84 吐き出る感情
アンサーの魔法はハイドラスとしてはおそらく、最終手段として使うつもりだったのだろう。
何せ、人の意思をねじ曲げて脳にある真実を語らせる精神魔法だ。催眠に近いと考えてもいい。
ハイドラスは証拠を突きつけ、反省をし、真実を語るならここまでするつもりはなかっただろう。
だが、彼女はそんな気配など微塵もなく、それどころかデタラメとはいえ、他人を犯人呼ばわりする始末。
見下げ果てた根性に心底呆れたてつつも、このような貴族を野放しにしていた自分を悔やむ。
だからこそ、ハイドラスは容赦しない。欲まみれの貴族を放っておいたことへの責任とリュッカとソフィスの人命の為にも。
「――そうか。ならば問う、ナチュタル達はどこにいる?」
犯人と認めた返事をしてしまったアーミュは最早言い逃れできないと諦めたのか、だらんと前のめりになり、俯きながらぼそぼそと返事をした。
「蟲の迷宮に突き落としました……」
「――っ!? ……なんだとっ!?」
ハイドラスはより一層眉間にしわを寄せ、険しい表情へと変わる。そして、すぐ様早口にウィルクとハーディスに指示を出す。
「――ウィルク!! ハーディス!! 騎士達の状況はわかってはいるが、二、三人くらいなら引っ張ってこれるだろうっ!! 連れてこいっ!!」
「――はっ!! 早急に」
指示を得た二人は、ばたばたと足早に去っていく。突き落としたと聞いて、呆然とする俺達を置き去りに。
「突き落としたって……」
震える声で呟くアイシア。目を見開き、瞳は小刻みに震えている。
「やったことは私が話した通りだな?」
「はい」
「はあ……なんて事を……」
ハイドラスは体重をかけるように座っているソファーに背中を預け、手で顔を覆う。
その場の空気はシンと静寂する。
罪を告白したアーミュは俯き、遠い目をしている。父もまた同様の反応。
カルバスとアルビオもまた、肩を落とすように俯く。フェルサはアーミュを侮蔑するような視線を送る。
俺は込み上げてくる怒りを抑えつつも、顔に滲み出てくるよう。
リュッカが一体、コイツに何をした!? アルビオの相談に乗っていただけだろう? それを見ただけだろう? それなのに、そこまでされる事なんてないはずだろうに。
「どうして……」
静寂の中……呟く。
「ねぇ、どうして……」
涙目で訴える。腹の中にある憤りを吐き出すように、こんなことを本来なら言い出すことがない彼女でも堪らず、叫ばずにはいられなかった。
「――どうしてこんなことしたのっ!? リュッカが……リュッカが何したって言うのよっ!!」
元々感受性が豊かで明るく優しい彼女、こんな表情は見たことがない。
怒りと悲しみが混じり、歪む表情に俺は、不意に目を逸らす。
この問いかけに、魔法の効果が切れていないアーミュは口が動くが、ハイドラスに質問された時と違う反応を見せる。
強く歯を食いしばり、怒りを吐き出す準備でもしているかのよう。
そして――、
「何故ですって……あの蛆虫が鬱陶しいからに決まっているでしょう!!!!」
爆発でもしたように、静寂を一掃する。
もうバレてしまったならと、洗いざらい白状し、身勝手な自分の価値観を語り始める。
「わたくしがアルビオ様にこんなにも寄り添っているのにも関わらず、靡くことがなかったくせに、あんなブスに靡くなんて、あり得ませんわっ!! あんな……あんな……」
わなわなと震え、あの怒りに震えた時を思い出す。
「あんな蛆虫にわたくしが劣るなんて、あり得ませんわっ!! わたくしの方が綺麗で聡明で品位もある――」
どの口が言うんだかと、俺はアーミュに対し、睨み侮蔑する。
みんなも同じなようで、あのアイシアさえリュッカを侮辱し、自分の方が相応しいと豪語するこの女に、怒りの視線を向ける。
「――だから突き落としてやったのよ!! でもね、わたくしは何も悪いことなどしていませんわ。蛆虫を蛆虫の巣に帰して差し上げただけ。感謝さえされど恨まれる覚えなど――」
(コイツ……!!)
罪の意識どころか開き直るこのクズに対し――堪忍袋の尾が切れたとはこのことだろう。
自分の中でこんなにも感情が飛び出そうとしたのは、初めてのことだ。
理不尽なことに対し、怒りを感じることなんて生きていればいくらでもある。
向こうにいた時からそうだ。だが、こんなにも怒りに支配されることもない。
ふつふつと湧き出るとかそんな次元ではなかった。文字通り、爆発した。
「――この……!!」
「――オルヴェールっ!! アンサーを解けっ!!」
だが、その爆発は、冷静かつ力強く言い放つハイドラスの命令で抑えられてしまった。
何故止めるのかとハイドラスを見ると、その表情も見たことがないくらいに険悪な表情を見せる。
ハイドラスは王族である以上、必要以上に感情を表立ってはいけない。そういう教育を受けてきたのだろう。
普段はともかく、このような状況下では必要に応じた感情を出すようだった。
しかし、今の彼は頭ではそれを理解はしているのだろう。だが、表情はそうは言っていられないようだ。
――表情が語る。いい加減にしろと。
俺は言う通り、魔法を解いた。
「……お前はもう喋るな、蛆虫」
ハイドラスから出てはいけない悪態が吐き出る。思わずアーミュも驚愕の表情を隠せない。
「アルビオの為? 相応しいのは自分だ? ふざけるのも大概にしろ。今のお前を見て誰がそんなことを思う。見ろ……」
ハイドラスはアルビオを見る。
「今、アルビオはどんな顔をしている? ナチュタルやロバティエを突き落としたことを聞いて喜んでいるか? 嬉しそうにしているか? 感動しているか? ちゃんと見ろっ!」
声を少し荒げた。冷静でいなければ事の解決には繋がらないと抑えつつも、漏れ出た怒り混じりの声。
「悲しんでいるようにしか見えないだろっ! 貴様の目は節穴かっ!」
アルビオはハイドラスの言う通り、悲しみに暮れる表情をしている。怒りはなく、ただ悲しい。
「お前の話を聞いて、行動を見て、誰がお前を綺麗と見る。品位があるなどと考える。ナチュタルと比べたら一目瞭然だ。どこから見たって貴様が蛆虫にしか見えんよ」
口をぱくぱくさせて、ハイドラスの発言を疑うような視線を送るが、そんなアーミュに誰も同情などしない。
父親に関してはハイドラスの剣幕に圧倒されるばかりだ。
「アルビオの才能から将来溢れ出るだろう利益を、非道の限りを尽くし、貪ろうとする様は地を這う蛆虫同然だろう。……アルビオが何故、ナチュタルに対し、笑顔を見せたのか、お前にはわかるか?」
そんな考えなど出る訳もなく、無言で首を横に振る。
「それは彼女がアルビオのことを想って、考えての言葉に自然と出た笑顔だからだ。アルビオは嬉しいと感じて受け止められたんだ。お前にはそれがあったか?」
「あ、あり……」
あると言いかけたが、アルビオの悲しみの表情の中に軽蔑するように自分を見る目を見て、そんなことを言える訳もないと黙り込んだ。
「ナチュタルには思いやりがあった。お前には欲望しかなかった。この行動がその証拠だ。改めて身の程を教えてやろう……」
温厚で人当たりも良いハイドラスが、こんな表情を見せるとは思いもしなかった。俺達の怒りを代弁するかのよう。
冷ややかな目で見下すように冷酷に。今まで平民がっと罵っていたアーミュが今までして来たであろう物言いで言い放つ。
「目の前の欲にくらみ、その才の持ち主に這い寄り、餌を強請るように醜く地を這い、邪魔者は非道に蹴散らす……蛆虫はお前だよ、ラサフル」
突き離されたその言葉にアーミュは涙を流し……。
「――あ、ああっ! ああああああぁぁーーっ!!」
泣き崩れた。
だが、誰も同情などしない。
人間は確かに欲望に忠実だ。別にそれ自体は悪いとは思わない。欲があるから人は進化してこれたとも思うから。
でも人間はそれだけではない。それをこの女はわかっていなかった。人として当たり前のことなのに。
非道なやり方で蹴落としてまで、得る幸せがあって良い訳がない。だがこの女はそれを良しとした。それを当たり前であるかのように。
そんな外道に涙を流す権利すらない。そんな残酷なことすら簡単に浮かんだ瞬間だった。
 




