75 異変
「――本当によろしいんですの?」
「うん。たまには朝の散歩もいいかなって思うから……」
翌朝、俺は彼女のお屋敷の門前にいる。カルディナと執事さんがお見送りである。俺は送っていくという提案をお断りし、散歩がてら帰ろうという。
アライスは王城へと、まだ日が明ける前に行ってしまったらしい。
「そうですの。わたくしも用事がなければ、ご一緒しますのに……」
「……はは」
別れを惜しむように残念そうに言う。昨日散々喋ったろうに。
「じゃあまた!」
「ええ」
「またのお越しをお待ちしております」
俺は大きなお屋敷が立ち並ぶ貴族街を後にした――。
まだ日が昇り始めた時間帯に休日の朝、こうして外を歩く機会は中々ない。
向こうにいた時は引きこもってゲーム三昧だったし、こっちはこっちで寝て過ごすことが多いな。
最終的にはアイシアあたりに外へ連れ出されるが。
でも、こっちに来てからだなぁ、こうして散歩がしたいとか思うの。
現代っ子としては家でゲームやテレビとか見て過ごすインドアな自分。この世界で家でやる事といえば、勉強とか料理。遊びといえばカードゲームやボードゲームくらい。
女の子になってからはお喋りが多いかも。主にアイシアや先輩方。中身が男の俺としてはついていけないことが多いが。
だが、旅をした影響もあってか外で過ごすのも最近は悪くないと思うわけで。
片手に勇者の日記を携えて澄んだ青空の下、所狭しと建物が並ぶ城下町を少しゆっくりと歩く。お店も準備を進めているせいか、人通りも少ない。
だが、向こうと違って寂しい静けさではない。屋外の店が多い影響か生活感が見え隠れする感じが何とも風情を感じる。
こうして見るとハーメルトはやはり治安がいいようだとか、このお店は何をやっていたっけとか、くだらないことを考えて歩くのも楽しみの一つなんだと実感を覚える。
異世界に来て、勿論向こうで書かれているような魔法世界に期待はあったが、不安の方がやっぱり大きかったと思う。
住めば都なんてことわざがあるように、異世界だろうが女の子になろうが住んでしまえばどうとでもなるもんだと自信もつく。
何度も思ったことだが、異世界に来て一番恐ろしいと感じたのはやはり、慣れである。
「――さすがに遠すぎたか……」
カルディナのお屋敷を出てかなり歩いたせいか、さすがに疲れが出てきた。
何せ行きは馬車だったのだ。距離感というのを完全に見誤った。
同じ居住区とはいえ、アルビオの家とカルディナの家は距離がある。もうちょっと考えるべきだった。
歩きすぎて痛みが少し走る足で寮へと向かった。
この時間帯だとアイシアやユーカ先輩あたりに外へ連れ出されるか、タールニアナ先輩やリュッカ達と魔法や魔物について話したりしてる。
前者と後者での女子力の差がすごい。
俺は寮の扉を開けて中へ。すると、そこには血相を変えてこちらを見るユーカとタールニアナの姿があった。
「えっと……ただいま」
俺は思わず困惑したように帰宅の挨拶。すると二人はずいっと近づく。
「丁度良かった! リリアちゃん! 早く来て!」
「えっ!? なに? 何ですか?」
強引に引っ張り、食堂へと連れ去ろうとする。
事情もわからぬままなので、少しばかり抵抗する。
「リュッカちゃんに会ったの、寮以外はリリアちゃんが最後でしょ?」
「は? リュッカ?」
話が読めないとばかりに尋ねると、タールニアナは珍しい真剣な表情で今起きていることを話す。
「リュッカが行方不明なの……」
「え……」
ぽっかりと止まったような感覚になる。
は? リュッカが行方不明? えっ? 何で? 昨日も特に変わりなかったよ。
そんなことを頭の中でぐしゃぐしゃと考えがばら撒かれる。
そんな茫然とした俺を揺さぶる。
「ぼーっとしない! とりあえずテルサちゃんのとこ、行くよ!」
俺はテルサがいる食堂へ。
そこにはテルサとカルバスを含めた数名の先生がいた。
「あっ! リリアちゃん!」
「オルヴェールか!!」
先生方は待っていたかのように呼びかける。俺も足早に先生達の元へ。
「あのリュッカが行方不明っていうのは……」
「……実はな――」
事情はこうだ。
異変に気付いたのはテテュラ。朝、目を覚ましてもリュッカの姿がなく、昨日持ち出していた荷物も戻っていないことから、リュッカは朝になっても戻って来ていないと判断。テルサに報告の後、先生に連絡がいったとのこと。
連絡がなく、帰ってこないことはないことはない。だが、リュッカの場合は魔物を討伐する装備を整えていったことが問題なのだ。その為、先生がいるのだという。
「――それでテテュラを問い詰めたところ、彼女は元々、夜な夜な外へと出ていたそうでな。ナチュタルに借りを返すつもりで見逃したらしい……」
確かにテテュラはあまり夜見かけないし、リュッカ自身も同室者だが、そんなに一緒にいることは少ないとも言っていた。
「それでテテュラの証言から魔物の生息域にいる可能性が高いと?」
「ああ、そうだ。その辺は先生達が探している。テテュラ達は街中を探しているよ」
だが、この様子だとまだ見つかっていないし、手掛かりもなさそうだ。だから俺の帰りを待っていたのか。
俺の考えは的中する。その通りと言わんばかりに尋ねてくる。
「リリアちゃんがリュッカちゃんを見たのはいつですか?」
「昨日の放課後、校門前で別れました」
「それ以外では見ていないのですね?」
「……はい」
混乱する頭の中、情報の少なさに落ち込みながら答えた。
するとバンっと勢いよく乱暴に扉が開く。そこには汗だらけのアイシア達の姿だった。
「リュッカ……戻ってきましたか?」
「……いえ」
「そう……ですか……! リリィっ!!」
アイシアは涙目でこちらに来て、たまらずか抱きしめてくる。
「――どうしよっ! リリィ!! リュッカが帰って来ないよぉ!!」
「落ち着いてアイシア……」
フェルサもテテュラも酷く落ち込んだ様子だ。結構探したのだろうか、アイシアほど息切れてはいないが、珍しく二人の呼吸が荒い。
アイシアが泣いてくれているおかげは不謹慎かもしれないが、おかげで少し冷静になれた。
「二人は昨日は? あの後リュッカとは……?」
「……会ってないよ。私とフェルサちゃんはマーディ先生の補習でくたくたで、すぐに寝ちゃったから……」
アイシアはぐずりながら、目をこすり、涙を拭う。
「そっか……」
「私も。それとおかしいことがわかった」
一同は情報が出てくるのではないかと真剣に聞き入る。
「テテュラの言う通り、窓から出ていったみたいだけど、勇者展望広場あたりで匂いが完全に消えてる」
俺は銀髪を揺らして首を傾げた。
勇者展望広場はこの王都の観光スポットだ。人の出入りは多いだろう。匂いが消えて当然ではないかと考えた。
だが、カルバスはフェルサの能力を知ってか、納得した様子で彼女の意見に同意する。
「それは確かにおかしいな。ここから展望広場までは匂いはあったのだろう?」
「はい」
「だったら残っていても不思議ではない。なのに途切れた……」
確かにそう聞けば妙だ。この寮から展望広場までの道のりに人通りが多い場所を避けて通るのは不可能だ。
人が多く通れば匂いも混ざるが、それでも嗅ぎ分けられたのだ。フェルサの能力に驚きつつも何故匂いがないのか、疑問が頭をよぎる。
 




