ファッションセンス
金縛りに遭った。
体を動かす部分の脳が眠ったまま、意識だけが目覚めて活動を始めると、「意識があって体は動かない」という状態になるのだそうだ。俺はその説明に納得して、オカルトも科学の前には無力なんだなぁ、等と思っていた。
体が動かせないのはそういうことにしておくとして、枕元に立っているこの女は誰だ。俺は布団の上に仰向いたまま、意識だけをフル回転させていた。
瞼も眼球も自分の意思では動かすことが出来ない上に、視界が不自然に霞んでいるので、よくは見えない。全身のぼんやりとした灰色と、若い女だということだけが分かった。
彼女は俺の体を押さえつけているわけではない。ただ、じっと見下ろしている。それでも俺には、体を動かせないのはコイツのせいだという確信があった。視線によって布団に縫い付けられているような、そういう感覚。
「ゆっくり眠ってね」
女はあろうことか、そんなことを言う。呼び掛けというには少し弱い、独り言めいた呟き。
無茶を言うな。見ず知らずの他人が寝室にいるってだけで異常事態なのに、その前で無防備に寝られる奴がどこにいるんだ。俺は指一本動かせないまま、意識だけで女の言葉に抗う。寝ては駄目だ。眠っては駄目だ。何をされるか分かったものじゃない。
だけど、女の手が俺の額をそっと撫でると、冷たい感触と共に体がどんどん重たくなってゆく。意識がそれに引きずられて、沈み始める。暗く温かく湿った場所へ。眠りの闇の底へ。降りたくないと思っているのに、襲ってくる眠気に抗うことが出来ない。
目を覚ますと、女はいなくなっていた。家中探したが、女の存在を示す証拠も、盗られたものも特にない。
代わりに、俺には確信がある。あの女はまだ、この部屋の中にいる。姿が見えないだけで、もしかしたらずっとここに居たのかも知れない。
眠りに落ちる直前、あの時の手の感触と同じものを、額に感じることがある。眠りに落ちようとしている俺を、食い入るように見つめる視線を感じることもある。
俺のことをそんなに見て、どういうつもりだ。
問い詰めたかったが、女の姿を見たのはあの一度きりで、それも金縛りに遭っていては声など出せるはずがなかった。次があったとしても、尋ねることは出来ないと考えるのが自然だろう。
俺は仕方なく、虚空に向かってぼそぼそとぼやく。
「人の部屋に勝手に居座るなんて、趣味悪ィぞ。しかも全身灰色とか、ファッションとしてダサ過ぎだろ」
その日の晩、俺は再び金縛りに遭った。枕元に立った女は、幽霊らしかぬ剣幕で訴えていた。
「見えてるって分かってればメイクくらいしたわ!」
とか何とか言っていた気がするが、はっきりとした記憶はない。
俺はそれきり金縛りに遭うことも、女の姿を見ることもなかった。