くねくねした何か
「くねくね」という怪談がある。話としてまとめられたのは西暦二〇〇〇年を過ぎてかららしいから、比較的新しい創作怪談なのだが、下敷きになったと思しき伝承や土着信仰は複数ある。古い話だとも、新しい話だとも言えるだろう。
それは大抵、夏の屋外に現れる。白っぽい体をくねくねとくねらせ、動きは人間とはかけ離れたものであるそうだ。遠目に眺める程度なら何も起こらないが、直視して正体を知った者は精神に異常を来たすという。以上が「くねくね」の話の基本的な骨格である。現れる場所や状況、直視した者の末路などにはバリエーションがあるらしい。
その怪談を友人から聞いていた俺は、電柱の上でくねくねと動いている白っぽいものを見た時、咄嗟に目を逸らした。一度は目を逸らしたくせに、すぐにまた見てしまったのは、怖いもの見たさだったという他はない。
それはよく見ると、全裸のおっさんだった。
電柱から一般家屋へと電気を引き込むための機器が入った箱の上で、全裸のおっさんがくねくねと踊っている。小太りの割には動きのキレはよく、例えば腕を伸ばす時には指先までピシリと伸ばす、わけの分からないこだわりが感じられた。場所と風体と動きのキレの良さは異常だが、プロのダンサーなら再現出来そうな程度の動きだから、怪談に出て来る「くねくね」というわけではなさそうだった。
俺は塾に向かう足を止め、ぽかんと口を開いてそれを見つめた。夕焼けの空を背負い、ここが我が舞台とばかりに踊るおっさん。いつもは服を着ているから日焼けもしていないのだろう、腹や足の肌は青白くて無駄毛が目立つ。もしかして俺は、実は「くねくね」を見てしまって頭がおかしくなった後なんだろうか。
おっさんは、見ているこっちがアン・ドゥ・トロワと数え出したくなるような足取りで、電線の上を移動し始めた。普通の人ではバランスを取ることも難しいだろうし、それ以前に感電して大惨事になるはずだ。なのにおっさんは全裸のまま、電線の上でステップを踏んでいる。その軽やかさたるや、明らかに現の者ではない。
恐るべきバランス感覚で次の電柱に辿り着いたおっさんは、華麗にターンを決めると仰々しく一礼した。その顔には何かをやり切った者に特有の、満足げな笑みが浮かんでいる。これがサーカスなら、「綱渡りを終えた勇者に拍手!」とでも言われていたかも知れない。
なんとなくおっさんを追うように歩いてしまっていた俺は、思わずアスファルトの上に鞄を置いて拍手をした。すげぇ、なんだかサッパリ分からんが、最後のターンには見る者の心を鷲掴みにするような魅力があった。あんな風に踊れるようになるまでに、一体どれだけ鍛錬を重ねたんだ、おっさん。
どうやらおっさんも、地上で拍手する俺に気付いたらしい。彼ははにかみ混じりの笑みを浮かべて手を振ってくれた。それからはっと気付いた様子で、手で体を隠した。いやいや、股間はともかく胸を隠す必要はないだろうよ、男同士で。
おっさんはおずおずと、乳首を隠していた手をもう一度振ると、俺に背を向けて歩き出した。今度は電線の上ではなく、踊りながらでもなく、空の中に透明な階段があるかのように。足取りも、その背中も、不思議と満足そうに見える。
おっさんが上る先で、雲に裂け目が生まれ、金色の光の筋が垂れてきた。青白い尻も、毛むくじゃらの脛も、全身を金色に染め抜かれたおっさんは、光の粒となって空の高みへと吸い込まれていった。
成仏するってこういうことなんだろうか、と思ったが、全裸で踊ることで晴らされたおっさんの心残りとは何なのか、俺にはサッパリ分からなかった。