(8)冷たい現実
彼女にはどうしてか僕を避けているような節があった。
もちろん、女子トイレで出会った変態下痢便野郎を避けるような仕草を見せてくれれば、それは至極自然なことであったし、僕もすぐに引き下がったんだけど。
でもどうやらそうじゃなかった。
彼女は僕と眼を合わせると、とても悲しそうな目をしていた。
そして旋風が一瞬だけあたりをざわつかせてから消えてくように、その場をすっと立ち去っていった。
そのことは僕を多少なりとも不安にしたし、それ以上に彼女に一層興味を持つことになった。
「どうしてそんな悲しい眼をしているの?」
僕はこの問いを追求しないわけにはいかなかった。
僕はいよいよ彼女に声をかける決心をした。
駅のホームの端っこで、真っ直ぐ前を見て電車を待っていた彼女に声をかけた。
『あ、あのさ...。』
彼女はまた【あの目】で僕を見て、そして諦めたようにびっくりするような言葉を返してきた。
「今は曖昧なその記憶は、凍てつくほどに冷たい現実なのよ。私はそれを貴方に伝えるためにここにいるの。貴方を冷たい現実に繋ぎとめておくためにここにいるの。」
『記憶?何の記憶?あの女子トイレの記憶のこと?』
「違うわ。時々貴方を苦しめている、あの曖昧な記憶よ。」
僕は言葉を失った。
どうして彼女がそのことを知っているのだ。
家族にも、兄にさえ話したことのないあの曖昧な記憶のことを、どうして彼女が知っているのだ。
冷たい現実ってなんなんだ。