ノックの作法
子供の頃、祖母からノックの作法を躾けられた。聞き逃されないように、驚かせてしまわないように。落ち着いて三回、手首の力を抜いて、こんこんこん、と。
祖父母の家は、その世代にしては珍しい洋風家屋だった。祖父母も日本的な慎ましさは失わぬまま、家の佇まいに相応しい、洗練された洋風の装いやマナーを身に着けていた。私が遊びに行く度、祖母手作りの焼き菓子が振る舞われたことを覚えている。
私は私の家系について、詳しいルーツを知らないが、曾祖父かその上の世代あたりに外交官なり留学経験者なりがいたのかも知れない。
その祖母は、私が六つの時に亡くなった。だから私は祖母について、穏やかで上品な人であったことと、ノックの躾の時だけは別人の厳しかったことしか記憶がない。容姿の印象は仏壇の遺影に上書きされてしまい、曖昧にしか思い出せない。
それにしても世の中には、あまりにも扉があり過ぎる。
私が暮らすワンルームマンションだけでも、玄関、トイレ、浴室、リビング、そこからベランダに出るためのサッシ戸。ベランダに出たら出たで、両隣の部屋との間には非常用扉が設置されている。シンク下の収納やクローゼットの扉。浴室の天井の点検口だって、蝶番で固定された開閉可能なもの、という意味では扉の一種だ。
街に出れば、更に沢山の扉がある。商店に出入りするための自動扉、その中に並ぶ陳列ケースの扉、関係者以外立ち入り禁止の従業員専用扉。奥からモーターの唸りが聞こえて来る、エレベーターの扉。郵便ポストの側面の扉。公共のトイレに並ぶ個室の扉、その傍にある清掃用具入れの扉。駅の壁を埋め尽くす、コインロッカーの扉、扉、扉……
そういう扉の内の一つが、妙に気に掛かることがある。例えば壁にへばりついている防火扉とか、自分自身が出て来たばかりのトイレの個室の扉とか。
気になる扉に出逢った時、私は祖母に仕込まれた通りの作法で、こんこんこん、とノックをすることにしている。ビジネスホテルのサイドボードだろうが、一人暮らしの自宅の玄関だろうが、気になったら必ずノックする。
返事が返ってきたためしはない。ただ、ノックされた扉は私を惹きつける魔力を失い、ただの風景の一部に戻る。
祖母が私に教え込んだのは、本当にノックの作法だったのだろうか。
『優しく、ゆっくりや。突然開けてしもたり、どんどん叩いたりしたら、向こうのもんもびっくりしはるやろ』
扉の向こうに何がいるのか、私は知らない。気にならないと言えば嘘になるが、祖母は私がそれを見なくても済むように躾をし、何も語らずに亡くなった。
優しい味のシフォンケーキを振る舞ってくれた、穏やかで上品な祖母。彼女の配慮を無碍にしてまで見るべきものが、この世にあるとは思えない。
いや、叩いた扉の向こう側は、この世ではないかも知れないけれど。