36 宙に燃ゆる悪魔
――進撃を続ける魔物達の上空に赤き燃ゆる悪魔の影。
その悪魔は、表情筋が上向きになっていることが分かるほどの、今までに見せたことのない笑みを浮かべて笑う。
「ハハハハーーッ!! この戦場の空気、久方ぶりだぁ!!」
雨と汗が頬を滴り、蒸れるフードの中から覗くその姿は、他の魔物達とは全く違う威風を放つ悪魔が笑う。
魔術師達は自分達もそうだが、魔物達も動揺が窺えた。
だが、魔術師からすれば、敵か味方か分からず、しかし、喋っていることから明らかに上位の魔物。下手に手を出せば、被害は免れない。
「おい!? 何だ? あのデーモン!?」
「あれは、確か……」
「リリアちゃんのデーモンか?」
そのインフェルはプラントウッドに向かって飛んでいく。
「さて、どれだけ手応えがあるか見せてもらおう!」
インフェルの狙いはリリアの指示通り犯人。そしてそれに気付いた犯人は、
「プラントウッド!!」
プラントウッドから放たれる魔物や枝木が無数に襲い掛かるが、それを鼻で微笑った。
「はっ! その程度で――」
向かってくる攻撃に対し、手をかざすと、
「――我を止められるものかぁー!! ――インフェルノ・ブレイズ!!」
最上級魔法の業火が、その猛追を焼き尽くす。焦げ付く残骸が雨と共に降り落ち、硝煙の匂いもまたかき消される。
それを悔しげに見る犯人だが、そんな余韻に浸る余裕は与えられない。
「会いたかったぞ、雑魚があぁっ!!」
インフェルは犯人の立っている枝木を殴って叩き折る。
犯人は苦虫を噛み潰したような表情をしながら、枝木に飛び移るが、インフェルは構わず追いかける。
「どうした!? 威勢が無いな、やっと暴れられる機会が巡ってきたのだ……もっと楽しませろ!!」
「てめぇ……これ以上、好き勝手やるんじゃねえぞ!! 調子に乗るなあっ!!」
お互い感情を激しく揺さぶらせるように挑発し合う。
インフェルは邪魔だとプラントウッドの枝木を次々と叩き壊していく。
その様子を見た犯人は逃げながら――、
(くそっ! これ以上、このデーモンに荒らされてたまるかぁ!!)
「――はあぁっ!!」
犯人は息を吐き捨て、風圧で攻撃するも、さらりと躱され、一瞬で側に来たインフェルは顔面を掴む。
「――っ!?」
「そんなにこのでくの坊が大切なら――」
犯人を持ったまま、大きく振りかぶる。
「お望み通りにっ!!」
地上に向かって斜め下へ投げつけた。犯人は凄い勢いでプラントウッドから離れていく。
「――おおおぉーーっ!! ――があっ!? ぐうぅ……」
地面に叩きつけられ、何バウンドかして、ラバの街の側近くまで、そのまま地上を転がり込んだ。
「くそぉ……あのクソ悪魔がぁ」
その様子をポカンと見ていた一同に声がかかる。
「おい、人間」
「お、おう。リリアちゃんとこのデーモンだよな?」
「そうだ。主人からの指示通り、アイツはこのでくの坊から引き剥がしたぞ。コイツは任せる」
「わ、わかりました。でも犯人は――」
余計な事を言うなと表情を険しくする。
「アレは我が押さえる。やっと暴れられるのだ、余計な事をしたら殺すぞ」
インフェルは火属性の闇属性の魔物、この雨の天候の中、本調子ではないのではと心配の言葉もかけられない雰囲気を醸し出す。
「……は、はい」
フンと顔を逸らすと犯人が飛んでいった方向へ向かった。
「おっかねぇー……」
「噂には聞いていましたが、凄いですね」
隊長達もハイドラスから聞いていただけなので目の当たりにするのは初めて。
小物の悪魔種ならよく見かけもするが、風格すら伺える上位の魔物に呆気に取られる。
その様子を遠巻きから見ていたこちらの方も驚いていた。
「あのデーモンは……?」
「おそらくはオルヴェールのデーモンだ。前に話したろ?」
だが、ここで疑問が過る。
オルヴェール達は今、アリミアに行っていると報告を受けている。そのオルヴェールがどうしてインフェルを寄越したのか。
単純に救援として送り込むにしても、あまり見慣れない悪魔を送りつけられても戦場は困惑するだけ。
それにインフェルは見た目からも適さない環境での戦いを無理強いさせるというのも考えにくいとも考えたが……先程のインフェルの戦いぶりに――、
(いや、それは杞憂か……)
苦笑いを浮かべた。
素直に救援という形で受け止めることにしたハイドラスが指示を出そうとした時、茂みから見慣れた獣人が出てきた。
「殿下」
「――フェルサか?」
こくっと頷くと、リリアがしたためた手紙を渡す。
「これは?」
「リリアからの伝言」
「オルヴェールはいないのか?」
インフェルを指差して尋ねると、フェルサは首を振る。
「今はまだ来てない。あのデーモンを寄越しているということは、もう少ししたら来るよ」
ハイドラスはそれを横聞きしながら、手紙を開く。
そこに書かれていたのは、犯人を追い詰めるための準備内容と、推理から出た犯人の概要について書かれていた。
「おい! フェルサ、これは……?」
振り返りながら尋ねると、もう姿はなく、プラントウッドに向かって走る姿が見えた。
ハイドラスは書かれてある内容に改めて危機感を募らせるが、解決に向けた内容から、彼女を信じようとオリヴァーンに指示する――。
フェルサは事態の解決に向け、自分が出来る行動を起こす。
獣人は良くも悪くも考えが真っ直ぐである。だから、フェルサは自分が出来る行動を弁えている。
「おっ、フェルサじゃねえか」
「ん? ギルドマスター……」
ラバの街へと近付けまいと冒険者と騎士団が防衛線を張っていた。
「なあ、あの悪魔はお前さんの友人のかい?」
ハセンも愚痴を零しているフェルサを見掛ける機会があったので、噂は耳にしていた。
「うん。犯人はリリアが追い詰めるって」
「ほう、随分肝の座ったお嬢ちゃんみてぇじゃねえか」
「まね」
上空にいた悪魔が投げ込んだ犯人に向かって、飛び去ったところを確認すると、ニタリと微笑った。
「ということは、わしらの仕事はあのデカブツかぁ」
「みたいだね」
そんな話をしていると、アルビオ達が合流する。
「フェルサさん、確か貴女達はアリミアに向かったと……?」
「今その話、必要?」
「ねえわな。で? おめぇさんらがこっちに合流したってこたぁ……」
「はい。今、あの悪魔が魔法を無効化できる犯人を引き離しました。あちらは任せていいと。ですから今なら魔法攻撃が通ります」
「でも、どうします? 攻撃が通り易くなったと言っても容易なことではないですよ」
あれ程の大樹だ、斬るも焼くも容易ではなく、しかも魔物を大量に生み出したり、枝木を槍のように攻め立ててくる。
だが、ハセンは鼻で微笑う。
「おいおい、おめぇさん。会議の時に言ったろ? 攻撃が通るようになったなら、後はゴリ押しでいくぞ! あのデカブツをタイオニアに向けてなぎ倒す!」
「倒した後に魔石があるだろう場所から魔石を回収して鎮圧……ですよね」
勝機が見えてきて歓喜に湧くと、士気を高める為にこの中で一番歳上のハセンが指揮を取り、音頭を取る。
「よし、騎士とそこのおどおどした兄ちゃん」
「は、はい!」
「お前さんらはこれ以上先に魔物を進めさせねえように、このまま防衛を続けろ。飛んできた兄ちゃんらは上からデカブツのバランスを崩すように攻撃しな。わしら冒険者は下からバランスを崩す! 勇者の兄ちゃんは援護しつつ、魔石の位置を確認しときな」
「えっ?」
「美味しいとこは持っていきな。どちらにしたってあれだけのデカブツから魔石を素早く取り出したかったら、精霊の力があるおめぇさんに任せなきゃならねえ、だろ?」
意味深な視線を送りながらハセンに重要な仕事を任される。
アルビオはハセンの言ったこともそうだが、ハイドラスとのことも思い出す。
(そうだっ! 僕が止めるって決めたし、殿下も信じてくれて任せてくれたんだ!)
自分のやるべきことがはっきりと見えたアルビオの瞳には決心に燃える魂が宿る。
そこに下手な重圧を感じない……不安もない。
周りにはこんなにも頼りになる人達が背中を押してくれる。自分のすべきことがはっきりと見える道がこんなにも力強いものとは思いもしなかった。
「勝利は目の前だぁ! 気張っていくぞぉ!!」
「「「「「おおーーっ!!」」」」」
――犯人はぶつくさと文句を垂れ流しながら、悔しそうに悪魔がいた方向を睨む。
「くそがぁ、これからなんだ……これからって時に、どうして邪魔するんだあーーっ!!」
すると、大砲でも飛んでくるかのように悪魔が着弾する。
「――があぁっ!!」
それを間一髪受け止めるも、取っ組み合いになり、力比べ状態になる。
「何なんだよ、何なんだぁっ!? このクソ悪魔があ!!」
「クソは貴様だろうが。雑魚の分際で粋がるなっ!!」
「てめぇこそ粋がってんじゃねえよ!! 身体が冷えちまって、押し負けてんじゃねえかっ!!」
インフェルは上位の悪魔、魔物の中ではトップクラスに入る実力だが、この雨の影響で身体の溶岩のような皮膚も沈静しているように見える。
「はっ! 貴様のような雑魚相手に合わせてやっているのだろうが。ハンデというやつだ」
そんなやり取りをしていると、ハイドラスとオリヴァーン、そして指示にあった人数の魔術師と闇の魔術師オスティムが駆けつけた。
「――悪魔殿!」
「貴様の召使いに言わなかったか!? 邪魔するなら殺すぞ」
味方のはずのインフェルに威圧感のある言葉を投げかけられる。
召使いとはおそらく、部下達のことだろうと、聞いてはいないのだが、この悪魔がリリア以外の人間の言うことを聞かないのは承知している為、邪魔にならない程度に距離を取る。
「……おい、てめぇ、はぐれ悪魔じゃねえのか?」
犯人の疑問も当然のものだろう。
上位の悪魔ともなれば、個別に動くだろうし、何だったら部下を従えてたりするもの。
人間の為に行動しているというのはおかしいと思っての質問。
「それは昔の話だ。今は恩義がある人間に仕えている」
それを聞いた犯人は、馬鹿にするように高笑いする。
「――ヒイィハハハハッ!! 悪魔が人間に使われてるだあ? 笑い話もいいところだぜ。そんな雑魚に負けられるかよぉ!!」
ぎっと押し出すもびくともしない。
環境が悪くても上位の悪魔。決して引けは取らない。
「口だけは達者なようだからほざいておけ。そんなお前に伝言を預かっている……主人からだ」
こちらも強気な姿勢は崩さないが、警戒するようにインフェルの言葉に耳を傾ける。
「主人からだぁ?」
「貴様は殺す、だそうだ」
悪魔と契約するほどの使い手だ、警戒心を強めるように顔を顰める。
インフェルは何かを気取った。少し離れた森の中を走り抜ける個体を感じた。
「ちょっ! 急いではいるけどさ……」
「ガウ、ガウ……」
元気いっぱいの赤龍が獣道を走り抜ける。しがみついてるだけとはいえ、大変である。
だが、どうやら間に合ったようで、感知魔法を使うとインフェルとその側には、凶々しい魔力を宿した影を感じる。
「――お待たせっ!」
「――オルヴェール!?」
茂みから飛び出して出てくると、皆の注目を浴びる。
その一瞬の隙を突いて、犯人はインフェルを振り払うと、距離を取り、体勢を整える。
「インフェル、ポチ、援護して!」
俺の命令を受けてインフェルは派手に攻撃しようとするが――、
「インフェル、援護だから加減!」
「……まったく、面倒くさい!!」
まるで子供を躾けるように言ったせいか、少し表情を歪ませるが、言う通りにして一定の距離を取りつつ近接戦を行う。
ポチは口から火を吹きながら、俺を担いで犯人へまっしぐら。
「ガウウーーッ!!」
そして、俺は本命で追い詰める。
杖先から無詠唱で、黒い炎が犯人を襲う。
「――カースド・フレイム!!」
「――っ!?」
犯人は、インフェルやポチの攻撃を躱しつつ、その黒い炎を見た。
見たことも聞いたこともない得体の知れない魔法に、嫌な予感が過る。
「ちぃっ!!」
何とか振り切ろうとするが、インフェルとポチの炎が追い詰める。
「――カースド・フレイム!!」
もう一度当てる為に発動するも、
「――はああっ!!」
吐き捨てるような風圧攻撃で無効化にされた。
それを見たハイドラスは、プラントウッドの攻撃が通らなかった理由を目の当たりにする。
「これは……!?」
それを確認したハイドラスは手紙の中身通りとも思ったが、確認を取る為、この場にいる皆に聞こえるように叫ぶ。
「オルヴェール! コイツが魔人というのは本当か!?」
「――っ!?」
犯人は驚愕の表情を浮かべ、ピタリと動きを止めた。
そして、俺はインフェルの側に寄り、ポチから降りた。
「ポチ、ありがと」
撫で撫でと、ここまで走ってくれたことを労う。
「主人……」
「大丈夫だよ、インフェル」
攻撃を当てられなかったことを悔むように話かけられたが、俺は計画通りにことが運んだ為、安心するよう諭す。
「初めまして、魔人さん?」
俺は犯人に対し、にこりとわざとらしく、愛想の良い笑顔で、確信を持ってそう語りかけた。




