102 ダンジョンワーム
「そ、そんな……」
「キィヤアアアアーーッ!!」
この悲鳴のような叫び声をあげる魔物はダンジョンワーム。正確にはワームスネークと呼ばれる。
ダンジョンがつくのは迷宮主であることから名付けられる。
ダンジョンマスターとして判断される要因は、この迷宮が出来た原因と、他の魔物とは性質が違うことが要因とされている。
そして迷宮の維持はこのダンジョンマスターを生かすこと、もしくはその子孫を残すことが迷宮の成長、そして国の財政を潤す。
そのことからダンジョンマスターはこの迷宮から外へは出ない。
だが、強くなり過ぎると魔石の採掘や魔物から採れる材料などが入手が困難となる為、定期的に探索が行われ、必要ならば討伐も行われる。
だが、最近この迷宮の探索は行われていない。
リュッカはそんな事を知っている訳でもないし、この脅威の前にそんなことは関係ない。
リュッカはその悍しい姿とその巨大な姿から連想される迫力に圧倒される。
その太くも長いその濃紫の身体はこの高い天井にも届きそうなくらいに大きい。
顔の部分は大きな口が開きっぱなしになっており、だらんと長い舌を垂れ下げている。
その口の中は無数の鋭い歯が螺旋を描くように並んでいる。
ワームは丸呑みした獲物をその口を一瞬閉じて、中で噛み砕くとずるりと体内に呑み込むという。その為、歯は細かく短めではあるが、量はリュッカから見える歯の数倍はあるという。
歯茎の中にもあり、噛み砕く際にむき出てくるのだそう。あの大きさなら人間も丸呑みだろう。
リュッカはそれを知っている。それだけでも恐怖するには十分過ぎるのに、追い討ちをかけるように目につくのは、ダンジョンワームの身体にこびり付いている魔石である。
無数の色とりどりの魔石が身体の中に埋まっているようだ。大きさや形はバラバラだ。
魔石というのは本来、魔物の心臓かこの迷宮で見かけたように、生えたりしているもの。
このように剥き出し状態で魔物についているのはおかしい。
このダンジョンワームの異様な姿から、変異種だと判断できる。
リュッカは目を疑い、身を震わせ恐怖し、絶望する。
希望が絶望へと変わった瞬間であった。
ダンジョンワームの登場によってその魔法陣は見えなくなった。壊されてはいないだろうが、このダンジョンワームの向こうにあるのは間違いない。
「お願い……」
ポツリと俯き気味に呟く。
「お願いだから……!」
目に涙を溜めて堪らず訴える。
「お願いだからっ! そこを通してぇ!! 帰りたいだけなのぉっ!!」
希望が潰えて、まるで八つ当たりのような叫び。しかし心から望んだ叫びだった。
だがこの魔物に人語など理解できる訳もなく、
「キァアアアアーー!!」
先程より怒りが混じったような叫び声で返答。
どうやら威嚇と捉えたらしい。少し後ろへ頭を引く。
すると勢いをつけるようにリュッカ目掛けて、大きな口を開き、襲ってきた。どうやら助走をつけたよう。
「きゃああーーっ!!?」
リュッカはその襲ってくるモーションを見て、悲鳴を上げながらも躱した。
ダンジョンワームはそのまま地面へと潜っていく。地面をえぐりながら潜っていく音が生々しく響く。
リュッカはなんとかしなければと考えるが、正直そんなに考えることはないし、選択肢もない。
あのダンジョンワームを倒すことなど、不可能だ。あの巨大なミミズを単独で倒せるのは一流騎士や上位ランクの冒険者くらいだろう。
だったら今自分が取るべき行動は一つのみ。
ダンジョンワームが地面に潜って、改めて見えるようになった希望の光、転移魔法陣まで走ること。
地面を進む音が聞こえ、小刻みに揺れる中、リュッカは走り出す。
死にたくない一心で懸命に走るが、その行手をこのダンジョンワームの幼虫だろうか、リュッカを激励するように鳴いて、顔を出した白い蛆虫達が足元をまとわりつく。
「ちょっと、邪魔しないで……」
リュッカは剣を抜き、なぎ払うように切り裂く。
すると、切り裂かれた蛆虫は最後の叫びをあげる。
「キイィーーーーッ!!!!」
蛆虫の嘆きの声が切り裂かれるごとに、踏みつけるごとにこの空間に響き渡る。
すると地鳴りが自分のところを捉えているかのように迫ってくる。
リュッカはピタリと動きを止める。
この蛆虫達はおそらく、敵の位置を知らせる為にわざとやられにきているのではないかと判断したのだ。
勿論、ダンジョンワーム自身は地面に潜っている状態でも、ある程度は位置を音や振動によって把握している。
だがこの蛆虫達の叫びはそれを明確にするもの。ダンジョンワームは確実にリュッカのいる場所を確認した。
地響きが激しくなり、身動きが取れなくなる。
(マ、マズイ……地面が揺れて身動きが……)
捉えられてる以上、動かねば死ぬ。地響きが大きくなる程、死の洗礼が迫る。
リュッカは踏ん張りが効かずとも飛ぶしかないと、無理やり地面を魔力を込めて蹴り上げた。
「キィヤアアアアーーッ!!」
大きな叫び声と共にダンジョンワームは飛び出す。危機一髪で回避する。
「きゃあっ!?」
だがギリギリ過ぎたのか、飛び出した勢いを受けて数メートル転がされる。魔法陣から距離が遠のく。
転がりながらも受け身を取り、体勢を素早く戻すとダンジョンワームを確認する。
「――キィヤアアアアーーッ!!」
「――っ!!」
確認した瞬間だった。今度は上からではなく、真正面から大きな口を開いて迫り来る。
ダンジョンワームは躱されたと判断しての速度が早かった。飛び出し終わり、口に彼女を含んでいないと判断すると、その気配を素早く察知し、襲ったのだ。
リュッカは刹那の判断を問われた。迫り来る死に身体が応えたのか、瞬時に真横へと地面を蹴り上げ躱した。
「くっ……!!」
リュッカを喰らう気だったのだろう。ガリガリガリと地面をえぐり取る音が響き、ダンジョンワームは身体を起こす。
そのえぐられた跡がリュッカの真横にむざむざと見せつける。堪らず恐怖に支配され、叫び出す。
「……あ、ああっ!? ああああああああーーっ!!」
もし自分が躱せていなければ、死んでいたのだと証明するよう。リュッカは恐怖に視界が揺れた。
そして、リュッカを喰らったかどうか確認するように咀嚼音を鳴らす。
今度はゴリゴリと地面を削るような音だ。
リュッカの鼓膜に直接響くよう――次はお前の番だと、このような音を鳴らせる歯で噛み砕いてやるぞとばかりに、リュッカを恐怖で支配していく。
勿論、ダンジョンワーム自体はそんな狡猾なことは考えていない。
あくまで狩猟本能の赴くまま、自分のテリトリーに入ってきていることから思っての行動だろう。
だがその本能はリュッカに現実を訴えかけるように教え込む。
弱き者は喰らわれる、ここは弱肉強食の世界なのだと。
「あ、ああ……」
リュッカにとってそれはどれだけ絶望的なことか。誰も助けにこない、来てくれるのはこの蛆虫だけ。
座り込んでいるリュッカの身動きを封じるかのようなにまとわりつき始める。
それに気付くと振り払うも、目の前の一番大きな蛆虫はボタボタと唾液を零し、ゆらりと狙いを定める。
もう冷静に判断が出来なくなったリュッカは立ち上がり、逃げようと試みるも、絶望はさらにリュッカを離さない。
「え……」
足が動かないのだ。どうやら恐怖したせいか腰を抜かしたようだ。
「そ、そんな……!」
まとわりつく蛆虫を振り払いながらも懸命に逃げようと踏ん張ろうとするも、足は応えない。
「お願い……お願いだから動いてっ!! 死んじゃうよぉっ!!!!」
その叫びにも応えない。
そんなリュッカの心境も知らず、絶望は迫る。
ダンジョンワームは獲物は動けないと判断すると、ゆっくりと口を大きく開けて狙いを定めた。
もうすぐ襲いかかる。リュッカはそう判断した。
その瞬間だけ、嫌に冷静だった。まるで死を予兆したよう。
――そして、ダンジョンワームが襲いかかる。
まるでスローモーションにでもなったよう、リュッカは走馬灯のように自分の出会った人達の顔が浮かんでくる。
一人一人、丁寧に浮かんでくる。その度に思う――やめて、見たくないと。
だがもう死は目前だった。
死にたくない。こんな誰にも知られずに死んでいくこと。魔物の餌として食われること。
こんなことを望んではいなかったことを。
叫ぶ。届かないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。
「助けて……誰かぁっ……助けてえぇーーっ!!」
溢れ出る涙の叫び中、迫るダンジョンワーム。
「おおおおおおおおーーっ!!」
すると聞き覚えのない勇ましい叫び声が聞こえた。
リュッカは、はっとその叫び声のする方を見る。
そこには風を纏い、ダンジョンワームの横顔を殴るように斬り付けるアルビオの勇敢な姿だった。




