01 神様ごっこ
「大っきくなれぇ〜♩大きくなぁ〜れぇ〜っ♩」
満月の光、照らした漆黒の海はゆらゆらと波を打つ。月明かりに照らされるのは海だけにあらず、この港町もまた、暗がりの町に光を求める。
そんな町の屋根の上で、空色の髪の男の子は足をぷらぷらさせながら、機嫌良く不協和音を奏でる。
音程も合わず、統一性もない――音痴と言わざるを得ない酷い歌だ。
そんな歌を奏でるクルシアに人影が迫る。
「……まさかとは思いますが、その酷い歌声を披露する為に呼んだ訳ではありませんよね?」
その人影はクルシアの側へ。紳士的な喋り方をする声を聞いて、クルシアは愛想よく振り向きはしたが、音痴だということは否定する。
「ちょっとっ!! ボクのこの芸術的な歌声がわからないかなぁ〜」
あくまで芸術だと語る。
確かに美術における芸術品の中には、子供の落書きのような作品が数々存在している。
しかし歌においてはそんなことはない。
だが紳士的な彼は特に興味を示すこともなく、さらりと受け流す。
「私は芸術には疎い故、わかりかねます。それでご用件は?」
クルシアはぶすぅーとした顔で拗ねてみせると、はいはい、用件ですねぇーっと不満げに話を始める。
「今さぁ、あいつがこの国で動いてるんだよねぇ」
「……彼女ですか?」
「あ、そっちじゃなくて、おもちゃの方。ほら、あれ見てよ」
クルシアは町の方を顎でくいっと示す。その方向を見た紳士的な彼は、その異常な光景に、
「……あーあ」
納得したような意味深な口ぶりで返事をする。
「それで?」
「回収してきてほしいの」
「はあ、私が?」
「暇でしょ?」
紳士的な彼は図星を突かれたが、面倒臭いと言わんばかりに大きなため息をつく。
どうやらクルシアに回収してきてほしいと頼まれているものがわかっているようだ。
「……確かに暇ではありますが、わかっているでしょう? 私が退屈している理由を……」
「わかっているさ。だから呼んだんだよっ!」
「というかいいんですか? 貴方の言うおもちゃ、結構貴重なのでは?」
その質問に、うがぁーっと叫ぶと文句を垂れながら、じたばたと激しく足をばたつかせる。
「そうなんだよぉ〜、人のおもちゃを取り上げるなんてさぁ、人でなしだよねぇ……」
「フフ……それ、貴方が言います?」
「それはそうなんだけどさぁ……」
この口ぶりから、クルシアは不本意に回収の件を頼まれたと把握する。
その為、呼び出されたのではないかと。
「まあいいんじゃないです? 彼にはお世話になっているのでしょう?」
「いや、それはお互い様だねっ!! 向こうだってボク達がいなきゃ、ろくに研究も出来ないくせにさぁ……」
「お互い様ならね」
その細目の紳士は笑顔がわかるように、口元を緩めて笑顔を作る。
「あー……はいはい」
「で、乗り気ではないから、私に押し付けたってところですか?」
「まぁ、それもあるけど……」
押し付けたことを認めつつ、ポケットから一枚のメモを取り出す。
「提案した件、実行出来そうな最有力候補」
彼はそのメモを受け取り、月明かりに照らし、書かれていることに目を通す。
だが失望したような物言いで、クルシアにメモを返す。
「私も最初はそう思いまして調べましたが、どうにも――」
「何かあったみたいだよ」
クルシアはメモの中身の詳しい情報を匂わせる。
「何かとは?」
尋ねるとクルシアは嬉しそうに立ち上がり、クルッと彼の方へ向き、興奮して話す。
「ほら、あれだよっ! カッコよく女の子を助けたんだってさ!」
まるで自分の見たお勧めの演劇の内容でも語るように、ジェスチャー混じりで語る。
「迷宮に哀れ、突き落とされた悲劇のヒロイン。しかしそれを勇者の肩書きを持つ彼は仲間達と共に勇敢に救出に向かい、激しい戦いの末、陰謀に嵌められたヒロインを救ったのであった……」
「相変わらず好きですねぇ、そう言うの」
クルシアらしいと呆れながらそう話すと、さらにテンションを上げて語る。
「そりゃあ好きさっ!! 大好きさぁ!! って言うか、みんな好きでしょ?」
今度は楽しげに、しかし不敵な笑みを浮かべる。
「勇敢に戦う物語、ワクワクする冒険物語、涙を誘う感動物語、絶望に堕ちる悲劇の物語。人は残酷さ。どんな物語でも物語というだけで純粋にその刺激を受け止め、楽しむことができる。喜劇でも、悲劇でもねぇ……」
「なるほど。だから私にあんな提案を?」
クルシアは気分の高揚が治まったのか、再び屋根の縁に座る。
「……人が神になる方法なんて、割と簡単なことなんだよ」
「へぇ……」
「本棚にある一つの物語が書かれている本を読むだけだ。まるでその世界に入ったようだなんて言うけど、結局なところ、それは間違いだ。現実というものがあるから成立するんだよ。現実があるから、その物語を傍観できる。その物語に書かれている人物達の気持ちをわかったように解釈できる。どう簡単でしょ?」
その言い分を理解したのか、優しく微笑む。
「そうですね」
「だからこそ、現実の人生はいいっ! 一冊の命のない物語より、一つしかない命のある物語を見る方が最高だっ!!」
「だから、この状況も放っておくと……?」
彼はクルシアの狂った考えを理解したように、この街の光景を見る。
クルシアは楽しそうに不敵に笑う。
「……そうさ、ボクは知っているだけ。そう……この状況の原因やどんな悲劇が起きるのか、知っているのに放っておくだけ……ははっ! どう? この優越感、まるで神様になった気分さぁ……」
「……貴方は神になりたいんですか?」
この言い分を聞くにあたっての当然の疑問。
だがクルシアは、まさかと言い振り向く。
「そんなのつまんないじゃないか、神様は傍観するだけだろ? ボクは神様ごっこをしたいだけさ、時々ちょっかいを出してさ……」
「ああ……だから回収にも不満を垂れ流しながらも、応じたのですね」
「まぁね、あいつは面白そうだけど、寿命は短そうだし、終わる頃に回収を頼むよ、ねっ!」
ニコッと無邪気な笑顔でお願いをされる。
この少年のような容姿の狂人は自分の欲望に忠実なのだと理解する。
自分のようにと。
「せいぜい貴方という神様に振り回されるとしますか……」
「いいじゃない。お互い利害は一致している訳だしっ!」
実に楽しげに笑って同意を求める。
それを見て彼も微笑み返す。
「ええ。貴方の言う通りなら、彼も期待できるのですよね?」
「勿論さ。勇者の末裔という肩書きは伊達じゃないってことさ」
彼はそれを聞くとその場を後にしようとした時、
「そこの兄ちゃん達ぃーっ!! そんなとこで何してんだぁいーーっ!!」
ご機嫌な声が下から聞こえた。
クルシアはにゅっと屋根から危なげに身を乗り出し、声のする方を見ると、酒瓶片手に呼びかける立派な下っ腹の中年おじさんの姿があった。
真っ赤な顔を見るあたり、出来上がっているようだ。
そのおじさんを飲みすぎだってと止めるように周りは促す。
「いやぁね、こんな綺麗な月夜だから、ちょーっと屋根の上で黄昏てただけさ」
クルシア達がいた場所は酒場の屋根の上だったよう。
「はははーっ!! 何カッコ付けてんだか! こっちに来て一緒に飲もうぜっ! おじさんの奢りだっ!」
「えっ!? ホント!? やったぁーっ!!」
クルシアは奢りという言葉につられて、屋根から華麗に回転しながら、軽く飛び降りる。
「飲む飲むっ!」
その飛び降りてきた少年を見た店員は、
「子供にお酒は――」
クルシアは手品のように、シュッと一枚のカードを出すと、店員に見せた。
「……嘘、成人?」
「そ。いやぁ、こういう時はギルドカードって助かるねぇ。ボクさぁ、おじさんみたいにダンディな感じで身体が歳取らないのよぉ〜」
クルシアはおじさんの下っ腹をぽんぽんと叩くと、おじさんは愉快な気分になったのか、豪快に笑ってみせた。
「あっはっはっ! 腹叩きながら言うんじゃぁねぇよ! 大丈夫、お前さんももっと歳がいきゃあ、おじさんみたいに、でっけぇ大人になるもんさ」
ご機嫌なおじさんは、自分で腹を叩いて、そう答えた。
クルシアは誤解が解けた店員から金色に輝くエールが注がれたジョッキを手にする。
「よっしゃあーっ!! じゃあおじさんみたいなおじさんになる為に……かんぱ〜いっ!!」
かんぱ〜いっとその酒場のお客さん達は一斉に叫ぶと、グイッと乾いた喉に注ぐ。
クルシアの加入で盛り上がっている酒場を見て、やれやれと呆れながら、彼はポツリと呟く。
「まったくあの人は。……それにしても彼らも気付かないとはねえ……」
酒場からは確認ができない町の方向を見る。
「……そこの彼は、この国の脅威を知りながらも、それを傍観して、それを楽しげに見る狂人ですよ。ああっ!」
ここで彼は気付いた。
「これが彼の言う……優越感ですかね?」
彼は不思議そうな仕草を取ると、その場から去っていった。
彼の言う通り、まだこの現段階ではこの国、ハーメルトに迫る脅威など、誰も知る由などなかった。




