている。
だが本来、闇属性持ちと判断された人を囲う人は少ない。
クルシアの両親もその少ない人間の一人。闇属性と言っても人権はあると思っている側だ。
何より、子供を大事に育てたいという両親の望みが根底にあった。
だからクルシアを見捨てることもなく、育てられると判断したのだ。
実際、クルシアは大人しく言うことを聞き、特に噂されるような悪意も感じない。
両親は信じ、導こうとした。きっと息子が幸せに暮らせる未来を作ろうと。
その一方で、ハイディルや使用人は主人が信じるが故に、特に口には出さなかったが――どこかに危なっかしさ、不気味さを感じざるを得なかった。
七歳の子供というのは遊び盛りであり、好奇心も探究心も豊富な年頃。
そんな子供が家から出てはいけませんと脅しではなく、お願いとして聞くというのに違和感しか感じなかった。
親の言うことを素直に聞く子供ならわかるが、クルシアは物分かりが良く賢い。
どうして自分が軟禁される状況なのか、どうして両親がそんな手段を取るのか、理解しているはず。
使用人達は純粋に振る舞うクルシアを、素直に信じきれないところがあった。
とはいえ所詮は子供と見ていた部分が無意識的にあった使用人達は、様子を見るという形を取っていた。
そして――運命の日は訪れた。
その日はハイディルは個人的都合により、お暇を貰っていたため、被害に遭わなかった。
ここからは聞いた話だと補足をつけて語る。
クルシアはその日、ふと外の賑わいが気にかかったという。
使用人はクルシアに尋ねられると答えづらいのか、困った苦笑いを浮かべ――何でもありませんよ、と軽く流した。
使用人からすればその日は、クルシアにとって都合の悪い日であった。
自分が軟禁することになった『処刑日』だったのだから。口が裂けても言えない。
だが運命だったのだろう、今までは気にかからなかった『その日』は、十二歳という年齢の少年は気になってしょうがなかった。
クルシアは使用人から見て、天才の領域に達していた。
あらゆる文学を知識として持ち、魔法術に関しても基本の詠唱からマイナーな詠唱術まで、全てを使い熟せるほどである。
だがその天才性の反面、そこに書かれていないこと、本だけではわからないことに興味を持ち始める頃合いとなっていた。
今思えば、爆弾だったのだ。
クルシアが誰にも気付かれずに外に出ることなど、もうこの段階までくれば容易である。
クルシアは町へと繰り出し、久しぶりの外に高揚感を覚えたことだろう。
美しく洗練された町並み。屋敷内にいるだけでは感じられない解放感のある空気。両親や使用人以外の豊かな表情で過ごす町の人達。
新鮮な気持ちでいたのではなかろうか。
そしてクルシアは賑わう原因にたどり着く。
女神の像とそこから放たれる透き通る水しぶきが芸術を成す町の中心的場所、噴水広場が広がる。
そこでクルシアは目にした。
『処刑日』として用意された台座。そこにはかつては自分も目にしたことのある水晶石を。
そして脳裏に浮かんだのではなかろうか、自分が闇属性であると認識された時の周りの反応を。
そこでは子供達が複雑な心境で、自分の手番を待つ。周りの住民達も知り合いや親戚が闇属性と判断されないかどうかを見守る中、クルシアは何を思ったか、ひょっこりとその台座に乗ったという。
周りの静止も聞かず、クルシアは水晶石に魔力を注いだ。
すると水晶石は、五年前と同じく緑と黒が交錯する色が浮かび上がり、会場は騒然とする。
しかも魔力が強すぎたのか、水晶石は砕けてしまった。
それを見た会場の住民達は、クルシアに対し悪口や誹謗中傷、罵詈雑言を浴びせる。
「何故、闇属性持ちがぁっ!?」
「この悪魔がぁ!!」
「死ね、死ねぇ!!」
西大陸の社会情勢を考えれば、当然の反応であった。
クルシアほどの年齢の闇属性は本来、この大陸にはいないはずなのだから。
だがその様子を見ていた当時の生き残りは、その時の彼がとても印象的だったという。
その言葉に傷つけられる様子はなく、寧ろ楽しげな笑みを浮かべていたことが頭から離れなかったという。
その悪口を浴びせる住民達に尋ねた。
「ボクって悪魔なの? 死神なの? 悪者なの?」
不思議そうに尋ねるクルシアが癪に触ったのか、住民達は――、
「そうだよ! 闇属性持ちなんて、悪魔でしかないんだ! また歴史を繰り返すつもりかぁ!!」
そのような返答を波のように返した。
住民達からすれば、人形使いの恐怖心は大きく、当時は反抗活動も活発だったせいか、闇属性持ちによる内戦なんかもあった。
そしてクルシアはその返答をまるで他人事のように、
「ふーん、そっかぁ……」
自己完結をしたかと思うと突如、悪夢が幕を開ける。
「じゃあ――望み通りに」
パチンと指を鳴らすと風の暴風が吹き荒れ、広場は閉じ込められる形となった。
騒然とする。住民からすれば、闇属性持ちの狂乱だ。パニックに陥る中、楽しげな高笑いが聞こえる。
「――あっははははははっ!! どうしたの? ねぇ、どうしたの? そんな面白い反応しちゃってさぁ! さっきみたいに粋がってればいいじゃない? 違う?」
怯えながらも閉じ込められた住民達は、何とか説得をしようと試みるが、
「あれ? ボクって死神なんでしょお? 悪者なんでしょお? だったらぁ……やることは一つでしょ?」
ザシュッと一人の住民の首が空中に飛んだ。
「……殺すこと以外にぃ、やることある?」
そこからは地獄絵図が描かれ、断末魔が鳴り響いた。
中では狂乱化したクルシアが次々と人々を襲い、外では中から聞こえてくる断末魔の叫びを怯えながら聞く者、当時の五星教や衛兵を呼ぶ者で溢れかえった。
その当時の五星教や衛兵ではクルシアの風の結界をどうすることもできず、収まるまで待つしかなかった。
その間に苦しむ人々の声を聞き続けるというのは、どれだけこの町の住民に訴えかけられたことだろう。
心の傷を突きつけるには、十分すぎる時間だった。
そして、短くも長く感じた叫びが止む頃合い、風の結界が解け、住民達の目に飛び込んできた光景は読んで字の如く――地獄絵図だった。
被害に遭った人々は、広場のあちらこちらに散りばめられ、まるで弄ばれたように、ほとんどの被害者は身体の一部を千切られていた。
何とか生き残っていた血を流す住民達も念仏のように、ごめんなさい、許して下さいと唱えながら涙した姿も確認された。
町のシンボルである噴水も大量の血に汚れ、透き通っていたはずの水も真っ赤な血に染まったという。
住民達の絶望する声がパルマナニタに木霊する。
安否の確認をするため近寄る住民。その光景に恐れ戦く住民。絶望に苛まれ泣き崩れる住民。
そんな人々を、血塗れになった一人の少年が妖艶な雰囲気の満足げな笑みを浮かべて、観察するように眺める。
ハイディルにこの時の出来事を語った者は、一言だけ思ったそうだ――化け物だと。
その後、クルシアはすんなりと五星教の指示に従い、拘束されるも、翌日には忽然と姿を消した。
「――以上がわたくしの知るクルシア様とあの当時の事件の詳細です」
「……」
俺達は絶句、言葉を失った。
あの噴水広場がこんなにも重く、残酷な惨劇の跡地だったとは。
だが、それ以上にクルシアの異常性が、予想を遥かに超えるということも理解した。
「やはり女性に話すような内容ではありませんでしたね」
「い、いえ……」
まるでパンドラの箱でも開けた気分だ。
言葉が詰まり、出てこないような違和感を感じる。
それを敏感に感じ取ったのか、ハイディルが気を利かせて紅茶を注ぎ直した。
「クルシア様のあの暴走の原因は、ある程度理解しているつもりです」
「え……?」
「原因は軟禁と教育です。まず、我々使用人が教師の代わりをしていたのですが、途中から我々の方が追いつかないほどの勉学に勤しまれてからは、放任していたことが要因かと……」
「それだけじゃないですわよね? 軟禁ということは、貴族としての人間関係を作らなかったことも、噴水広場で起きた事件と関わりがあるのでは?」
カルディナの指摘に頷くハイディルは、その根本も説明する。
「クルシア様に道徳を学ばせなかったことが一番の原因です」
「いや、道徳って普通に過ごして……あっ!」
道徳は確かに小学校の低学年くらいの頃に、座学として知識をつけるが、元々、先んじた教育を行う貴族の子供の性格が捻くれたりするのは、この部分がある。
一般常識よりも貴族としての立場という振る舞いを教えるからである。
国や家を思えばやむを得ないと考えられもするが、そこは大人の責任問題と言えよう。
それでも最低限の道徳知識は学ばされるはずだし、クルシアの両親に関しては家柄のことを押し付けていない。
だがクルシアの場合、立場、環境、能力が彼を狂わせる状況を作った。
ハイディルも勿論、一般常識として道徳の勉学を行なったが、それを本来の形で育むはずの人間関係の形成が欠落していたのだ。
「だから……軟禁と教育」
「はい。何度も言いましたが、クルシア様はとても優秀でいらっしゃいました。我々、大人に頼らずともそつなく熟される様は、さながら手のかからない子供でした。ご主人様や奥様もお忙しく、当時は坊っちゃまのお世話もしておりまして……いえ、何を言っても言い訳にしかならないでしょう」
神童と呼ばれ、闇属性持ちとして人との距離を取らされたが故の結果だったのだろう。
そして子供としての感性が別の形で花開いた。
人としての常識を育まず、膨大な知識だけを詰め込まれ、いざ外の世界を見た時、投げ込まれたのが有象無象の悪意の数々である。
クルシアの性格上、その悪意に押し潰されたわけではない。
その悪意すらクルシアにとっては好奇心をそそるものだったのではないだろうか。
周りには優しい家族と使用人だけの生活。
しかし、勉学に励んでいたクルシアはそれだけが人間の本質ではないことを学んでいただろう。
箱入り娘が外の世界の人を理解するのに時間がかかるように、クルシアはその知識の本流の中で、人間とは何かという問いかけがあったように考える。
書籍に記されていることだけではわからないことを試したのだ。
それがあの惨劇。
急に人の輪に割り込んだらどういう反応だろう。
自分が闇属性持ちだと再び証明された時、この人達はどういう表情を見せてくれるのだろう。
受け入れられないと敵意と悪意に変わった。じゃあ――自分の命が奪われると知った時、どんな反応をするのだろう。
人間は集団心理に陥ると個人としての考えより、周りに合わせた行動を取り、それが正しい、安全と誤認する傾向がある。
今回の件でもそうだ。
闇属性は悪だという集団心理が正しい。クルシアを敵にすれば、誰かが何とかするという安易で衝動的で愚かな行為に走った。
クルシアはそれを壊しての反応が見たかったのではないかと、あの性格から推測できる。
自業自得と言ってしまえばその通りにも聞こえるし、無責任に誹謗を投げかけた方も悪い。
だが、それでも限度はあるし、クルシアのことを許容もできない。
クルシアの場合は、その人達に反省を促しているわけではない。その人達に恐怖を与えることで反応を楽しんでいるだけだ。
それを正しいとは肯定できない。
「……それでもクルシア自身にも責任はあります。これはもう十年以上も前の話でしょう?」
「はい……」
「クルシアは今度は自分で工作して人間観察をしている。私達はあいつを認めるわけにはいかない!」
「あの……」
ここで今の話をおさらいするようにメモ帳を読み込んでいたキャンティアが重苦しい空気の中、そっと手を上げる。
「ご両親とお兄さんは……? 住んでるってことはあの事件から……」
「空気を読みなよ、キャンティア」
「だ、だってぇ〜」
するとハイディルは表情を落として語る。
「ご主人様と奥様、坊っちゃまは現在、引きこもって御座います」
「やっぱり、クルシアの件で……」
「ええ。あの噴水での事件の翌日にクルシア様がご家族と使用人共々、拷問にかけたようです」
「!?」
何でもハイディルが戻った時には既に、五教星や騎士達が状況整理している状態で、驚愕したことを覚えているという。
クルシアの家族も使用人も命は助かったものの、精神的に病んでしまったそうだ。
ご家族はハイディルの言った通り引きこもり、使用人達は帰郷、はたまた別の地に移り住み、ひっそりと暮らしているという。
「どうしてそんなことを……! 大切な家族でしょうがぁ!!」
クルシアの考えが理解できないと憤りを露わにするナタルに、ハイディルは推測を語る。
「わたくしも最初はどうしてと考えました。ですが、優しく育てて貰ったとはいえ、不自由な生活には変わりなかった。その恨みではないかとも考えたのですが……」
「多分、違う。クルシアは家族に対しても人間観察してみたかったんだよ」
俺の意見を認めたくないとハイディルは口元をギッとするが、俺達から聞いた話を当てはめると、否定の言葉は呑みこまれた。
「……どうすれば良かったのかなぁ? こんなの……誰も救われないよ」
たらればなんて語って止まるものではないが、それでも呟かずにはいられなかった。
アイシアの寂しげな一言に、
「闇属性とわかった時、ご主人様はこの大陸より離れる選択ができれば良かったのです。闇属性を受け入れてくれる東が良かったでしょうか……」
律儀にハイディルは答えてくれた。
だがクルシアの両親も無責任にこの地を離れるなんて出来なかっただろうし、そもそも話を聞く限りはそんな考えも浮かばなかっただろう。
しばらく沈黙の時が流れる。
「……皆様」
「!」
「大変都合の良い話かと思いますが、どうかクルシア様をお願いします」
ハイディルは深々とお辞儀をしてそう語った。
「本来であれば、見守ってきたわたくし共がなんとかせねばならない問題。しかし、お話をお伺いするにあたり、もう……わたくしでは手に負えぬところまで来ていることも理解にあります。どうか、身勝手なお願いをすることをお許し願いたい」
「……ハイディルさんは悪くありません。クルシアが暴挙の限りを尽くした……それだけの話なんです」
「いえ。クルシア様の罪を作ったのは、我々の至らなさ故。そもそも罪を犯すことの根本には、積み重ねられた経験、思い出があります。罪がないなど……ないのです」
ハイディルはそんな自責の念を抱えてきたからこそ、この寂れて廃れていくレイフィール家をたった一人で守り抜いてきたのだろう。
クルシアの事件があってから、この家の人当たりも悪かっただろう。俺達には想像もしない辛い出来事だってあったに違いない。
だから今、どんな言葉をかけても、この人自身が自分を許さないだろう。
「……わかりました。必ずクルシアを止めてみせます」
「お願い致します」
丁寧にお礼を言うハイディルに、ナタルは問いかける。
「二つほどよろしいでしょうか?」
「……はい。なんでしょう?」
「私達はこれからクルシアと会います。何か伝言などはありますか? 手紙でも構いません」
意外な一言に俺達は驚く。
「そうですね……一度、ゆっくりとお話をさせて頂きたいとお伝え下さい」
穏やかに語るハイディルは、まだクルシアのことを信じたいのだろうか。それとも自責の念からくる責任の取り方だろうか。
だがハイディルの願いを聞けないことを口にする。
「伝言はわかりましたが、それを叶えられないと伝えておきます」
すくっと立ち上がると、ナタルは冷たい視線をハイディルに向ける。
「私はクルシアを殺します。必ずです」
「……!」
言いたいことを言うと、ナタルは部屋から出て行った。
「ナ、ナッちゃん!」
その後をアイシアが追う。
その一言と表情で悟ったハイディルは、前のめりになってテーブルに肘をつき、額に手を当てる。
「……なるほど。彼女は……」
ハイディルも薄々は気付いていた。
クルシアの話を聞く中で、一人だけ驚きも悲しみも恐怖心とも違う、やるべきことを見据えているような視線があったと。
「はい。委員長……ナタルは妹を殺されてまして……」
「そう……でしたか」
だがそれを聞いて意を決したのか、ハイディルは真剣な眼差しで、彼女に伝えて欲しいと頼む。
「……クルシア様の扱いは任せます、とお伝え下さい。覚悟してお待ちしております」
「わかりました……」
俺達もこれ以上、言葉は出ず、お世話になったとお礼を言うと、屋敷を後にした。
ハイディルは俺達の姿が見えなくなるまで、見送ってくれた。
その姿はどこか儚く、寂しげに見えた。
ハイディルもかつては、純粋にクルシアのことを可愛がっていた時期もあっただろう。
あの時の思い出はこの夕日のように、淡く輝き、消え去ってしまうものだったのだろうかと、後悔した姿に見えた。




