31 ハーメルト姫殿下の意地
――何やら空気が寒々しく感じる。
普段なら特注の柔らかい極上のベットの上で包まれたように眠りに入っているメルティアナは、脇辺りに寒気を感じていた。
その寒気に当てられた彼女は目を開けると、想像を絶する光景を目にする。
「……えっ」
自分の部屋にいたはずが、知らない暗がりの場所を目の前に、何が起きたのか分からず、思わず呆然とする。
周りには泣きながら抵抗する自分と同じ歳くらいの子達が、目にいっぱいの涙を溜めて震え上がっている姿が見られる。
その状況を詳しく確認する為、動こうとするが、何やら手首を縛られているようで、動けない。
すると、
「キィシャアー……」
「――ひっ!? きゃああっ!!?」
マンイーターが直ぐ隣にいたのだ。
困惑する状況の中、隣には魔物の口が目の前にある。
メルティアナはすぐに、命の危機を知る事となった。逃げ出そうと試みるも、やはり動けない。
その原因をメルティアナは、縛られている感覚のある上に視線をやると、つるのようなもので縛られているのが、感触からも理解できた。
おそらくこのマンイーターが逃げられないように、縛り付けているのだろうと、周りの子達を見ても判断がついた。
正直、いつ襲われてもおかしくない状況だけに、恐怖心が募るが、メルティアナは周りの子達を見て、毅然とした態度でいようと考えた。
自分は王族である以上、民を不安にさせるような行動、態度は取れないと、幼いながらも気丈に振る舞おうと考えた。
「みんな! 落ち着いて! このマンイーター達は何やらわたくし達を縛っているだけで危害を加えるようなことをしようとは思っていないようです」
メルティアナは自分をそうやって鼓舞することで、冷静な判断ができた。
伊達にハイドラスの妹ではない、中々の判断力を見せる。
というのもこれだけ騒ぎ立てているのに、マンイーターは一向に襲おうとはしていない。
ならば考えられるのは、上位の魔物の存在か、召喚士の存在だ。
おそらくはどちらかの命令に従って、攻撃しないよう指示されているのではないかと考えたのだ。
「で、でも、いつ食われるか……」
「落ち着きなさいと言っています。わたくし、メルティアナ・ハーメルトがいる限り、皆さんを無事に帰すことをお約束しましょう」
それを聞いた子供達も姫殿下のことは知っているようで、
「えっ? 姫殿下様?」
「姫様が一緒なら……」
と希望に溢れる声が上がっていく。
どうやって攫われたのか分からず、正直、不安もあるメルティアナだが、きっとお兄様が助けに来てくれると強い希望を持つのだったが、
「――ヒィイハハハハーーっ!!」
悪辣な高笑いがこの薄暗い空間を支配する。
現に声を上げていた子供達の声はピタリと止んだ。
「やっぱりさぁ、お前、お偉いさんところの奴だったか。しかも姫!? ヒッヒッヒッ……たまんねぇなぁ、おい」
恐怖心を煽るように話したてる男の声が足音共に聞こえ、メルティアナの前で足が止まった。
メルティアナは、その細い足から辿るように恐る恐る見上げると、そこには不敵な笑みを浮かべ、ニヤニヤと見下す男の姿があった。
その外見は暗くてよく見えないが、かなり細身なように見えた。髪はかなりボサボサしていて、手入れのなっていない雑草のような髪、赤眼の瞳をしていた。
服装は、ボロ布をそのまま羽織ったような貧乏そうな装い。
だが、その見た目から誘拐しそうな犯人像にも見えた。
まあ、実際攫われている訳で……。
「貴方はどちら様ですか?」
何とか困惑していることを気取られないようにと、強気な言い方をするが、まるで見透かしたような視線で見ると、メルティアナの視線に合わせて屈む。
「どちら様か答える訳ねぇだろ? 強いて言うなら誘拐犯だ」
「!!」
こんな状況を放置する人だ、それ以外の何者でもないだろう。
この誘拐犯はメルティアナの不安や恐怖心を煽るように視線を逸らさない。
「今すぐに自首し、ここにいるみんなを解放しなさい」
視線を合わせられ、不安と恐怖を浴びせられつつも、ここで態度を崩し、皆の不安を強める訳にはいかないと、強気な姿勢で臨むが、全てお見通しと煽っていく。
「目ん玉が震えてるぜぇ、声もちょっと上ずってるなぁ、ヒッヒッヒ……気丈だなぁ、頑張るねぇ」
全く動じない誘拐犯。逆に自分の方が追い詰められていく感覚に陥る。
この男は自分が姫だって認知したはず。なのに動じることもなく、煽り続けてくることに、どんどん不安が募っていく。
「お前さん達、見つからないかもしれないぜぇ、パパとママの元に帰れないかもなぁ、ヒッヒッヒッハッハッハッーーッ!!」
大きな声で子供達を脅し、煽っていく。
すると、周りの子達の不安が爆発する。
「――わああああーーっ!! 怖いよぉー!!」
「助けてぇ、助けてよぉ……」
「パパぁ!! ママぁ!!」
泣き叫ぶ子供達をこの誘拐犯は、バッと立ち上がると楽しげに笑って眺める。
「――ヒィイハハハハーーッ!! いいぞ、もっとだ、もっと泣け!! 喚け!! 叫べ!! いくらでもここは響くぞぉ!!ヒィイハハハハーーッ!!」
最低な態度を示す誘拐犯に、こんな男に恐れていた自分が恥ずかしくなったメルティアナは、キッと幼い彼女ならしないような睨みつける表情に変わった。
「――お黙りなさい!!」
メルティアナの渾身の叫びに、誘拐犯以外は畏縮する。
誘拐犯は相変わらず楽しげな笑みを浮かべたまま、メルティアナの叱咤を聞く。
「子供を虐めて、そんなに楽しいですか? 子供の不安を煽ってそんなに誇らしいですか? いい加減になさい!!」
怒りの感情をそのままぶつけたメルティアナだったが、誘拐犯が動じることはなかった。
ふらふらとふざけた態度で近寄ると再び、視線を合わせて、顔を近づけて話す。
「おう。楽しいし、誇らしいぜぇ」
「――なっ!?」
全く動じない誘拐犯に、さすがに動揺を隠しきれなくなってきたメルティアナ。
「どした、どした? だからどうした? 目的があるから攫ったんだぁ。目的があるから怖がらせてるんだぁ。てめぇらだって殺るときゃ殺ってんだろぉがぁ!!」
自分の価値観を脅すように講説する。
自分の常識の通じない相手に、どうすれば良いのか、不安と恐怖が邪魔をして、考えがまとまらない。
「あれぇ〜、さっきの威勢はどこに出掛けたんだぁ? なあ、どこへお出掛けしたんだぁ?」
揶揄うように、メルティアナの心を弄り回す。
だが、この土壇場の状況でメルティアナはあることを思った。
この誘拐犯は強い言葉を言うだけで、怪我を与えようとしないあたり、自分達に危害を加えられる可能性が低いものと感じた。
そう考えると、自然と頭の中も冷静になっていく。
メルティアナはこの魔物に囲まれた状況、脱出することは困難と判断し、このような状況に陥った場合を想定しての行動を開始する。
彼女は王族というだけあって、対処の教育を受けている。
誘拐する理由とは大体、人質目的だ。その点、メルティアナは最高の人質だろう。
国のお偉いさんの娘だ、ある程度の要求なら飲むと考えるのが、誘拐犯だろう。
しかもこの誘拐犯は相手が子供ということもあって、自分が圧倒的に優位だと考えている。
メルティアナはそこに目を付けた。
子供達に対して強い言葉で脅してやることで、自分は強いのだとこの場の空気を作っているつもりだろうが、メルティアナはそう考えれば、呑まれてはいけないと、改めて意識する。
ならば今できることは、少しでもこの男に意識を向けて、他の子供達に危害を加えないこと、助けが来るまでの時間稼ぎ、そして、情報収集ができるかもと考えた。
幸い、魔物達にも特に変わった動きはない。
「貴方の目的は何ですか?」
「はぁ?」
「こんなことをしてまで叶えたい目的は何だと聞いているのです」
誘拐犯が話せる内容にしなければならない。
世間話をする訳にもいかないのだ。するにしても、目的からくる不満からそのような話に繋げるのが定石だろうか。
とにかく、この誘拐犯の神経に触れるか触れないかの瀬戸際での交渉に近い、話し合いをせねばならない。
メルティアナはこの状況でそれが出来るかは、不安で堪らない。
何せ英才教育を受け、しっかりしているとはいえ、まだ十歳の少女だ、恐ろしいことこの上ないだろう。
だが、この誘拐犯は予想外の返答をする。
「目的ぃ? 目的かぁ……目的はなぁ……」
のらりくらりとはぐらかす。
その間の緊張感たるや、全身で鼓動を感じるような衝動がメルティアナを追い詰める。
そして――、
「お前達を殺すことかなぁ……」
止めを刺される。
「え……?」
ポカンとした表情で、耳を疑った。誘拐犯が言うことではないと。
「冗談ですよね……?」
自分を動揺させる為の嘘だろうと思っての言葉を返すが、誘拐犯はしたり顔で、舐め回すような言い草で追い詰める。
「冗談? ここまでする奴が冗談なんて言うと思うか? これから死ぬ人間に嘘なんてつく必要はねえからなぁ」
「だ、だって、これだけの人質が居れば――」
「人質ぃ!? ヒッヒッ、何を勘違いしてやがる。てめぇらを攫った理由を誰が人質だなんて言った?」
「いや、だって……」
メルティアナはこの周りはマンイーターだらけのこの状況から、魔法による人体実験とは考えられなかった。
だから人質を取り、何かを要求するものと考えていたのだ。
「まあ、お前の言いたいこともわかるぜぇ、これだけのガキの人質だぁ……何か要求するって考えが普通だろうさ。ガキのクセによく頭が回ったなぁ」
この状況にも関わらずと小馬鹿にするように褒める。
「だがそれは普通の誘拐犯ならの話だ……俺は普通じゃねえ」
ニタリと悪辣な笑みを浮かべる。
「そ、そんな冗談通じませんよ……」
もはや自分の考えが一切通じない相手にどのような言葉をかければいいかわからない。
「じゃあガキ一匹、殺すか……おい」
一匹のマンイーターがその呼びかける声に反応し、口を大きく開き、よだれが滴る。
そのマンイーターに縛られている男の子は、絶望した表情でそのマンイーターの牙が剥きでた口を見ると、バタバタと暴れ出す。
「――やだぁっ!!嫌だぁーー!!」
「ハハハハハハ――ッ!!」
「――やめてぇーー!!」
正に地獄絵図という光景に、他の子供達も自分があのようにならないように、声を殺す。
「なら代わりに死ぬか? 姫様ぁ〜?」
メルティアナは恐怖に支配された男の子を見て、声を震わせながら、
「ええ、やってみなさい」
誘拐犯を自分に向くように誘った。
このような生意気な態度を取れば、先程のような脅しかけてくる態度を続けてくれないかと考えた。
ここで一人でも、マンイーターの餌食になればそれこそ取り返しがつかない。
だが誘拐犯はころっと、
「わかった。じゃあお前からだ」
あっさりと標的をメルティアナに変えた。
メルティアナを拘束しているマンイーターのつるに力が入るのがわかる。
「よし、殺れ」
良心の仮借もなく、冷たく言い放つ。
そのあっさりとした言葉に、今まで気を張ってきたメルティアナの張り詰めた線が切れた。
こんなにも、あっさりと命とは零れるものなのかと、恐怖心が一気にこみ上げる。
「――いやあぁーーっ!! お父様っ!! お母様っ!!」
バタバタと暴れ出すメルティアナを、にやにやと見ているだけだった。
その表情を見ながら泣き叫ぶメルティアナは、マンイーターの口が勢いよく迫り来る中、瞬時にこう思った。
この人は常人な神経の人じゃない。
(助けてっ!! お父様、お母様……お兄様……!)
――だが状況は変化を迎える。
ピタッとメルティアナの目の前でマンイーターの口が止まる。
「おい、どうした?」
マンイーターの不審な行動に疑問を投げかける。
メルティアナは荒い呼吸をしながら、その目の前にある牙をじっと見る。
祈りが届いたのかと思っていると、事態は動き出す。
「キィーーッ!」
「キィアーーッ!」
「おいっ! どうし、た……!?」
マンイーターは何かに怯えるように暴れ出す。その拍子に子供達を縛っていたつるも解ける。
そして誘拐犯も何かを察したのか、一つしかない出入り口に向かって振り向く。
その表情は何かに怯え、憎らしそうな顔をしている。
「ちいぃっ!!」
マンイーターは土の中へと逃げ込み、誘拐犯もマンイーターのように土の中へと逃げ込んだ。
先程の地獄絵図とは一転、ポツリと子供達だけが取り残された。
「……た、助かっ……た?」
メルティアナは何かあったのかを周りを見渡すが、子供達以外、誰もいない。
すると、出入り口だろうか、ザリっと地面を歩く足音が聞こえる。
「み、皆さん、こちらへ」
出入り口が見える、離れた距離に子供達と身を寄せ合う。
「わたくしの後ろへ……」
先程は情けないところを見せたメルティアナだったが、それでもこの中では一番しっかりしなくてはと、子供達の前に出る。
今こちらに迫っているであろう足音は、もしかしたら先程の誘拐犯の仲間、もしくは逃げ出したところを見ると、都合の悪い知り合いなのか、どちらにしても助けが来たなどという楽観的な考え方は止めようと考えた。
先程のように裏切られては、精神的ダメージが大きくなるだけだ。
足音が近づく度に大きく鼓動が鳴る。
後ろにいる歳も変わらぬ女の子は強く、メルティアナの服を握り締める。
後ろの子達も先程の光景の影響もあって、恐怖心が拭い切れない。
そして、足音が止まった。だが姿がない。
息を呑み、出入り口を緊張した面持ちでじっと見る。
すると、
「ひょこっと」
軽い口ぶりでひょっこりと水色髪の男の子が現れた。
思わず呆気に駆られたが、敵が味方かわからないのだ、油断はしない。
「どなた――」
「あっれぇ〜、君達何してるの? かくれんぼ?」
ぴょんとメルティアナ達の前にあどけなく詰め寄る。
「どなたなのかと聞いてるんですが」
警戒を解かず、キッと睨みつける。
その様子を見たクルシアは、ん〜と悩んでいる仕草を取って何かを考えている。
すると閃いたのか、はっとなって指を鳴らした。
「もしかして君達、王都で行方不明って言われてた子達かな?」
それを聞いた子供達は、助けが来たんだと歓喜するが、メルティアナはまだ警戒を解かない。
「貴方は本当に助けに来られた方なのですか?」
歓喜の声が少し止んだ。
希望を潰すようで、申し訳ない気持ちにもなったが、どうにも胡散臭いと思ったのだ。
この状況にも関わらず、こんな軽いノリで話をするクルシアに違和感しか覚えなかったのだ。
するとクルシアは割とあっさり。
「まあ、違うね」
子供達はシンとなった。
助けではなく、先程の仲間なのかと頭を過った。
だが、その考えは裏切られる。
「いやね、魔力が枯渇しかけている迷宮なんて珍しいでしょ? だからボクの好奇心がこうさ……」
頭からレーダーが飛び出たようなジェスチャーを取る。
「ピピピっと反応してね、そして冒険心をくすぐられて探検しに来ただけだからねぇ。助けに来たかと言われたら違うな」
予想していた展開とは違い、今度は本当に呆気に駆られた。
「……それだけ……ですか?」
「それだけだけど?」
お互いにきょとんとした、ちょっとした沈黙が間に流れると、思わず後ろの男の子が吹き出した。
「何だよそれっ!」
子供達が笑顔を取り戻していく。
先程の緊迫感に迫られる場から、そんな呑気な理由で見つけられたとあっては、馬鹿らしくて笑いがこみ上げてきたようだ。
みんなが楽しそうに笑っているところを見ると、警戒していた自分も馬鹿らしくなり、笑った。
「よ〜し、ここで君達見つけたのも何かの縁だ、王都まで送り届けてあげよう」
今度こそみんな助かったと歓喜に湧く。
「本当ですか?」
「勿論さ! あ、それとも自分達で帰る?」
「い、いえ、出来ればご一緒したいです」
「よ〜し、それじゃあ皆の衆、ボクに続きたまえ!」
「「「「「おおーーっ!!」」」」」
「あっ!」
「どうかした?」
メルティアナは失礼しましたと、申し訳なさそうに謝る。
「お名前を聞きそびれました。わたくしは――」
「君の名前はわかるよ。メルティアナ・ハーメルト姫でしょ? ボクこそごめんね、ボクはクルシア、よろしくだぴょん!」
明るく振る舞い、元気付けようとしてくれる彼を見て、警戒心は完全に解けた。
子供達はクルシアの後ろを意気揚々とついていき、無事に帰れるのだが、帰れるという安心感とクルシアの明るく無邪気な振る舞い、完全に警戒心が解けたせいか、誰も……メルティアナさえ、考えようとしなかった。
誘拐犯が逃げ出した理由を。




