(2)ナッシング・バット・ザ・サンド
我が家の父親は車屋を営んでいた。
と言っても販売店を経営しているわけではなく、もっぱら修理や車検で生計を立てていた。
かつて新三種の神器と呼ばれた「カラーテレビ・クーラー・自家用車」のうち、自家用車の車検だけで当時は相当儲かったらしい。
そんな僕ら家族が住んでいた集合住宅は、同じ棟が十棟もある立派なものだったけれど、なんだか目の前にそびえ立つジャイアンみたいに怖かった印象しかない。
そのジャイアン住宅が立ち並ぶ敷地内にはドーナツ公園と呼ばれる公園があった。
本当はカタツムリをモチーフにした滑り台だったらしいんだけど、残念ながら作者の意図はいつだって純粋無垢な子供達には伝わらない。
僕は幼稚園から帰ると真っ先にドーナツ公園に行って、友達を追いかけまわして遊んでいた。そして夕暮れ時になると、沈んでいく太陽と入れ替わるみたいに小学校から帰宅した兄ちゃんが迎えにきてくれた。
兄ちゃんはいつだって満面の笑みで、「吉郎!迎えにきたぞー!」
と言って、ぎゅーっと抱きしめてくれた。
僕は本当に兄ちゃんが大好きだった。
崎島玲子ちゃんという女の子が居た。
いつも砂場にいて、いつもムスッとしていて、近づくと手当たり次第砂をかけてきた。
砂をかける際に何か特別な言葉でも添えられていればまだ理解することができたのかも知れないけれど(それでも理不尽極まりなかったことに変わりはない)、そこには合理的な説明も真新しい情熱も見当たらなかった。
もちろん五歳の女の子に足る理屈であればよかったのだけれど、とにかく何もなかったのだ。
ナッシング・バット・ザ・サンド、だ。
ただただこちらに睨みを利かせて闇雲に砂をかけてくる。
そんなこんなで、僕はよく玲子ちゃんに泣かされていた。
玲子ちゃんを夕暮れ時に迎えにくるのはいつもおばあちゃんだった。
後で知ったことだが、玲子ちゃんの両親は玲子ちゃんがまだ歩き出したくらいの頃に無理心中を図り、玲子ちゃんだけが生き残ってしまったらしい。
両親が無理心中を図るということがどういうことなのか未だにわからないけれど、親がいないということですら当時の僕には理解のしようのないことだった。
というわけで、僕らは大好きな砂山作りも、開通させたトンネルで手が触れ合うあの感動も味わえない不遇の時代を過ごしていた。
けれど、もちろん、玲子ちゃんが僕らに砂をかけるには、玲子ちゃんなりの理由があった。
玲子ちゃんは砂場にネズミの死骸を埋めていた。
そのネズミがどこから来たのかは知らない。
でもあれだけ大事に守っていたのだから、きっと大切な友達だったのだろう。
そして玲子ちゃんは、友達を埋めたその日から僕らが砂場で遊ぶことを禁じたのだ。
大切な友達を守るために。