15 暴かれた正体
――いつかこうなるってわかっていた。いつかこの刃を喉元に突きつけられることを。
張り詰めた糸のような、ギリギリと締め付けられる空気に場を支配される。
リンナは俺が答えを口にすることを、睨みを効かせて問いかける――嘘を吐くなよと。
その瞳を見て、俺は欺くことなどできないと悟った。
「……信じてもらえるかわかりませんが、いいですか?」
リンナは刃を突きつけたまま、俺の言葉を待つ。この沈黙は肯定だろうと判断した俺は、気持ちを落ち着けるように一息漏らす。
「……確かに俺は、リリア・オルヴェールではありません」
この言葉を口にしても、まだ体勢と視線を崩さない。覚悟の上で尋ねているのだと確信を持った。
だからその覚悟に敬意を持って、真実を語ろうと一間あけて続ける。
「俺の名前は鬼塚勝平です。貴女達とは違う……異世界から来た者です」
さすがに眉がピクっと動いたと同時に、喋り方からやはり別人だと確信を持った。
「……娘はどこへやった?」
その問いに俺は無言で首を振る。
「知らないわけないだろ。吐けっ!」
「――本当に知らないんです。俺だって……気付いたら、リリアだったんだから……」
俺は思わず縋り付きたいような寂しそうな、悲しそうな声で答えた。
それを聞いてか、その表情を見てか、リンナは嘘を言っているのではないと確信を持った。
リンナは冒険者という経験上、色んな人との付き合いがあった。
グラビイス達と組むまでは、一人旅もしており、信用たる人間の有無を見極めることは必須だった。彼女の人を見る目は狂ってはいない。
その経験と娘の姿をした別人の言葉を信じ、剣を収めた。
「……信じないかもって言ったな」
「はい」
「全部吐け。信じる信じないはそれからだ」
この人は嘘を見抜くことができるだろうと、嘘偽りなく俺とリリアに起きたこと、その原因の推測を話した――。
「…………」
「これが俺とリリアに起きたであろうことの全てです」
「なるほど……確かに信じるには難しい話だな」
普通に考えればそうだ。自分の娘が作った魔法陣の影響で異世界の人間の魂を自分の身体へと乗り移らせたなど、信じろという方がめちゃくちゃである。
しかも、術者の魂はどこへ行ったのかもわからない。遺書に書かれた通り、魔力となって消えたのか、俺の身体へ移ったのか、次元の彼方で放浪しているのか、確認できる術などない。
少し俯き、真剣な表情で考えているなと思っていると、
「さ〜すが、ウチの娘だな」
ニカッと笑ってみせた。
「は?」
「いやだってさ、事故とはいえ、別の人間の魂を取り込むことが出来たんだぜ。すげぇーじゃん、ウチの娘。だろ?」
「いや! お宅の娘さん、どこにいるのかわからないんですよ! わかってます?」
考えていた反応とは全く違っていた、けろっとした態度に、こちらの方が動揺してしまった。
「わかってるよ。でもまー、なっちゃったもんはしょうがねえだろ?」
呆気からんとした態度に思わず、こちらも脱力してしまう。怒る気にもならない。
「……ていうか、信じるんですか? 今の話」
「そりゃあ信じるよ。お前はリリアのことを知らねえとは思うが、アイツと同様に人間不信にまで陥っちまった馬鹿野郎なんだ……友達作るとか魔人を率先して倒すとか、そんなことができる根性なんて微塵もねえんだよ」
アイシア達との話と、自分が知るリリアとのギャップの違いからそう推理できると言われた。
自分の娘に対しての物言いじゃねえな。
「……それでも改めて聞くが、やっぱり別人なんだな? 記憶をなくしたとかじゃないんだな?」
やはり信じたくない気持ちもどこかにあるようで、明るい態度で誤魔化していたのだろう。念には念をともう一度尋ねてくる。
「はい。残念ながら……」
俺は荷物の中に保管していたリリアの遺書を差し出す。
「これが証拠です。裏面にはこれの原因であろう魔法陣を書き写したものが書いてあります」
親に娘の遺書を渡すというのは、中々酷ではあるが、話を進めるためには必要だろう。
それに目を通したリンナ。どこか寂しげな視線で読み終えると、裏面を見る。
「……なるほどな。物置の、あの時の魔法陣か」
「はい」
「そう言われてみれば、あの時からだったな。様子がおかしくなったのは……」
あの会話の仕方の方が一般的に思うのだが、普段のリリアは相当酷い人見知りのようだ。
人間不信とも言ってたし、悪い方へ悪い方へと考えが巡ってしまうのだろう。
「つまりはリリアの身体はそのままに、魂だけが別人ってことか?」
「まあ、そうなります。向こうでの記憶はありますから、おそらくは……」
「……やっぱりにわかには信じ難いが、あのバカこう……割と出来ちゃうからなぁ」
「出来ちゃダメだったんですけどね……」
変なところはガルヴァに似なくてもいいのにと、髪をかき乱す。
確かに、魔法が優秀なところだけ、似て欲しかった。性格まで似る必要はなかったように思う。
「そっか……じゃあお前は完全に巻き込まれただけか」
「そうなんです……」
「えっと、オニ……ヅカカペイだったか?」
日本語の名前は発音しにくいようで、かたことになってしまった。
「呼びやすい呼び方でいいですよ」
「そっか。ならとりあえずお前でいいな。それで、イセカイって何だ? とりあえずその辺も全部話せ」
この際だから、吐くもん吐いとけと中身の情報も教えろと言ってきた。
俺としてもここまで話し、和解の雰囲気が出ているため、下手な蟠りを残さないよう、開き直って話す。
この世界との違い――魔法関連が無いこと、魔物がいないこと、科学技術によって文明開化が行われている世界であることなど、できる限り違う世界から来たことを説明した――。
これを聞いたリンナは、お伽話でも聞かされているかのように、口をポッカリ開けて聞いている。
そりゃそうだ、鉄の塊が人や荷物を乗せて飛んだり、走ったり、人工衛星で世界中の天気を予測したり、インターネットで世界中の人間と情報交換できたりなと、説明する例え話の作り方の方に労力を裂かれた。
説明して思ったが、改めて向こうの文明凄えって思ってしまった。
「……何つーか、凄いところから来たんだなぁ」
「ま、まあ」
自分の功績じゃないにも関わらず、誇らしげに感じた。こっちの魔法も凄いが、今更ながらテレビや電話がある向こうの世界も凄いと感じた。
「でも何でそんな世界から来たんだ?」
「憶測の域を出ないということを考慮してもらえれば、そこの説明も出来ますが……?」
「話せ」
「勇者ケースケ・タナカはご存知ですよね?」
何故、急にと不思議そうな表情をされたが、コクリと軽く肯定頂いたので続ける。
「彼も俺と同じ世界から来た人間です」
「――っ!? なんだと!?」
俺は再び荷物を漁り、ある一冊の本を手渡す。
「これは?」
「勇者の日記です。解読したいと借りたものです」
「ほう……」
パラパラとめくるが、リンナには全く見たことのない文字が並んでいる。
「古代文字か? この辺はアイツの方が詳しそうだな」
「それは俺の世界の文字――日本語のひらがなという文字です」
「……! なるほど、これがあっさりとお前は読めるわけだ。それで勇者と同じ世界から……あっ!」
ある程度の察しはついたと閃く。
「つまり新しい勇者の召喚?」
わからない発想ではないが、俺は思わずズッコケた。
「えっ、えっとですね、何が言いたいかというと……勇者ケースケ・タナカがここへ来た経緯は不明ですが――」
読めるだけあって、実はほとんど読んでしまった俺だが、どこにもタナカケースケがこの世界へ来た経緯は記されていなかった。
「――何かしらの因果関係が結ばれたんですよ」
「……ん〜と道が出来た、みたいな?」
「はい。それでいてリリアの魔法陣が扉になって、俺の魂がリリアの身体へと移動したんじゃないかと……」
説明はつくがはっきりしない為、やっぱり憶測の域は出ない。
「随分と迷惑な扉を作ったもんだなぁ」
それは俺のセリフです、とは言えなかった。その娘さんの母親にはね。
「あ、あくまで憶測です」
「わかってるよ。だがまあ、この魔法陣をもう一度発動すれば、元の世界へ帰れるかもな。……試さなかったのか?」
書き写した魔法陣を眺めながら尋ねられたが、激しく首を振って否定する。
「無理ですよ! その時は酷く動揺してたし、そもそもさっき説明した通り、こっちには魔法概念が無いんです。勝手が違うんですよ……たらればで命、賭けられませんよ」
「まあ、それもそうか。だがリリアを元に戻す手段もこれ……だよな?」
「おそらく……」
リンナとしても娘を取り戻したいのは、親として当然のこと。あまり深刻そうには喋っていないが、何とかしたいと言う気持ちは伝わってくる。
「お前としても、元の世界に帰りたいだろ? 親とかダチとか」
「まあ、帰れるなら……」
とは言ったが、内心のほとんどは諦めているため、本心ではない。だが、ほんのわずかに縋りたい希望から出た言葉だったと思う。
だがその内心を見破ってか、本心を探りにくる。
「……? こんなん持ってた割にはガッてこねぇな」
「さっきも言いましたけど、得体が知らないんですよ。必ず戻れる保証がない限り、期待なんて――」
「本当にそれだけか?」
「……何が言いたいんです?」
すると、ズズイっと顔を近づけて、悪巧みでも思いついたかのような表情で、
「お前、男だろ?」
「――なっ!?」
図星を突いてきたかと思うと、呆れた表情へと変わり、指摘する。
「そこ、隠すつもりがあるなら、一人称を俺にするのはマズイなぁ」
そういえばあの空気だったから、隠しちゃダメだと説得力を与えるために、無意識で俺って言ってた気がしたのを思い出す。
「普段は大丈夫なんだろうなぁ?」
「だ、大丈夫です! 普段は私です!」
「でだ――てめぇ……ウチのリリアに変なことしてねぇだろうなぁ! ああっ!?」
リンナは修羅の面をそのままつけたかのような、激昂した表情で、指をゴキゴキと鳴らしながら圧をかけてくる。
「――してません! してません! 神に誓って! 断じて!!」
実際、やりたい気持ちはありましたが、罪悪感の方が精神的にキツそうだったので、断念しております。チキンですし。
怯えた様子で激しく首を横に振りまくり、全力否定すると、笑い出した。
「ハハハハっ。冗談だよ、冗談。あの娘の自業自得なんだし、その辺は好きにすりゃいいよ」
「――それは母親の言っていいセリフじゃない!!」
「まあそりゃそうかもしれないが、今その身体を使ってるのはお前なんだろ? リリアに至っては自殺までして捨てようとした身体だ……そうだろ?」
その言い分も一理あるが、やはり罪悪感が否めない。
「と、とにかく話を戻しますけど、元に戻る手段としてはあまりに不確定すぎます! その魔法陣だって元々は遺書にも書かれている通り、別用途の魔法陣のはずだったんですから……」
「女の身体を手放したくないからじゃなくてか?」
「――くどいっ!!」
「ははは……わかったわかった。まあ確かに、偶然の産物だろうからねぇ」
再び遺書の裏に書かれている魔法陣を見る。
「まあ私は魔法陣はそんな詳しくねえから、そっち専門の奴に聞いてみるしかねえな」
「えっと……」
「大丈夫だって。お前の都合の悪い奴には調べさせねえよ。こっちの伝手を使うから」
元冒険者の情報ルートを使うとのこと。この遺書は預かるなと言われ、ポケットの中へとしまった。
「だがまあ、期待が薄いのもまた事実だろうな」
「やはり、ないですか?」
「まあな」
元冒険者として色々旅をしてきただろうリンナが、期待感の無い表情をするのは、やはり聞いたことがないのだろう、異世界への行き来の話を。
「だがまあリリアを元に戻したいし、お前さんにも迷惑かけたし、巻き込んだ側としては帰してやりたいしな」
「そうですね……」
俺も自分が戻ることより、リリアの方が心配だ。今までは自分のことでいっぱいいっぱいだったが、こうリリアの話をされると、そっちの方が心配になる。
そもそもどうなっているのかさえ、把握してないわけで、故に無責任な発言もできない。ジレンマだ。
「まあ今回のそれは、リリア自身の責任であり、親である私達の責任だ……娘の最悪は想定しても――」
俺を優しく微笑む。暖かく、でもどこか儚げな寂しそうな笑顔。
「――子のした責任は取らねえとな」
その微笑みから悟った。俺はその考えを拒絶する。
「――何を言ってるんですか!? 俺はここにいる! 優先して無事を確認するのは娘さんの方でしょ!?」
「まあ……そうなんだろうけどなぁ、娘が自殺なんて道を選ばせたのも、お前をこの世界に呼んじまったことも、私達が至らなかったからだ。だったらどこにいるのかわかってない娘より、ここにいるってわかってるお前さんを何とかしてあげることが、私の償いだ」
はっきり言うと、この人の言うことは正論である。
俺はあくまで巻き込まれただけ。友人達といつも通りの下校道を辿り、馬鹿みたいな話をして帰る、何気ない日常。
その片隅から掠め取られるように、俺はこの世界に引きずり込まれた。こちらからは何のアクションもなかった。
責任を感じることもないし、何だったら責任を取れとも叫んでもいい立場だ。だが、そんな人情もないことは言えない。
リンナも本当なら泣き叫びたいほど、辛いことだろう。娘がいなくなり、目の前には別人を入れ込んだ娘が存在する……どんな心境だろうか。
俺もこの人を騙そうとしていた。バレそうになってどんな仕打ちがあるのか、恐ろしかった。だから、そんな言葉で、そんな表情で同情して欲しくなかった。
「そんな償い、必要ありません。俺はリリアとして幸せに生きてます。……元に戻らなくてもいいとさえ考えてます」
「そうだろうな。結構好き勝手にやってたみたいだし……」
「――うっ!?」
沢山友達を作ったり、下手に学園で目立ったり、魔人を討伐したりと身に覚えは沢山ある。
「でもそれもこれも、怖かったからだろ?」
「……怖かった?」
ふと顔を上げると同時に優しく抱きしめてくれた。
「お前さんはよく頑張ったよ。こんな話、誰も信じないし、誰にも話せなかっただろ? 辛かったろ? 一人で抱え込み続けるのは……」
「そ、それは……」
転移したての頃は、先の不安は常にあった。これからどうなるんだろうという、漠然とした先の見えない未来。
でも今は沢山の友達に囲まれて、その不安は拭い切れたかのように思っている。
だが、もしこの先、俺の正体が確実な形でバレてしまった時、どう受け止められるのだろうという不安が生まれた。
きっと今までの関係ではいられないだろう。そんなことばかり頭に浮かぶ。
「お前だってまだガキなんだろ? もっと甘えたってバチなんて当たらねえよ。私が全部受け止めてやるよ」
俺は自分の立場を浅ましく、確立したかっただけなのかもしれない。学園で目立ったのも、リュッカを助けに行ったのも、魔人を討伐したのも。
リリアの身体を使っていることを良いことに、無責任に利用しただけなのかもしれないのに。
「良く頑張ったな。リリアを守ってくれて、ありがと」
その一言と優しく包むように受け止めらたことか、涙腺がぶつっと切れたのか、頬に流れていく。
「そんな……ことは、あり……ありません。俺は……俺はぁ……」
震える涙声で、優しくしないでほしいと訴えようとするも、上手く言葉にならない。
それを悟ってか否か、離れないように少しだけ強く抱きしめた。
「頑張った、頑張ったぞ。お前は……」
優しくされるほどに、言葉が出てこなくなる。
わかってたんだ。この人の言う通り、ただただ怖かっただけなんだ。誰かに俺の『本当』を受け止めて欲しかったんだ。
グズついた俺をあやすように、背中をトントンと叩く。
「そりゃあ知らない世界に一人、突然放り出されれば、誰だって不安だし、怖いさ」
「でも、それを言ったら……リリアも――」
「あの娘の場合は、自業自得であり、私達の責任だ。お前さんみたいに巻き込まれたわけじゃない。だからいいんだ、な?」
リリア……前にも思ったが、お前は軽率だ。こんなにも優しいお母さんじゃないか。やっぱり、ちゃんと話をすれば良かったんじゃないか?
親子なんだ、ちゃんと腹割って話せれば、俺もこの人も苦しまずに済んだはずだ。
やっぱり……自殺なんて良くなかったよ、絶対。
――ひとしきり泣き終えると、落ち着いたかどうかの確認をした。
「さて今後だが、とりあえずはお前を元に戻す方法=リリアの帰還に繋がるということで、情報を集めよう」
リンナは遺書をヒラヒラと見せつけた。俺自身もその意見には賛成のため、コクリと頷いた。
「つってもお前さんはリリアとして生活してもらうから、調査はこっちでやるよ」
「えっ? でも……」
「でもじゃない! お前は現時点でリリアなんだ。リリアとして一生を過ごすんだ、そこも並行して考える……いいな?」
「は、はい……」
どうやらリンナは俺にリリアとして、女として生きることを勧めるようだ。また別方向での不安が募りそうだ。
「お前といい、リリアといい、アイツといい、どうしてこう……難しく考えるかなぁ? もちっと楽観的に考えてもいいだろ?」
「えっと……」
「どうせ元男だから、男との付き合いが出来ないだの、女の子同士の会話が出来ないだの、男女感のいざこざがどうとか、くっだらないこと考えてたんだろ?」
「――うぐっ!?」
その通りなんだけど、そんなバッサリ言わなくても。
「そんなもん性別が変わっちまった時点で、そっちを楽しめ! 下手に考えるから怖くなるんだ。それにリリア自身が捨てた身体だ、好きに使えばいいし、使われろ」
「――だからっ! 親が言うセリフじゃない!!」
さらっと濡れ場の話をするなと怒鳴る。
「まあ要するには――やれば出来る、成せばなるだ」
さっきまでの感動が台無しだと、不機嫌そうに上目遣いをする。
「というわけだ……リリアの時は、外にも出なかったからなぁ。一緒に買い物行こうぜ、お友達も連れてさ」
「えっと……」
ジリジリと這い寄ってくる言い方をされることに、嫌な予感がする俺は、後ずさるも自室のため、逃げ場がない。
「なぁに、女の子を教えてやるだけさ。お前の為にな」
「いや、貴女が楽しみたいだけでしょ!?」
「ああ後、敬語禁止な。親子っぽくない。後パパママ呼びな。女の子っぽく」
「――なっ!?」
俺のために言ってくれてるのか、楽しんでるだけなのか……多分、後者だな。
「せっかく王都にも行ってるんだ。男の恋人も作ってこい。後は――」
「無理無理無理無理です!! む――」
「あん? 敬語」
「……す、すんません」
ヤンキーみたいな睨みの効いた視線を送られる。さっきまでの優しいママはどこへ?
「いつまでもそうやって逃げるから、うだうだ考えるんだ。女として受け入れろ。いいな?」
「えっと、でも――」
「い・い・な?」
「う、うん。わかったよ、ママ」
半ば強引に矯正されている気がする。ママさんパワー恐るべし。
「そういえば、パパには言わないの?」
「アイツに言ったら、発狂するだろ? 容易に想像がつく」
奇声を上げながら、狂ったように走り出し、世界中を探し回りそうだ。
「だからアイツには内緒だ。……せいぜいご機嫌を取って可愛い娘でいてくれよ」
「は、は〜い」
そんなこんなと若干揉めながらも話は終わり、明日に差し支えるだろうと、リンナは部屋を後にした――。
――そんな日の深夜、ふと目を覚ます。
「ん……」
正体がバレたばかりの深夜。さすがに落ち着いて眠ることが出来なかった。
しょぼしょぼする目を擦り、虫の鳴き声が外から響くのを聞きながら、水を飲もうと台所まで行くと、灯りがついていた。
「誰か起きてるのか?」
ゆっくりと近づき覗き込むと、そこには悔しそうに目蓋にいっぱいの涙を溜め込んだリンナの姿があった。
俺は思わず、息を殺した。そのリンナの片手には飲み物が。紅潮した顔から、おそらくは酒ではないかと思う。
そのリンナはすすり泣きをしながら、ただただ酒を流し込んでいた。
そんな弱々しい姿をこれ以上は見まいと、俺は自室へと戻った。
リンナの気持ちを考えるといたたまれなくなる。
自分の娘はおらず、目の前にいる娘は別人がいる事実。原因がいくら娘にあるものだとしても、本来であれば受け止めることすら難しいだろう。
だがそれでも大人として、俺に心配かけまいと気丈に振る舞った。不安な気持ちの俺を励ますために。
俺が声をかけるべきではない。そんな気持ちを踏みにじることなど、絶対できなかった。
俺にできることは、きっと幸せに生きることだろう。それが俺が応えてあげられる、精一杯のできること。
そして今できることは、酒に溺れたいリンナを放っておくことだけだった――。




